免許更新と電話

週末、帰省して免許更新をしてきた。
良くないことではあるが、住所が変わっても免許の住所を変更していなかったので、今回の更新に当たって住所も変更することを予定していたのだった。
更新のハガキ通知には、免許を更新時に住所変更をするものは住所を確認できるものを持参する事と記載があった。
一応、幸運にも前回の更新からは無事故無違反であり優良運転者に返り咲くことが出来たので、現在の住所地でも免許更新が出来たのだが、その場合住所は変更できない記載であった。そのため、二度手間を踏むよりは一期的に免許の更新と住所変更をするために帰省して免許更新を予定したのだ。今後数ヶ月は、週末にまともに休みを取れる予定がなかったこともあり、急遽当直明けに車で遥々5時間かけて大雨暴風の中、帰省してきた。

しかし、免許更新はもちろん出来たが、住所変更は出来なかった。どうやら、免許センターの職員の方の説明では、「同一県内での住所変更であれば可能」、「県外への住所変更は不可」という説明であった。
ハガキに記載されていることと違うじゃないかという思い、当直明けにわざわざ5時間もかけて来たという思い、二度手間を踏んでも今の居住地で免許更新と住所変更したほうが効率的だったという落胆、そして何よりも自分の目的が果たせなかったという思いで怒りを覚えてしまった。そしてその怒りを説明してくれた職員に向けてしまった・・・。「そうなんですか?出来ないんですか?できるってハガキに書いてありましたけど。じゃあどうすればいいんですか?」と答え、もしかしたら職員の方は自分が怒っているとは思っていなかったかもしれない。しかし、明らかに自分が怒っている事に自分は気づいた。そこでなんとか口調を軟化させることは出来たが、加害的な言動をするパターンに進んでしまっていた。

帰りの5時間はラジオを聞いたり、「前日に家族で鍋を食べれたから良しとしよう」と帰省して良かった面にフォーカスすることで、普段であれば運転にも持ち越していたであろう(これで良く優良運転者になれたものだ)怒りを持ち越さずに帰宅することが出来たのは良かった。

やはり、勝手に自分の思うようになるように期待し、それが叶わなかった時のモラハラ加害者の怒りの沸点の低さは尋常じゃないと感じた。今回の場合、通知ハガキに記載があったからという事が、自分の期待が報われて当然と正当化する盾になったようだ。

そもそも、
①住居地で更新し、住居地の警察署で住所変更をする
②地元の免許センターに、自分の期待する一期的な免許更新と住所変更が可能か連絡を取ってみる

この2択が少なくとも、帰省する前に自分の選択肢として用意されていたはずであり、地元で更新する選択をした以上、②はしておくべきだったのだ。しかし、通知ハガキを免罪符に勝手に、自分の期待が満たされるものと思い込んでいた。
仮にモラハラ的思考をしない人たちは、自分のような状況になってしまったとしてどう考えるのだろうか?「じゃあ、しょうがないか」、「確認しておけばよかった!」、「確認しない自分も悪いよな」と考えるのだろうか。少なくとも、自分のように自己正当化し、他責思考にはならないような気はする。

そこで、電話なのだが、電話が嫌いなんだよなああ・・・
人(家族、他人全て)に自分が電話をしているのを聞かれるのがとにかく嫌で、出来れば人がいるところでの電話という連絡手段は極力避けたいのだ。
元妻と暮らしていたときも、車のディーラーや自分の親、向こうの親と電話するときでも一人になれる空間を探していたくらい電話が嫌い。小学校くらいの時はよく電話して友達と遊ぶ約束してたのだが・・・
高校に入らないと携帯を持たせてもらえない時代+ド田舎という事もあり中学はまだ、家電話の時代だった。中学になり、同じ部活だった同級生の女子たちから家に電話が来るようになった。特に何てことない、「何してたの?」とかそんな内容の電話だったような気がするが。ただ、母親が先に電話に出てしまうことが多かった(自分はゲームから手が離せなかったため)。誰から電話が来ているかも知られており、後ろで親がジロジロ見ている、電話が終わると「どんな話だったの?」など詮索される。この母親の言動が非常に不快で気に入らなかった。故に中学生当時、交際関係に発展する女子がいても、電話したいと言われることは恐怖であった。男友達と電話するからと嘘をついて、子機を抱えて部屋でブルブルしていたこともある。もちろん、交際相手と電話できることは楽しみなのだが、母親が耳をそばだてていないか、また詮索されるのではないかという不快感からブルブルしていたように思える。ドアを隔てて母親が耳をそばだてているような気がして、小声で話してしまい「よく聞こえない」と言われる始末であった。

だから今でも電話は苦手なのだ、せめてするなら一人の空間でないと無理なのだ。
よく医師だと、このコロナのご時世で特有なのかもしれないが、Nsステーションでご家族に病状の説明を電話でしておられる方もいる。素直に凄いと思えてしまう。自分は無理である。人がいる中で、ご家族に病状の説明をするなんて、そこにいるスタッフ全員が聞いている可能性があるじゃないか、中には「なんちゅう説明してるんだ」と思うスタッフもいるかも知れないじゃないか。こんな、事実無根の妄想が広がってしまうため、院内で1人の空間になれるところを探して電話をするのである。馬鹿げた妄想であることは、自分でもわかっているのだが、どうにも出来ない。どこかで勇気を出して踏み出してみると、意外となんでもないことだと理解できるのだろうか。

全く関係のなさそうな免許更新から、自分が電話が嫌いになった理由を再度見つめ直す機会になった。どこに自分の過去を見つめ直すための種が転がってるかわからないものだ。

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