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整理整頓

脳みそと目玉がスクランブルエッグみたいになった。

きっとこのクソ暑いのと、部屋の散らかっているせいだ。

部屋は汚いが、本で散らかっているのである。私の部屋には汚部屋によくあるペットボトルや菓子袋などはない。ただ買ってきたまま放ったらかしの本と読みかけの本が散乱している。

昼前に起きて、部屋から逃げてリビングで一人学校の課題をしようと座っていたのだが、一文字も進まない。やる気も集中力もない。先週風邪を引いて以来、生きる気力ごと全て失ったみたいである。

何か少しでもできることはないかと、食器洗いをしながら考える。
そして、部屋の片付けを思い出した。

あのジャングルのように生命が犇めき合い、呻き合う部屋を。

ここまで放ったらかしにしたのは随分と珍しいように思う。
本棚に本が収まりきらなくなって久しいが、床に平積み、机に堆積、ベッドに充満する本をどう整理したら良いか。

そしてもう一つ、やりたいことがあった。

それは、読みかけの本を一箇所にまとめて、横並びにすることである。

いま一度、自分が何を読んでいて、何を読んでいないのか把握しておきたいのだ。
逆にいうと、現状それすら分からなくなっているのである。

収まりきらない本は、一種の禁忌であるが紙袋や段ボールにまとめた。
本と共に生活する者として、全ての本が目に見える状態にしておきたかったが、このままではスクランブルエッグが焦げた上にぼろぼろのそぼろみたくなってしまう。少しでも景観をまともにしておかねばならないと思った上での果断である。

読みかけの本は、カバン、ベッド、机、床、あらゆる場所からかき集め、机の上に並べることにした。
机の上には、それまで無規制にいろんな本が積まれてあったのだが、こんにちより読みかけの本だけを並べることに決めた。

さて結果であるが、本は48冊並んだ。そして『醒睡笑』一冊が見つからなかった。懐かしい本もあった。

そりゃ頭はこんがらがる。
何を読んでいいやら分からなくなる。

この何を読んでいいのか問題は、横並びにしてなおいっそう深まった。

今まではその気分によって、手近にある五、六冊の中から選んでいたのが、横並びになった48冊。何一つ読む気が出ないのだ。

しかも、真夏を煮たように暑い部屋だったが、30分弱で片付けるつもりだったので、エアコンもつけないままだった。私は全てを甘くみていた。シャツは溺れたみたいに汗だく。
この暑いのに読書はありえない。

思うに、読書の秋というのは欺瞞である。
食欲の秋というのも欺瞞である。スポーツの秋というのも、睡眠の秋というのも、旅行の秋というのも欺瞞である。
ただ、夏が暑すぎて、集中できず、食欲も湧かず、睡眠も取れないだけなのだ。それから解放されただけに、勉強もスポーツもやりやすく感じているだけで、秋が春や冬と比べて特別読書しやすいわけではない。

まあ夏の暑さの文句を秋にぶつけてもしょうがない。

並列された本を見てげっそりした私は、横に目を逸らした。
本。
私はそのうちの一冊を手に取った。
林芙美子『放浪記』ずいぶん昔に読んだ本で、林芙美子がつけていた日記から書いた小説である。この中の冬の部分でも読んで涼しもうと思いついた。あるいはこの清涼感のある文体で気分を落ち着けようとも。

林芙美子は私が思う、骨の髄から、細胞のレベルで文章の上手い作家の一人である。いや、もしかすると、ちゃんと一位かもしれない。

 風が吹いている。
 夜明近く水色の細い蛇が、スイスイと地を這っている夢を見た。それにとき色の腰紐が結ばれていて、妙に起るときから胸騒ぎがして仕方がない。素敵に楽しいことがあるような気がする。朝の掃除がすんで、ずっと鏡を見ていると、蒼くむくんだ顔は、生活に疲れ荒んで、私はああと長い溜息をついた。壁の中にでもはいってしまいたかった。

『放浪記』林芙美子 新潮文庫 P116

からっぽの女は私でございます。……生きてゆく才もなければ、生きてゆく富もなければ、生きてゆく美しさもない。さて残ったものは血の気の多い体ばかりだ。私は退屈すると、片方の足を曲げて、鶴のようにキリキリと座敷の中をまわってみる。長い事文字に親しまない目には、御一泊一円よりと壁に張られた文句をひろい読みするばかりだった。

同上 P137

彼女の文章と自分のものを比べてゾッとする。
それで涼を取るのでもよかろう。

にゃー