見出し画像

まわりと言葉のとらえ方が違う

最近見ていて、そうそう、その通りと思ったエントリー。

最初のは学術的に書いてあるのだけど、両方とも中身はほぼ同じ。

特に

ここは自分がASD的人間の処世術で書いたことと、ほぼ重なっています。
物事のとらえ方は多種多様でありそうで、意外とそうではない。

自分も偉そうではありますが、
知識量を盾にして人生を渡っているところがあって、
文章による理解の組み立てが基本になっている。

ですから、非常に苦手なのが恋愛ドラマで、
「なぜそうなるのか?」という結論が全く理解できない。

人生の明文化できていない機微みたいなものは
全く無縁のものであるという認識が強固に出来上がっています。

今までの人生の中で知り合いから恋愛関係になって、
結婚しましたという男女何組かに質問したのです。

「結婚に至るまでの関係になるのってなにかきっかけがあるんですか?
 その関係になる目安みたいなものはわかるものですか?
 言葉でなにか表現されるとか?
 周りから見ても、鈍感な自分でもわかるようなものなのですか?」

全員、ものすごく困ってうーん、わかりませんという返事でした。
ごめんなさい、質問が抽象的過ぎました。

全員大卒で、言語理解もできる人たちで、
僕にも回答をくれるかと思っていたら、そういうものではないと。

その意味でポルノというのは即物的で、目的が明確ですし、
理解が非常に簡単です。
恋愛ドラマの隣に位置するものだということなのですが、
ポルノ大好きなオッサンには位置していたことがありません。

ある時、今度結婚するという二人と吞んだことがありまして。
「結婚しないんですか?」と聞かれたのですね。

そこでこういう表現を使って答えました。

「田舎道を歩いているときに、空を飛んでいる飛行機みたいなもの」

乗り方もわからず、どこに行くのかもわからず、
どうやってそこにたどり着けばいいのかわからない、
手の届くことは絶対にないけれど、存在しているのは見えている。

正直、この表現うまいこと言ったとおもうのですが、
そんなことで喜んでいる時点で100%無理でしょう。

その二人が産んだ子供が、顔を覚えてくれて挨拶するようになって。
ますます届かないところなんだなと実感します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?