みどりちゃん t3
次の日、わたしは云われた通りショッピングモールへ向かった。十四時なのか、午後四時なのかが記憶で曖昧に主張し合って不安だったが、とりあえず午後二時にいっていなかったら二時間後にも行こうと、それに間に合うように電車に乗った。
そして十三時三十分くらいにショッピングモールについた。
それでわたしは、昨日は本屋さんに行ったけれど、きょうは他の場所をみてまわろうと無目的に歩いたのであるが、そこである出会いをした。
「もしかして」とかすめるように耳横で声が通った。本当に気づかないくらいの一瞬間。でも「山下さん?」と聞かれ、わたしは振り向いた。
そこにいたのは、中学時代に同じクラスになったことのある佐川さんであった。
佐川さんのまわりには、わたしの知らない女子たちが三人いて、四人で歩いているらしかった。おそらく、高校生となってからの友人。
「誰? 知り合い? あ、中学の時のでしょ」
とそのうちの一人が佐川さんに聞く。「うん、うん」と佐川さんはうなずいた。
「山下みどりさんって云ってね、中二と中三で一緒になったんだけど、この通り可愛くて、大人しくて、しかも頭がいいの。それで男子に人気だったよ」
「いえいえ」
強烈なパスには、強力な否定で拒絶する。
「確かにー」とまわりの彼女たちも頷くが、わたしはもう惨めなくらいに腹が痛んだ。
彼女たちは早々にわたしに見切りをつけ離れたが、取り残されたわたしはもう汗を吹いていた。いやー、困ったもんだね。と心の中で剽軽を演じて乗り越えるのに必死だったが、そんなこんなで気がつくと、「天五」の前に来ていた。まだあと五分とちょっとあるのだけれど、ここでおとなしくしていることに決めた。
昔の知り合い、それも当時からあまり接したことのない知り合いと、出会うだけでも疲れるのに、ああいうやりとりの仕方は、わたしにはわからなかった。それを思うと、これから、全く知らない男の人と対面して、話をすることがどうにも無理な仕事に思えた。帰ろうか、とも思うが、それはあまりにも酷い。頑張れるだけ頑張る、話せるだけでも話す、というその姿勢こそが、大切だとわたしは自分に言い聞かせた。
なので、さて、と仕切り直して、わたしは向こうからやってきた二人の男の人に少し頭を下げた。彼らがきょうの約束の相手である。
なぜわかったかといえば、向こうが手をあげて示してくれたからであるが、彼らがどんな人たちだったか説明すると、前に歩くのはスーツを着た若い男の人。手をあげたのは彼の方。わたしに掌をみせて、きらきらと回した。
後ろに歩くのはもう少し背の高い後ろ手を組んで歩く男の人で、わたしの方を見るのでなく、腕時計に目を落として首を振っていた。
「俺は小佐竹で、この人が大島」
と前に歩く彼が云った。
ここで、わたしと彼らが「天五」に入り、天ぷらを食べながらどんな話をしたか。その情景を事細かに描写して説明してもいいが、たいして面白いこともなかったから省く。これは良心と自負してよかろう。わざわざ長くする必要はない。長い小説は悪である。わたしはそう主張しよう。人は長い小説を読み終わったとき、その本を褒め称える。なぜなら、それを否定することはとりもなおさず、それを読むのに要したそれまでのあまりに長い時間が、無駄だったと認めることになるからだ。つまり読むのにかかった時間に価値があると自己肯定したいがために、本を肯定するのだ。だから長い小説は名著のようにありがたがられる。しかし、もっと短く、かつ長いのに劣らない意味のある小説はもっとあるはずだ。しかし、それらは時間に負けて、分量に負けて、古本屋の倉庫に埋もれてしまっている。わたしはこれに、涙する!
わたしはいま大きな旗を振っている気分だ。「やっ! よく云った!」「さすがみどりだ!」みなさん、歓声ありがとうございます。
それでは、「天五」で聞いた話を、短くまとめよう!
「あいつやっちまったんっすよ。相手の組のモンをやっちまいやがった。いろいろあってな、あいつも焦ってたんだ」
「喋りすぎだ。コサ」
「いまサツに追われてっから、デートもできねえ。俺らも探してるんだ。あいつ、どこかへ逃げてな」
ということだ。大体はわかったかしら。
そして話の途中で、大島さんの方へ電話がかかり、彼が席を外れ、また戻ってきた時に会合は終わった。二人はわたしを残して、先んじて帰ってしまったのだ。取り残されたわたしも、それから席をたった。お金は払ってくれていた。天ぷらは美味しかったが、一口しか食べられなかった。
それから部屋に戻ると、彼がいた。
彼はわたしのへやで別段動くこともなく、床に座っていた。そしてわたしが帰ってきたのに対して、それなりの反応を示すでもなく指で床をコツコツ叩いていた。
そして彼は、何を思ったか、バネのように跳ね上がって、わたしの腕を掴んだ。
強い力で引っ張られたわたしは、そのまま床へ引き倒される。
「あ」
と咄嗟にでたわたしの口を抑えて、彼はわたしの腹の上に座ると、わたしの肩に掛かっているカバンを探って、そこから財布を取り出す。
「うるさい!」
と彼はわたしを叱りつけた。血走った眼は壁から床から、忙しなく動いている。そして一瞬わたしと目が合って、すぐそらす。
「黙ってろ」
彼は短く走ったように、口で息をして、それがなかなかおさまらない。とてもイライラしている風である。わたしの心臓は、縮み上がって、身体中の筋肉を強めるやら、弱めて震わすやら異常にはたらいて、気づくと目からは涙が出てきた。彼は財布を廊下に投げると、震えている指でわたしの服のボタンを引っ張った。
その時である。家のチャイムが鳴り、それから扉が叩かれた。
そしてその訪問者は、勝手に家の扉を開けたのだろう。その音だけがこちらに届いた。
わたしの上から逃げた彼は、財布の方へ走り、それを掴んだ。そしてその姿勢のまま、訪問者と鉢合わせたのだろう。玄関の方を見つめて、警戒する猫のように丸い背中のまま固まった。
「やあ」
床に倒れるわたしのところからは廊下で固まる彼だけが見えるのだけれど、その彼の頭に手が置かれた。そしてその手の主が、体を傾けてドア枠からわたしをのぞいた。丸植さんであった。
丸植さんは彼を起こすと、家の外へ連れ出した。そして財布を持ってわたしに届けにきてくれた。わたしのすぐそばに財布を放ると、
「大丈夫かい」
と彼は目を細めて笑った。なんだか嬉しそうである。
「嬉しい風に見える?」
わたしが頷くと「事実嬉しいからね。いいや、嬉しいというより、楽しいだね」
丸植さんは、男に用があるらしかった。それだけわたしに云うと、
「じゃあね」と丸植くんは手を振った。「何か話していく? ……大丈夫かい。久しぶりに会ったんだよ。……つもった話でもあるでしょ」
「大丈夫」
わたしは高鳴る胸を押さえて、か細い声で返答したのであった。
それから、丸植さんは、「申し訳なかったね」と思い出したように云い、ポケットから紙を出した。そしてそれをわたしにくれたのだ。みると、それはチケットであった。
「水族館」と彼は云った。水族館のチケットが二枚。「ここらへんの名物でしょ」
「ありがとうございます」
とわたしは云った。すると丸植さんはひやりと笑った。
「あら、ちゃんと受け取るんだね。でも、お相手はいるのかい?」
にゃー