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エッセイ 捨てられなかったエアコン

 今から30年近く前の3月。私は風邪をこじらせて会社を1週間も休むことになった。ひとり、ボロ借家のふとんの中で悪寒に襲われながら震えていた。結婚する前の話である。原因不明の病であった。悪寒というのが適当かどうかわからないが、体の芯で寒気を感じていたので、目いっぱいの厚着をして、ありったけのふとんを重ねて、さらにエアコンをガンガンかけても、背筋をゾクゾクっと寒気が走った。医者で注射を打ってもらっても、半日で薬の効き目が切れると、元に戻ってしまった。
 なんとかしなくてはいけない。ひとりで思案を巡らせた。実は次の日曜日にその時購入したマンション(現在のマンション)に引っ越しをする予定でいたのだ。鍵はすでに受け取っていた。その引っ越しを前倒しできないかと考えた。その理由はただひとつ。そこに引っ越せば、評判のいい医者に歩いて通えるからであった。借家のそばの医者に行っていたのだが、残念ながらヤブであった。ヤブ医者って本当にいるんだとつくづく思った。注射を打ってくれとこちらから頼まないと打ってくれない。打っても治らない。点滴をしても、私が、「寒気がするから、トイレに行きたい」と言うと、我慢しなさいと言う。我慢できないと言ったら、点滴は中止された。こんなところにいたら、いつ直るかわかったもんじゃないと思った。
 今度引っ越すマンションのそばの医者は会社で評判がよかった。引っ越しを繰り上げて、マンションから、その医者に通おうと考えたのだ。だが、どうやって前倒しするかだ。私には親父の代から馴染みにしている電器屋がいた。もともと電化製品の運搬はそこに頼んであった。それを前倒しして、必要最低限の、冷蔵庫、テレビ、そして私自身をふとん付きで運んでもらおうと考えた。私の床は南向きの和室に敷いてもらった。そしてその和室に2台目となる新しいエアコンを取り付けて、私がマンションに着くまでに、部屋を暖めておくように頼んだ。それぐらいに切羽詰まっていた。その電器屋が、入院を勧めるほどであった。
 無事引っ越しを終えた私は、そこから歩いて新しい医者に通った。点滴をしても(点滴をしながらトイレにも行かせてくれた)熱が下がらないので、坐薬を使うことにした。生まれて初めての経験であった。これが面白いように効いた。ザーッと大汗をかいて、一度少し戻ったが、2回目には、完全に熱は下がった。今までの苦しみは何だったんだと、腹立たしさを覚えた。
 あれから30年。あの時、和室に急いで取り付けたエアコンは今も和室にそのまま残っている。和室は仏間として使っていて、普段寝起きすることがないので、新しいエアコンに替える必要がなかったのがその理由ではあるが、なんとなく、捨てられなかったというのもある。あのエアコンは私の命の恩人だと思っているから。その命の恩人が、去年の夏に(今度は暑い時期だ)リビングのエアコンが突然動かなくなった時に、またしても私たち(夫婦ともども)を救ってくれた。(「古いエアコン」参照)
本当にありがとう。私と同じ、時代遅れのエアコンさん。


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