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エッセイ わが青春の深夜放送

「深夜放送」と聞いて若い人は何を想像するだろうか。「ラジオの深夜放送」と言ってもいい。「深夜にやっているラジオの放送」では正解とは言い難い。「深夜放送」とは我が青春時代に、主にミュージシャンがディスクジョッキーを務めていた若者向けの長時間のラジオ番組のことである。全盛期は1970~1980年代ではなかろうか。私は主に高校時代(1972~1974)にお世話になった。深夜放送が当時の若者に受けた理由を考えてみた。
①     当時はテレビの深夜放送がなかった。12時ぐらいで放送は終了となった。当時は何事において、今と違って昼間と夜の境界ははっきりしていた。
②     当時人気のシンガーソングライター、例えば吉田拓郎とか、中島みゆき、松山千春といった人が、飾らない言葉で本音を喋ってくれるので、彼らが非常に身近な存在として感じられた。もちろん生放送である。
③     お喋りの間に音楽を流すので、新しい音楽の情報源になった。
④     聴取者である若者は、リクエストはがきを出して、かけて欲しい曲をリクエストできたし、そのはがきの中でディスクジョッキーにいろいろ質問したりできた。そこでディスクジョッキーと聴取者の交流が生まれた。今のSNSの代わりのような役割を果たしていた。
⑤     受験勉強をしながら聞くというのが主流だった。
⑥     パソコンもスマホもない時代である。ラジオが唯一、深夜の孤独を癒すツールだった。

放送は午前1時から3時が多かったと思う。ニッポン放送の「オールナイトニッポン」文化放送の「セイヤング」、TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」が東京のキー局による主な放送だった。私の住む愛知県ではオールナイトニッポン以外は聞けなかった。周波数を合わせて、雑音まじりの放送に耳を傾けていたこともある。名古屋には名古屋の、大阪には大阪の独自の深夜放送があって、ローカル色を楽しむこともあった。
 私は中毒患者のように深夜放送を聴いた。聴かずには寝られなかった。部屋が兄と共用だったので、イヤホンで聴いていた。いつも途中で眠ってしまった。イヤホンを耳に刺したまま寝ているので、朝、母親が怒った。ラジオを取り上げられたこともある。それでもすぐに取り返して聴いていた。受験勉強で一日を終わることが、とてつもなく空しいことのように思われていた。深夜放送を聴きながらその日を終わりたいと思っていた。そうすることによって、空しさが少しでも和らぐような錯覚に陥っていたのだろう。
 今の若者は深夜放送を必要とはしていないだろう。夜の孤独を埋めるツールはいくらでもある。しかし、生の声はテレビでは聞けないだろう。文字でもわからない、生の魅力。吉田拓郎や、中島みゆき、松山千春があんなにも騒がしいほどのお喋りだなんて、ラジオでなければわからない。映像がないからこそ、彼らも好き放題に喋れたんだと思う。
 懐かしき、わが青春時代の思い出である。

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