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東京荒野 第二十一号

人間には浮力があるから油断をしていると浮き上がってきてしまう。

海に潜って、あるいは沈んで土左衛門になってしまっても、やがてはどこかに浮かんできてしまう。

そういう意味で人間は沈み続けることがむつかしい。

しかし、沈んでいる状態にあると、人はいろんな発見があるものである。

中島らものいう「砂をつかんで立ち上がれ」じゃないけれど、沈んでいるからこそ「掴み得るもの」ってある。

『東京荒野』という季刊誌には、沈んで掴んだ砂が散りばめられている。

その砂は実に多様でカラフルだ。

それら、キラキラした砂粒で気が楽になったり、あるいはそれが持つ毒性によって目がつぶれるほどの痛みがあったりもする。

つまりはそこにはちゃんと喜怒哀楽があるのだ。

あたりまえだと君は云うだろうか?

僕は残念ながらそうは思わない。

村上春樹の有名な言葉だが、彼は「優れたパーカッショニストはいちばん大事な音を叩かない」というような事を云っている。

世界を見回してみると、音がうるさい。

皆が皆、自分の一番大事な音を鳴らし続けているからだ。

僕らはそろそろ、そのノイズに辟易している。食傷ぎみだ。

その事に多くの人はもう気づいてもいる。

あえて本という形で、季刊誌として発行している『東京荒野』の、静かで激しいパンクロックのような姿勢と志しに僕はいつも心打たれるものがある。この本が持つ世界観というか、佇まいが、僕はとても好もしく思う。

本当は出来るだけ多くのひとに、この本を薦めたいところだが、やめておく。

いちばん大事な音は、叩かないでおこう。



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