ノリユキ

本を読む パンクロックを聴くやうに

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最近の記事

君は君の言葉で語れ

当世風の名前をもつヤングマンが、当世風の言葉を用いてうたう歌はひどくリズミカルで、当世風云い回しのオンパレードだ。 ほとほと嫌気がさして表に出れば、これまたカラフルな世界が煌めいて俺は立ち眩み。 他の誰とも似ていない何かを模索するのではなく、他の誰かと類似する何かに依存することで安堵する気持ちの悪さよ。 道ゆく少年少女は祈るがごとく持つ携帯電話、で、その表情を照らし続ける。 まるで先行く未来の暗示のように。 ラジオから、偶然聞こえるなごり雪。 あの時のやさしい嘘を俺は忘れな

    • 深夜の2時じゃなくてよかったよ

      午後2時に死にたくなる。 午後2時なると、死にたくなる。 午后の2時、になると、死にたくなる。 14時になれば。 雨が降ってるんなら、まだいい。 雨に打たれりゃ、まだ気も紛れる。 けれど晴天の14時はヤバい。独りで歩いてんなら、尚のこと。 深夜の2時じゃなくてよかったよ。 深夜の2時なら行動力の有無によっては、カマしてたかも。 この気持ち。年末まで引っ張るのかしら。 それともこの夏で終わるのかしら。 雨が降ってりゃまだ許される。 赦される。ゆるされる。 地下にあるアダルトシ

      • 一瞬となる世界

        生まれてからまだ10年も経っていない、かよわき者どもが集い、 いちにちの半分をひとつの教室で一緒に過ごすという事を考えてみるに、 それは結構無理があるように私なんかは思う。 感性が強い子ほど傷つくだろうし、野生児みたいな子ほど秩序を持たないからだ。 しかしそうは云ってみてもしょうがない。 生まれてからまだ10年しか経っていないからこそ、柔軟性があり適応可能性もあると判断すれば、それはそれでひとつの意義もあるのだろう。 生まれたての個性。これでもか、という程のエナジー。そしてカ

        • こどもがいつでも光っている

          こどもが書いた作文を読みたい。 こどもがつづった詩も読みたい。 こどもが描いた絵を眺めたい。 こどもが唄う歌はいらない。 こどもが踊る舞台もいらない。 炊きあがったばかりのご飯が食べたい。 こどもが考えるクイズに笑う。 こどもが騙す嘘に酔いたい。 こどもが笑う声を聞きたい。 こどもが握るこぶしがかわいい。 くるまがはしる危険な道路。 こどもはよおく気をつけて。 胸に抱えた絵本などを、 こどもは大事に家に持って帰る。 こどもが食べる口元を見たい。 こどもが泣いた涙のしずく。 そ

        君は君の言葉で語れ

          なんにも喋らないで僕たちは

          君はじょうずに絵が描ける。 君は自由に絵が描ける。 思ったとおりに絵が描ける。 展覧会で褒められる。大きな賞を獲れるわけじゃないが とてもじょうずに絵が描ける。 僕にはとても真似が出来ない。 僕にはとても そんな事は出来ないのさ。 君はとても頭が切れる。 とんちが利いて尊敬される。 自分が思っているよりずっと、人望が厚い君。 誰も気がつかなかった盲点を いともたやすく見つける君だ。 君はきっと大物になる。 いやもうなっているかも知れない君は。 君にはとてもかなわない僕なのさ

          なんにも喋らないで僕たちは

          言葉が意味をなさなくなった時

          言葉が意味をなさなくなった時、 言葉はいったい何になるのだろう? 言葉はただの毒になるのだろうか。 それともただの“音”として君や僕の風景になるのだろうか。 もしもそうだったら、それはそれで素敵だな。 まるで音楽みたい。 意味なんて誰にもわからないのに、 なぜだかみんなが涙を流していたりする。 笑っていたりする。 それはそれで素敵かも。 空調の壊れた映画館にひとりぼっちで 残されたように 孤独で 空腹で 幼い。 ほとんどすべての無力を集めたように それは絶望的だ。 眼だ

          言葉が意味をなさなくなった時

          天国でみる夢、それはアナザー・ワールドの入り口。おめでとう。

          英語圏の作家による異色短編集というのをいま読んでいるのだが、これがめっぽう面白い。 異色というだけあって、その計り知れない発想に驚くばかりだ。 訳者は岸本佐知子と柴田元幸で、本のタイトルはコウノトリの「何とか」だか。 「迷信」だったか。 細かいことは忘れてしまったけれど、何しろとにかくヘンテコな話ばかりなのだ。 読んでいて安心する。 ガチャガチャした音楽や、不協和音で奏でるコンテンポラリー音楽が、不安よりもむしろ、なんとなく落ち着きを与えてくれるような気がするのは何故だろう

          天国でみる夢、それはアナザー・ワールドの入り口。おめでとう。

          なるべく頭で考えないで読んだ    いまだ、おしまいの地

          頭で考えて言葉をひねり出すよりも、身体でやる方がいい。 上になったり下になったりすること。 運動は頭でやって身体は何も考えず、手紙は身体でやって頭は何も考えないこと。 何も考えない、ということはすなわち「考えつくす」必要があるというわけだ。 まるでプラモデルを作るようにね。 自然と手が動きますように。 僕は他人を不幸にしているような気がしてならない。 生きているだけで誰かを傷つけている。そんな雰囲気を纏う。 勿論好きこのんでそんな風に生きているわけではない。 しくじった心持

          なるべく頭で考えないで読んだ    いまだ、おしまいの地

          あなたの云う、莫迦者が夜を過ごしています こんな夜を。  詩のこころを読む

          時々、聴きたくなる声の人がある。 今は便利な世の中で、それを聴こうと思えば、そう望めば、手が届く時代である。 ありがたいことだ。 いろんなツールを使って。人々は。 行間を読むという事はすなわち、明確な正解はそこにはなく、 基本的に読む側の自由である。 異国の空気を感じたり、何かしらのヒントを得たり、地上から少し浮いた場所で夢見ることも出来るだろう。 おいしい水があれば、人はそこにいきたい。 自分は行きたい。 少なくとも自分は。 そこで罪を犯すだろうか? いつものように?

          あなたの云う、莫迦者が夜を過ごしています こんな夜を。  詩のこころを読む

            ブラック・ジャック(12)

          11歳から12歳の頃にかけて通ったそろばん塾は私にいろんなものを与えてくれた。 算数への取り組み方。計算の仕方。指先を使うことによる何かしらの美徳。暗算。応用する力。読解力。 そして少年チャンピオン。 塾はボロい一軒家を改造したような建物で、私が子供だった当時から見てもそれは古い建物だった。 塾に早めに到着すると教室に入るまでの時間、廊下みたいなところでみなそれぞれ、本棚にある少年少女用の週刊漫画雑誌を手に取っていた。 当時、少年チャンピオンは男子にとても人気があった。 自分

            ブラック・ジャック(12)

          まるで新しい友達が出来たかのように  ブラック・ジャック(11)

          正義について考えると頭が混乱してくる。 「正義」の反対は、どうやら「悪」ではないと気づくからだ。 正義の反対は、「また別の正義」である。 自分は、闘うことを好まない。 闘いを好まないということは男として人として、またひとつの生き物として、あまりいい選択とは云えないかも知れない。 生きていくうえで人は闘わなければならない時がかならずあるからだ。 その時にその争いを放棄してしまうのは、つまり死に直結するおそれがある。 すべてがそうとはもちろん云わない。 すべてをそれで失うとも、も

          まるで新しい友達が出来たかのように  ブラック・ジャック(11)

          十代の頃のあたしのアイドルさ

          どうやら私だけではなかったらしい。 そりゃそうだろう。 自分の気に入った本や音楽を薦めてはいけない、と自分自身に云い聞かせているところがある。 そう思っていてもやってしまうが。 つい最近もやってしまった。 こだまさんの本を人に薦めてしまったのだ。 しかも読んで即、薦めた。 何ならまだ自分が読んでいる途中でもあった。 これはいい、と思って、こだまさんのエッセイ集をとても近い人に、 この作家の名前を覚えておくがいい、読んでご覧。と云ったのだった。 幸運なことに相手はその本をたい

          十代の頃のあたしのアイドルさ

          もしかして短歌の女王を凌駕する?

          センスの塊が涙を流す時。 カップに牛乳を入れる。 あとはその中に何を入れようがあなた次第。 犬がワン、と鳴いている。 恵庭の電気屋で僕はコーヒー牛乳を探すが、 ない。 中にゼリーがいくつも入っているやつ。 蕎麦のそばに置きたい。 もう頭はフラミンゴ。 その名を知ったのはきっと何かの雑誌の投稿。 僕はたくさんの名前を知りたい。 美しい名前、格好のよい名前。光る名、ぐりぐりの名。 勇気をもらったんだ。 一発で勇気をもらえる、そんな気がする。 1162326

          もしかして短歌の女王を凌駕する?

          中毒性 あるよな気する夏の暮れ

          ライターの人が書く文章と作家の人が書く文章って、何かが違う。 軽重を論じるつもりはサラサラないが、ライターの、しかも週刊誌などで腕をふるっていた方と、じっくり原稿用紙に向かって、書いては破り書いては破りしている和服姿の先生と呼ばれる人の書くものって、根本からして異なるように思える。 たとえ同じテーマを扱ったとしても、まるきり違った様相を呈するだろう。 「いい日旅立ち」を演歌の人が歌うのとアイドル歌謡の人が歌うのとで違ってくるように。 どっちがいいとか悪いとかいう問題でもないん

          中毒性 あるよな気する夏の暮れ

          一本の 短歌が僕の胸元に 突き刺さってきてポキリと折れる

          世界に魔法や奇跡があるように、 偶然の音楽を、僕は信じる。 またひとつ新しい音楽を見つけてしまった。 その僥倖に僕は感謝をして、これからも精進していこうと思う。 殊勝だね。 1152325

          一本の 短歌が僕の胸元に 突き刺さってきてポキリと折れる

          約束の地  ロバート・B・パーカー  菊池光(訳)

          生き方を学ぶのだ。 モノの考え方も。 独特とは思わない。 多くの人がそういうかもしれないが、しかし、 至極まっとうのように自分には思えるのだ。 ジェンダーの問題ではない。 1970年代はとくに、リブだとかマチズモとかいう「言葉」が流行したせいだろうか。 騎士道であるとか侍魂であるとか、男らしいのそうでないのと評価・判断しがちだが、性差の問題ではなく、あくまで人間の生き方として背筋が伸びる思いがするのだ。 孤独を怖がらないこと。 失敗を恐れないこと。 ユーモアの精神を忘れない

          約束の地  ロバート・B・パーカー  菊池光(訳)