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ルフィ=仏陀という考え方。それとちょっとだけ映画「FILM RED」について。

最近、『教行信証』の勉強を少しずつ始めまして、それで思いついたことがありますので、メモしておくことにします。

それというのは、ルフィは仏陀(アミダ様)と読めるのではないかということです。(読めるというと言い過ぎかもしれません。ちょっと強引に読んでみると面白いかも、程度で……)


浄土宗において仏教というのはとてもシンプルで「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われます。
そこには経典を根拠にした理由などもありますが、ざっくり言うと「南無阿弥陀仏」と口にすると、
——死後アミダ様の国に生まれ変わることができる。
——その国は修行をするのに最善の環境が整えてあるので、その場で悟りを開くことができる。
という流れです。

これが浄土真宗になると
——唱えると悟れる。
という感じで、修行が省かれます(たぶんそんな感じだった)

……そういう前提がありまして、「仏陀」の言葉の意味を今度は見ていきたいのですが、「仏陀」は元はサンスクリット語「buddha」で「目覚めた人」という意味です。
だから仏教においては釈迦のことを指すのですが、釈迦以外にも当時は他の仏陀がいたと考えていいです。アミダ様も悟っているので仏陀でしょう。
(この記事では漢字だったりカタカナだったりは適当に選んでます。スミマセン)


——目覚めた人。
浄土宗においてはですからアミダ様はさらに「目覚めさせる人」でもあります。
我々はそれによって「目覚める人」。
という構造なのですが、ルフィにも当てはまるなぁ。と思ったわけです。

ワンピースの話になります。古いエピソードですのでネタバレで紹介します。

ナミの話。
ナミは二番目に仲間になってその後ウソップやサンジも仲間になる間まで一緒に航海をしていましたが、実はスパイだったのです。
彼女はアーロン海賊団のメンバーでした。が、悪者ではないということが、ナミの義姉の話によってわかります。ナミは育ての母をアーロンの一味に殺されているのです。そして自分の村を守るために、アーロンに味方するようになった……一億べリーわたせば村を返すという約束と共に。

しかしナミは騙されていました。9300万ベリーまで溜まったところでその金を全て海軍に持っていかれたのです。海軍へはアーロンたちから告げ口されていました。全てを失ったナミを見て、とうとう堪えきれなくなった村民は打倒アーロンを掲げ武器を持ちます。しかし100パーセント叶うわけないこの目的をナミは止めようと立ちはだかります。村のみんなに傷ついてほしくないのです。
しかし村長を中心にした武装村民たちは止まりません。ナミは一人残されます。そこへルフィがやって来ます。
ナミは泣きながら自分の肩についたアーロンの刺青を切り裂こうと自らナイフで刺したり、ルフィに諦めさせようと言葉をこぼしたりしますが、それでも微動だにしないルフィに、ようやく「助けて…」と声を漏らします。
それによってルフィは「当たり前だー!!!!」と叫び仲間と共にアーロンの元へ向かいます。
幼少期にお金を集めるため泥棒を始めたナミ。「もう泣かないって決めた!! 一人で戦うって決めたの!!!」とその頃から言っていた彼女が、初めて人に頼った瞬間です。
感動。


次はニコ・ロビン。六人目の仲間ですね。
ニコ・ロビンでも同じような話がありました。
ロビンはなぜか世界政府から狙われており(というだけの説明にとどめておきます)、その居場所がバレて捕まります。海軍大将・黄猿が、
「今日までニコ・ロビンの関わった組織は全て壊滅している」
と言ったほどでしょうからロビンもそれを恐れたのでしょう、ルフィたちとは徹底的に関係を絶とうとしました。
何かしらの秘密がその身にあり、永遠に追われる身である彼女は助けにきたルフィに対しても、
「帰って!!!!」「私はもうあなた達の顔も見たくないのに!!!!」
「どうして助けに来たりするの!!!?」「私がいつそうしてと頼んだの!!?」
「私はもう…死にたいのよ!!!!」
と言い放ちます。
しかしルフィはもちろんそれで引き下がりません。鼻をほじりながら「何言ってんだァ!!!? お前!!!」と言います。

そしてロビンの過去を描く長い長い回想があった後。
それでも自分一人を犠牲にルフィ達を遠ざけようとするロビンに対し、ルフィは、
「ロビン!!! まだお前の口から聞いてねェ」「「生きたい」と言えェ!!!!」
と叫びます。するとロビンはついに涙を流しながら、
「生ぎたいっ!!!!」
これまた感動のお話。

で、仏教に戻りますが、

この「助けて」や「生きたい」が言わば「南無阿弥陀仏」なのではないかと思うのです。
ナミやロビンにとってアーロンや世界政府は相手にして勝てるわけがない敵。絶対に挑んではいけないと思っていました。だからルフィを遠ざけようとしたのです。
この状態から「助けて」「生きたい」という言葉を発っするためには、ルフィを完全に信じないといけません。
「彼なら助けてくれるのだ」と完全に信じられたとき、あるいは完全に信じようとするときに初めて頼ることができるのだろうと思うのです。
信頼/信仰によって初めて発せられる言葉があるのです。

さっきの仏陀という言葉に当てはめますと、この場合、ルフィは「目覚めさせる人」です。
対するナミやロビンは、言葉を発すると同時に「目覚めた人」になる。
という構造です。

「絶対を信じる」ことがここで起こるわけです。
ナミとロビンの場合「目覚める」は定めし「自己の尊厳」「自由」への目覚めです。自分の未来を信じることによって切り開いた瞬間が描かれているわけです。ナミもロビンも環境・状況によって「こうするしかない」という選択を消去法的に無理やりさせられていました。ここからの解放。

浄土宗をこのような形でそのまま理解できるかはまだなんとも言えません。多分難しいでしょう。
しかし「信じる」ことで初めて「南無阿弥陀仏」を口にすることができ、それによって「自己決定/自由」という「自主性」を獲得することができる。という構造は見方として面白そうです。
話はズレますが、「信じようとする」ことで「南無阿弥陀仏」を口にするのはキルケゴール的には凡人のやり方です。真の信仰者はさっき言ったように「完全に信じる」ことで行動します。



雑談。

これから先、キルケゴールの「真理は外から与えられるものではなく、自分から求める姿勢を得ることである」という宗教観と一緒に考えていきたいと思っています。

そしてワンピースについてですが、ルフィがギア5になった以降、最近ハマっていまして。
一般にアーロン編と呼ばれるナミのエピソードがある9巻を久しぶりに読み返して、ルフィにまつわる哲学を考えてしまいました。

※ 映画のネタバレはしないつもりで書きますが、本当の一ミリもネタバレをしてほしくない人は読まない方がいいかもです。


ルフィは絶対に、絶対に、絶対に仲間を信じます。それを彼は自分の精神の核にしている。それはウソップのP51でのセリフ
「ルフィはな!あいつは お前が 逃げた直後でも 一片もお前を疑わなかった‼︎」
「あいつはお前を 完全に信じてるんだぞ‼︎ 今もだ‼︎ そんな奴を よくもてめェは平気な顔してダマせるもんだな‼︎」
で、そういう風に仲間にも伝わってることでもわかります。
もう一つあります。
ナミはアーロンを騙してウソップを逃すために、彼の胸を短刀でさすように見せて自分で手を刺します。それによって村人も「ウソップが死んだ」と思い込んでしましそれをルフィに伝えにいきますが、そのときも、
「ナミがウソップを 殺すわけねェだろうが‼︎‼︎ おれ達は仲間だぞ‼︎‼︎」
と怒鳴ります。
その後、すぐナミが前に現れ、
「何しに来たの」
と聞くと、ルフィは平気な顔で「何言ってんだ! お前はおれの仲間だろ」「迎えに来た‼︎」と伝えます。

ルフィは仲間を一度も疑ったことがない。
キルケゴールの説いた信仰と同列に語ることはできないかもしれませんが、それでもこの姿勢には確実に「絶対」が実現されています。

しかし気になるシーンがありました。
ナミの義姉がナミの過去を麦わらの一味に語るシーンです。
ルフィはそこで一人、
「おれはいい」「あいつの過去になんか興味ねェ‼︎」
と言って立ち去るのです。


・ナミが実際いい人でも悪い人でも関係ないから。
・仲間なので、助けるのに理屈も同情も必要ないから。

という意味でしょうが、実際ここでルフィはその判断から逃げています。どっちでもいいなら聞いてもいいのに、自分の芯が絶対ブレないように一応その場を退場するという選択をとっているのです。


以降、ルフィは何度も味方を信じての行動しかしませんが、幸い味方に根っからの悪人はいず、少し悪く見えても実はその裏に善意がある、という場合しかありません。

尾田っちはこのルフィの絶対の信念に対して、甘いわけです。仲間はみんな善人。信じて助けるのが当然の過去がある。
ルフィに対して都合のいい展開しか作っていない。

これではルフィの「仲間を絶対に信じる」という哲学的な信念が真実のものかどうか確かめようがない。
いつかいつかと思っていたが、もう物語は終盤でもはやワノ国編に至って麦わらの一味の結託・信頼は少し狂気っぽいところまで来ている。疑う余地も、確かめる余地もないのです。
残念です。
一度は仲間が本当の悪人で、救うべきでない人間であった場合、それでも「仲間」だから「絶対」に信じて疑わず助けるのか?を描いて欲しかった。それを知りたかった。

……で終わりません。


残念だ、残念だ、と思っていたのですが、数日前見に行った映画「ONE PIECE FILM RED」がありました。あれを思い出して、溜飲が下りました。ルフィは「絶対」に仲間を疑いません。詳しくは映画を見てね笑

そういう意味で、この映画の存在価値は「ワンピースの世界」にとっても「ルフィ」にとって絶大だと感じます。もはや展開上本編では味方を使って試せない。確かめようがない。しかし味方になりえた過去の親友を使って、それを証明したわけです。
よかったよかった。
ありがとう、尾田大先生。

にゃー