元祖1式体験記4 vol.19〜vol.20
2022.7.1 Vol.19 潜在意識の解答に、常に“粋”を感じて、惚れてしまう。
なぜか急に、潜在意識への丸投げが面白いな。とワクワクするものに変わってきて、そんな自分に驚きを感じています。
このワクワク感がいつまで続くかは解らないけれど、ずっと続いて欲しいな。と心から望んでいます。
純粋に面白がって、楽しんでいるような、とても軽いこの高揚感が、本当に心地よいのです。
それもこれも、潜在意識の解答が、常に自分の斜め上を軽々とぶっちぎっていくからだと思います。
こうなってくると、全ての出来事に対する、潜在意識が出す、ぶっちぎりの解答を知りたいという欲が湧いてきます。
顕在意識で一生懸命思考して出す、暗くてお粗末な解答などに、ようはないのです。
潜在意識の解答は本当におしゃれ( *´艸`)
なんかこう・・・全てを面白がっているような、茶化しているような、そんなお茶目な部分がありながら、真剣でもある。
そして、そこには常に絶対的な愛が感じられ、見下しているとか、バカにしている。と言った感覚は微塵も感じられない。
元祖1式って、やり始めた時のその方の、それぞれの状況によりますが、
私の場合は、始めの頃は、相当ツライと感じました。
どんな風につらいかは、人それぞれですし、顕在意識まみれのただ重いエネルギーをバラまきましても、
私の為にも他の方の為にもなりませんので、ここに記載させて頂くことは、ひかえさせて頂きます。
このブログを掲載していた頃の私で�は、まだ、自分に正直であることを受け入れきれておらず、表現することが難しく『ひかえさせて頂きます』と、書かせて頂いておりましたが、
それから10ヶ月あとのR5年4月14日の今の私なら表現が出来るようになっておりましたので、その時の感覚を追記させて頂きますね。
それまでの人生、もちろん何回もの生まれ変わりも含めて、表に出すことが出来ずに、自分の中に押し殺してきたものや、
私に受け入れて貰うことができずに、封印されていた私の正直な思いたちが、
『まっていました』と嬉しそうにいっきに外へ出ようと、自分の表面意識に押し寄せてくるような感じでした。
それらに対する唯一の対処法である“手放す”という作業があることを、この時の私はまだ知らなかった為、
その怒涛の感情。周波数(エネルギー)に圧倒され、恐れおののいてしまったのです。
それでは、話し手を当時の私にお返しします。
今、このブログを書いているのは、7月1日現在です。
元祖1式を開始したのが、6月8日からなので、6月8日を1日目と数えると、7月1日の今日は24日目。
エイブラハムが引き寄せの本で、確か21日くらいで習慣化されるようなことをお話ししていたことを思い出しました。
ちょっとずつですが、私が、新しい生�き方を受け入れ始めているのかもしれません。
“元祖1さんが言っていたから”
そんな感じではじめ、訳も解らないまま、思考をとめ、全てを潜在意識に丸投げ。を苦しみながらやっておりましたが、
ここへきて、お茶目で、カッコ良い完璧な潜在意識様のお答えを、“一つでも多く聞いてみたい。体験してみたい”に変わってきております。
人はキライな方や、興味をもてない方のお話しには、耳を傾けようとはしないものですが、
自分が興味を持てる方やステキだなと思える方の話しは、真剣に聞き入ります。
潜在意識様に対して、今の私が、絶賛、その状態です ( ´∀` )www
この状態を人生が終わるまで、続けていけたら、きっと楽しいだろうな。
2022.7.5 元祖一式Vol.19 春の夜の夢のごとく、風の前の塵に同じ。
ヤバッ!Σ(・ω・ノ)ノ!
私、すごく思考している。といつも急に気づきます。
私は完璧な潜在意識に・・・・
全て丸投げ大魔神。
全て丸投げ大魔神。
全て丸投げ大魔神。
顕在意識での思考はお断り。
元祖1式はとてもシンプルです。
思考をとめる以外の思考をとめる。望みや願望も含め、全てを完璧な潜在意識に丸投げする。
思考をとめるのに、ひたすらアファで対抗する。
これだけです。
このアファは、それぞれで、その日・その時の自分にあったものを使っております。
今日は、
『私は顕在意識での思考はしない。私は完璧な潜在意識に、全て丸投げ大魔神』
を唱えております。しかも、真剣に
実に怖いですね 笑
気がつくと、思考することのスリルにいつもおぼれている自分に気づきます。
このことが、私を散々落ち込ませてきます。
さて、ここでR4.7.5の私から、R5.4.19現在の私に少しお時間を譲っていただいて (^▽^)
このあたりの頃は、まだ、がっかりするようなおなじみのイヤな現実を頻繁に体験してはおりました。
当時の私は、『何も変わらないじゃん!!』とその度に、いつもイライラしておりましたが、
このころから、同じイヤな現実でも、それまでとは違った結末を体験するようになってきた記憶があります。
それは、自分では思いつかないような結末ばかりで、『へぇ~そんな全方向に穏やかな解決法があったんだね』と感服しどうしでした 笑
“完璧な潜在意識”への信頼は、この頃の私の感度では、ヒシヒシとは感じることが出来なかったのですが、
潜在意識への信頼は、確実に上がってきておりました。
それでも、まだ思考をするスリルが忘れられず、自分で思考をして楽しんでしまっていたのです。
ですが、この“楽しんでしまう思考”の中には、もちろん、自分がイヤだと感じる現実を呼び込んでしまう周波数のものも多いに含まれているので、現実を変えるに至るには、弱いのです。
それでは、R4.7.5の私にお返しします。
自分がイヤだと思うことでも、誰かに強制されて、アタマの中で、思考をしているわけでないので(;´・ω・)
アタマの中で思考していることは、全て、自分が好きでやっていることなのです。
現段階では、理不尽なことに感じますが、それが事実なのです。
思考をとめようと試みたことで、
“顕在意識での思考”から離れ、それの本質が徐々に見えてきているような気がします。
元祖1さんが、『顕在意識で思いつくことなど、完璧な潜在意識と比べたら塵に等しい』といったようなことをお話しされていました。
思いもつかないような穏やかな解決法を、何度か見せつけられ感心させられた私には『確かに!!』と強く頷ける部分もあります。
スリルだけを追い求める、おごった顕在意識への強い依存は、身を亡ぼす。
そんな風に思った空っぽのアタマに
祇園精舎の鐘の声が響きました。
『おごれる人も(自分の力が強いことを、誇っている人も)久しからずや(長くは続かず)ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには滅ぬ(勢い盛んな人も、滅びてしまう、)、ひとへに風の前の塵に同じ(それはまったく、風の前のちりと同じだ。)』
どんなに顕在意識で頑張ろうとも、春の夜の夢のように、長くは続かない。
顕在意識で思いつくことなど、範囲が狭すぎて、すぐに限界がきてしまうからです。
ですが、完璧な潜在意識には限界がない。
それは、星のさだめをも笑顔で超えていく・・・。
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