13 孤独王の恋
レディーネ、我が命の光、我が胸の炎。我が罪、我が魂、我が、我が——
レ・ディー・ネ。孤独王の魅惑的な声が低く響く。……あぁ、愛しの……レ・ディー・ネ——
孤独王が、八百屋に母親と一緒に買い物に来ているレディーネに一目惚れをしたのは、村の悪戯っ子にまじってタイガーデニッシュをいじめているときだった。タイガーデニッシュの靴を取り上げて、高く放り上げていた横で、ほんの九歳の幼い子どもであるレディーネは、母親のスカートの裾を持って立っていた。大根を蔑んだように見つめるその目や、八百屋のおじさんの話をシカトするその姿なんかは、古代の国の女王のようであった。
その見た目は三日月のように整っていて、苺のように未熟で、煙草のように妖艶だった。つまり、人間の矛盾的美をすでに有しているわけである。
孤独王は電撃に打たれた。彼は先日、町のカフェ店員シモンに授業料として八万円を払って「女性にはプレゼントを渡すといい」と教わったことを思い出した。居ても立ってもいられなくなった孤独王は、すぐ目についた花を摘むと、それを持ってレディーネのすぐそばへ寄り、彼女をじっと見つめた。
そして俺の嫁にしてやる、と花を差し出したのだ。が、彼はレディーネに見向きもされなかった。母親の背中を追って走る少女の背中を見ながら、孤独王は手から花を落とした。そして、新しい花を探しに公園へ向かった。
次の日も、レディーネは母に連れられ買い物に来ていた。孤独王はレディーネのもとへ行き、花を渡した。
「いらないわ、こんなそこらへんで摘んできたような花」
「だって。プレゼントだぞ」
「だいたい、あなた、わたしの名前だって知らないでしょう」
レディーネは孤独王の花を受け取りながら言った。
「そして、わたしはあなたの名前を知らない」
「俺の名前は孤独王だ。君の名前は今、まさに今聞こう」
「レディーネよ」
そうレディーネは口の左端だけを上げて笑った。それは彼女が意識的にした表情だった。つまり、右の口端ではなく、左の口端を吊り上げたのだ。
名前だけはどうにか知り合えたのだが、それからもレディーネは孤独王のことを気にもしなかった。そんなそぶりを孤独王はついに責めたてた。
レディーネに対し「お前は一体、何を考えてるんだ」と聞いた。
「あなたが真剣かどうか確かめてるのよ」
とオレンジジュースの入ったコップから口を離していった。
「結婚してから途端にあたしを大事にしなくなるような人は嫌ですもの。だからこうやってあなたを試してるのよ。さあ、あなたはわたしに対して何ができるの?」
その夜、孤独王はレディーネが風呂に入った時間を見計らって、彼女の家の風呂場を爆破し、夜気にさらされた裸のままの彼女をさらった。ダンボールの塔まで彼女を運ぶと、彼は彼女に服を着せ、ベッドに寝かせた。それから夜っぴて彼は彼の心の中に積もる不満や、言葉にならない恐怖を彼女に聞かせた。彼はその相手を探していたのだった。横暴な彼は心の中で常に孤独を感じているので在る。その恐怖を消す唯一の味方が恋人だという考えを無意識下に持っていた。
レディーネはついつい眠りそうになったが、その度に孤独王は彼女の肩を揺らして意識がはっきりするまで起こし、話の続きを聞かせたのだった。
しかし、孤独王のそんな無理やりな共同生活は、世間が認めない。
次の日、早朝。アイとクァシンが彼の家を訪れた。レディーネを塔から救い出しにきたのだ。
「安心して、もう大丈夫だからね。お母さんのもとへ帰れるよ」
アイはそう言って、レディーネに手を差し伸べたのだが、レディーネの反応は予想に反するものだった。
「わたし、ここにいるわ」
「なんで」アイは驚いたが、孤独王はそのとき、大王のように椅子にだらしなく座って満面の笑みを浮かべていた。
「ほらな。俺のところにいるんだ。ほら、帰れよ」
「理由を聞かせてもらわないと納得できない。こんなめちゃくちゃな男のところにいていい法なんてないよ」
「別にいいのよ。わたし、嫌いじゃないし。それにいちゃダメな法だってないわ」
説得は無理そうだった。アイとクァシンは「それじゃあ」と帰った。アイはさも納得できないような顔つきをしていたが、クァシンは考え事をするその顔の裏に、少し好奇心の含んだところがあった。彼はこういうことが嫌いじゃないのだ。予想のつかないことが。
それからいくらかたって、クァシンがあるとき小鳥とジグソーパズルをして遊んでいると、丘の向こうにレディーネが歩いているのが見えた。しかし、その隣には孤独王ではなく、誰か知らない男がいた。小鳥の歌声が耳に入ったのか、レディーネがこちらを向いて笑った。クァシンは彼女に話を聞きに行くことにした。
「彼はね、いわゆるあれよ。恋人的なあれ。けれどわたしは彼なんて気にもしていないわ。彼自身には下着職人になるという夢があるらしいんですの。それでわたしと一緒に夢に向かって走ることを想像しているみたいだけど、なんだかわたしにはそれ以前に、彼が面白くないのよ」
「あいつは?」
「ん? あら、あのマントのかた?」
マントのかたというのが、孤独王のことだ。
「彼はまあ、面白いわね」
「他にもこういうことをしてる人がいるのかな」
「失礼ね。こういうことって何? まるで犯罪現場を捉えたみたいに。わたしはね、わたしの思うままに生きているのよ。けれど、本当にこういうことって何?」
クァシンはレディーネと別れてすぐ孤独王のダンボールの塔へ向かった。彼がこのことを知っているのか確かめたくなったのだ。
到着すると、そこで孤独王は血塗れになって倒れていた。
「どうしたのさ」
ホウキの柄で彼をつつき、生死を確かめてみると、孤独王は気がついたようにむくりと起き上がった。それから判明したのだが、そこらに濡れ広がっているのは彼の鼻血だった。彼の顔はべっとりと血に濡れていた。
「孤独王、何してるの」
「お! ん、何も思い出せない」
「あのさ、レディーネのことだけど」
クァシンがそういったとき、孤独王はあたりが血に汚れているのを見つけ、
「おう! 早く掃除しないと」
とクァシンのホウキを奪って、血を掃いた。けれど、血は広がるばかりできれいにはならなかった。
「お金もいる!」
孤独王はまた叫んで、ホウキをその場に捨てると、家を駆け出た。物凄い勢いだった。せっかくなのでクァシンもついてゆくことにした。
孤独王は近くにある八百屋に来て、野菜を蹴散らして中に入ると、
「金を出せ」
と店主に凄んだ。拳を握りしめて、今にも殴りかからんばかりだ。
「強盗してるじゃないか」
クァシンは孤独王を外へ引っ張り出した。「なぜ金がいるのさ」
「レディーネに、何か買わないと。あいつが喜ばないんだ」
「だけれどさ」クァシンが孤独王を抑えようと言葉を探すため少し目を逸らすと、その視線の先になんとアイとレディーネが抱き合っているのを見つけた。
「あっ」
と彼は声を出してしまった。その声につられて孤独王も後ろを振り向き、アイを見つけた。
「お前、何してるだ!」
孤独王は転びそうになるくらいの全速力で走り寄って、勢いそのままアイを殴り飛ばした。
「違うんだよ」とアイは必死になって言った。
「何がだ!」
事情を説明しようとするアイと、話を聞かない孤独王、二人が喧嘩を長引かせている中、レディーネはその場をそっと離れて、遠くで見ているクァシンのところまできた。
「なぜか、わからないのよ。なぜわたしが男の子たちのことを気にしちゃうのか。気になるのよね、何か奥に深い秘密、それは人間秘みたいなのなんだけれど、そういうのがある気がして」
「わからないよ」
とクァシンは反応した。
「けれど、男ってだいたい面白くないわ。どの年齢の男も一緒なの。外側は違って見えるけど、皮を剥いでしまうとみんな子ども。子どもは子どもの姿の子ども、大人は大人の服を来ている子ども。そんな感じね。でも、だから誰を選んでも結局は同じなような気がしてきたわ」
「誰を選ぶのさ」
「できるだけ機械みたいな男がいいわ。贅沢させてくれる男。孤独王っていうの? あの人は面白かったけど、将来がね。ねえ、もう一度だけ、わたしとデートしてくれない? あなたは悪くなかったわ」
「いや、いいよ。僕はそういうのは興味がないからね」
もう一度? と思わないでもなかったが、そのことは触れないでおいた。聞いてもまたつまらない話が続くだけである。
にゃー