本8 しびれる短歌 東直子 穂村弘
しびれた。短歌というものは私にとって、ほとんどパンクロックといっていい。それを象徴する歌がこんな感じだったりする。
三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった 平岡直子
凄い歌である。文法を無視する「悲しいだった」という表現。こういうのもありなところが短歌の怖いところだ。「悲しいだった」と云っているのは、三越のライオン前で待ち合せをするはずだった幼い子供なのかもしれない。だから言葉がたどたどしく「悲しいだった」という表現になったのではないだろうか。とか何とか自由に考えられるのも短歌の善きところ。この歌には細かい説明などない。もちろん解釈に正解不正解もない。この歌に限らず、おおかたの歌にはほとんど説明というものがない。「悲しいだった」を2回リピートしてくるのもいい。放り投げるように不意打ちに凄い球を読み手に委ねてあとは知らん顔してる、その冷たさもいい。
あと好きなのが
人形が川を流れていきました約束だからみたいな顔で 兵庫ユカ
選者が述べているとおり、この歌は「約束だからみたいな顔で」の一言で勝負ありだと思う。「約束だからみたいな顔で」。すごくいいフレーズ。他のところで使いたくなる。
それからこの2作品なんか最高である。
靴拭きのマットで足を拭う人年配の男子に多い皆もやろう
蕪の葉の根本を切ると切り口が緑の薔薇にみえるやってみて
田中有芽子
もう最高である。「やってみて」と云われても、という氣分になる。
私は短歌を創ることが出来ない。詩心が欠如しているのか、センスがないのかリズム感というものを完全に喪失してしまっているのか。だから憧れてしまう。こんな歌、自分でも創れたら素敵だろうなと思う。
その代わり、私は短歌をたくさん読みたい。他人様の創った短歌を楽しみたい。そしてドラッグみたいに後頭部からガツンと来るような作品に出会いたい。そんなわけでこの本は是非ともシリーズ化してほしいなあ。時代の瓦礫に埋もれてしまいそうな名作短歌をたくさん紹介してくれそうだから。
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