ノリユキ・U

本を読む パンクロックを聴くやうに

ノリユキ・U

本を読む パンクロックを聴くやうに

最近の記事

頑張らなくていい。

言葉があやとりをしていて、そのあやとりが永遠に続くかのよう。 これには既視感がある。サリンジャーだ。 対話のメタファーが渦を巻いておそらくは自分もその中に放り込まれているのだろう。完全に無意識である。 ここでわかったようなフリや、理解しようなどとは、およそ考えないことだ。自分は自分にそう云い聞かせる。 素っ裸で活字を追う。 逆に云えば読むのにこちらを素っ裸にする作品こそが、すぐれた作品の持つ特性のひとつであると思う。 十七、八の頃。自分はどんなだったろう。 十代特有の神経

    • カレーライス、五七五、私との距離間

      カレーで思い出したけど、福神漬けについて書いておきたい。 福神漬けの事が好きだから。 己の感情を顕わにするのはこっぱずかしいけれど、福神漬けの事なら堂々と云える。好きであると。 福神漬けの事が好き。 これは福神漬けにおける立ち位置の勝利だと考える。 福神漬けというキャラクターが、私に「好き」ときちんと言葉で云わせる勝利。 ほんとうはカレーライスの方が好きなのだ。 カレーライスに添えられた福神漬けが好みであるというだけの話だ。 福神漬け単体なら、私はそれほど好きではない。 だ

      • 解雇告ぐる日

        また余計な事を口走ってしまったなあと悔やむ日がある。 その夜、いっそ舌を噛み切ってしまえばいいのにと呪わしく思うが、 罪は舌にあるのではなく、己のアタマとココロにあると気づく。 性根が腐っているんだからしょうがない。 ”正直さ”の使い方が間違っている。 なるべく正直に吐露しようと、 人はうたを詠むのだろう。 ペンを持ち、何かを書くに違いない。 時には欺瞞、時には韜晦の念を持ち、 それに卓越した才を見せる人々。 僕はかぎりなく、そんな人々に憧憬の気持ちを抱く。 それらは素

        • 不条理の中を生きる私たち

          大きな声で云えないけれど 少し前 Eテレで 3ヶ月でマスターする数学、みたいなタイトルの 番組を見た こいつがひどく面白く 思わず「録画ボタン」に指を這わせた まるで 愛するおんなの乳首を愛撫するように 三平方の定理を表象的に示唆しつつ何かしらの 気づき、と天啓を与えてくれるにじゅうぶんな内容で あたかも 己の愚かさと自己顕示を嘲笑されたかのような気分に陥る 吾は気づき、そして 誰にともなく己が 高卒であると見抜かれぬように用心し 頬を赤らめるんだった 大きな声では

          妖怪について語る時に我々の語ること

          柄にもなく私は愛について考えている。 愛とは何か。 酒は呑んでいる。もちろん。 しかし頭は妙に覚醒している。 ピエール瀧くらい覚醒している。 愛、とは何か。 わからない。 考えてもわからない。 考えれば考えるほど、わからなくなる予感すらある。 だけどこれだけは云える。 この本は愛に満ちている。 私は親しい人間を誘って芸術の森に行った。 今年の暑い夏。6月だったか。7月だったか。 狙って行ったわけではないが、ちょうど水木しげる展をやっていた。 とてもツイていたと思う。 小学生の

          妖怪について語る時に我々の語ること

          たこ八郎の姿勢

          買えばいいんだけど経済的な理由と自分の部屋の物理的な事情により、図書館で本を借りることが多い。 好きな短歌や俳句、そして最近一気にのめり込みつつある川柳に関するこれらの本がもっと読みたいと思う。 好きな作家を見つけて過去の作品を読みたいけれど、図書館に置いてない事が多い。やはりジャンル的に限られた人が読むイメージがあるのだろうか。 でもイメージだけで図書館側が蔵書を選んでいるとはあまり思えない。 何か他にも理由があるような気がしている。 そんなことを考えながら、ジュンクや紀伊

          たこ八郎の姿勢

          みんなのつぶやき 万能川柳 8本目

          最高運勢の姓だったからこそ今の旦那と結婚出来たのかも。でもそのせいで姓が変わり、最高の運勢ではなくなったというこのパラドックスをうまく川柳にまとめた。 ジェームズ・ブラウンが時に滑稽に見えるのは、彼がいたって真剣だからだ。別に聴衆を笑わせにかかっているわけじゃない。 部屋の中にいつの間にか紛れ込んだ一匹の虫を捕まえようとやっきになってるお父さんは、家族を守るためとはいえ、やはりどこか喜劇人めいている。 きっと何年も経ってから娘が、息子が、その風景に思い出し笑いをする。 い

          みんなのつぶやき 万能川柳 8本目

          本物の読書家

          狂ったようにエアコンをつけて 9月だというのにもったいぶってる。 夏目漱石の千円札が懐かしい。 どんなことをしても欲しかったやつ。 でも手に入らなかったやつ。 マッカラーズさんは、書くことは神に会うことと 教えてくれたけれども、そいつはどうかな。 学校をサボって映画を観たい。まるで。 もうこの時間から今夜の月を楽しみにしている。 あとであのひとに電話をしてみよう。 電話料金が落ちなくて、止められてなければの話だけど。 その前に服を脱いでシャワーを浴びて、そうめんを茹でなきゃ

          本物の読書家

          ブコウスキーに救われた夜

          20代の頃克服出来なかった山に、苦手意識こそ感じてはいなかったけれども無意識に距離を置いていたのは確か。 けれどいつの間にか自分にとって大事な大事な、とても大事な存在だと気づく。 文字通り「いつの間にか」だ。 そんな山がいまだっていくつもある。 ということは、いま感じている険しい山も10年後20年後には知らず乗り越えることが出来るかもしれない。 あまりうまく想像は出来ないけれど。 ともあれ「あきらめないで」とか「頑張って」などと奥歯をくいしばって、 拳を強く握りしめたおぼえは

          ブコウスキーに救われた夜

          はじめからそこに存在していたもの

          三蔵法師に連れられて、わたしは旅に出た。 どこに向かうのかは知らない。 彼は目的地について何か話してくれたかも知れないが、わたしは覚えていない。その内容をすっかり忘れてしまった。わたしは忘れっぽいのだ。なんだかむつかしい話だったような気もする。それを後半は、嚙み砕いていたようにも思える。 目的のその場所が、果たしてほんとうに実存するのかどうか、それも判然としない。しかし彼の話すことには信憑性があったし、何より彼自身が持つその魅力(=カリスマ性)が、何故かわたしを惹きつけた。そ

          はじめからそこに存在していたもの

          豪快な三振を見せてくれ

          男はオオカミなのよ。氣をつけなさい。 見てくれがどうのじゃないのよ、注意しなさい。 しかし心は清純な場合があるのよ、往々にして。 モテるとかモテないとかの基準は、単純に割り切れるものじゃないのよ。 金持ちだとか、頭がいいとか、目安に出来ないものよ、たぶん。 優しいだとか、気が利くだとか、あまり関係がないのよ。 器用だとかギャップだとか、地位や名誉はリストの中に入らないのよ。 エアコンを消して窓を開けること。 意味もなくうろうろと動くこと。 女の子だってそう。同じ。 好かれよう

          豪快な三振を見せてくれ

          図書館に響くこだま

          人妻で、元女教師である。 謎のベールに包まれていながら、文章がおもしろい。おまけに少しエロティック。 巧い、上手い、美味しい。 魅力的なファクターをふんだんに散りばめていながら、それでいて謙虚でかつ、優しい面も見せる。 好きになる人も多いだろう。私もそのひとりだ。 男性女性問わず。男性女性以外の性別も問わず、好かれるタイプだと思う。 燃え殻、爪切男、こだまさんと、最近読んでいる作家のラインナップだが、私はきっとどうかしている。 1522425

          図書館に響くこだま

          余白の効果、あるいは注23

          【マンドラゴラ】 マンダラゲとも呼ばれる茄子科の植物。古くから豊穣の象徴。強精・催淫の効果ありとされた。絞首刑または首吊り自殺で死んだ男の性器から精液の落ちた所に生え、その根が人の形に似ていて、抜こうとすると叫び声を上げるという俗説がある。 1512424

          余白の効果、あるいは注23

          夜の、海の中で書いたメモ

          やること全部やりました。つって、一日を強制終了させれば毛布のある場所へ思い切りダイブ! あやうく首の骨を折りそうになるけれど、なんとかセーフ。すべてセーフ。 今日もわたくしは嘘を吐きました。と懺悔室で告白するもあわれキリストはクリスマスの日まで「おやすみ」。 コンパネでつくった舞台にセロファンで照らす照明。 わたしたちはまた踊る。 誰に頼まれたわけじゃないけれど。 わたしたちは踊る。 それが踊りに見えたらの話だけれど。 夏の海がなつかしい。 砂浜を、理由もなく走ったっ

          夜の、海の中で書いたメモ

          洗脳

          わかったようなふりをして、わかったような気になって、わかったような言葉使いで人をあやつり洗脳し、気がつけば本当にとりかえしのつかない事をしてしまった「有謬の者」ども。 木に成る果実をもいだ瞬間、その罪は始まっていたのかもしれないけれど、それでも何とか立ち直ろうと試みてもいたはず。 一歩すすんで二歩さがっていたのかもしれない。 翻って己を見れば、もいちど人生をやり直したいか。そう問えば、否。 むしろ現生において一度リハーサルをしたかった。 一度ならず二度も三度も。 此処ではな

          無口な毒

          不条理は芝居ならば楽しんで見るけれども、これがいざ現実世界で起こるとなれば話は別だ。まるで洒落にならない。 しかし往々にして加害者の側はそれがフィクションなのかそれとも生身の人間が生活をしている現実なのかの見分けがつかない。自ら芝居と銘打って舞台に上がり、その妄想だか何だかわからない世界にどっぷりはまり込んで抜け出すことも抜け出そうとすることもしない。 彼らの罪に対して法的な最終処置はさておき、ことそういった現象において起承転結があるのかどうか。私はあるようには思えない。疑っ