天才による凡人のための短歌教室  木下龍也(著)


天才による凡人のための短歌教室

まるで己の魂の救済のように短歌を読んでいる。
自分は短歌を詠まないが、読むのが好きだ。
ひとくちに短歌といっても歴史的にいろんなスタイルがある。
なかでも現代口語短歌は身体にすっと入ってくる。
言葉が今現在、自分自身が使用しているものと同じだからだろう、
一行の物語が瞬間的に身体の中に取り込まれるのだ。
それは劇薬を摂取するのと似ている。
即効性のある薬物のように身体と魂に効いてくる。

とはいえ、一瞬読んだだけでは意味のわからないものもある。
歌の意図がうまくつかめないのだ。
何を云っているのかわからない。
でも、妙な云い方だが、その「わからないうた」こそグッと来るものがある。わからないから良い、というか。
想像の余白を刺激するのかもしれない。
短歌が持つ遊び心、脱力感、ゆるされている感、知性、バカバカしさ、すべてが愛おしい。

個人的な思いとして、短歌は同好会的にそれを愛好する者たちが集まってわいのわいの語り合うよりも、自分ひとりでじっくり向き合いたい派だ。
部屋の隅っこで空気みたいになって短歌をひとり読む。
今のところそれが自分のスタイルだ。


B75-2022-27

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