見出し画像

映画感想文 『戦場にかける橋』 戦場に橋はかかったか?

 先日天皇と皇后がイギリスを訪問した際に、太平洋戦争中の、イギリス人捕虜の非道な取り扱いについての言及があった。
 太平洋戦争は日本とアメリカだけの戦争ではなかった。インドネシアではオランダと戦っているし、インドシナ半島ではイギリスと戦った。ABCD包囲陣と呼ばれる所以である。
 タイとビルマ(当時)を結ぶ泰面鉄道のクウェー川(映画ではクワイ川)に架ける橋の建設(1943年)を巡っての日本軍とイギリス人捕虜の対立を描いた映画『戦場にかける橋』は名作の誉れが高い。
 「生きて虜囚の辱めを受けず」の日本軍にとって、捕虜になること、ましてや何百人も捕虜になること自体が理解できないことであった。それは指揮官にとっては恥以外の何物でもなかった。その無能な指揮官を、捕虜になってからも将校として優遇せよというのは、とても理解のできないことであった。ここに日本とイギリスの根本的な考え方の相違がある。
 「勝つか負けるか」を「生きるか死ぬか」の二者択一と考えると日本と、勝ち目のない戦いはせずに「降伏する」という、もう一つの選択肢をもっているイギリスとの差である。日本のような逃げ場のない考え方は世界でも珍しいのではないか。ドイツですら、勝ち目のない戦闘では降伏している。そんな日本の狭い考え方を押し付けられる方はたまったものではない。
 当時の日本軍にとって、捕虜は日本に歯向かった犯罪者であって、その犯罪者を戦場で生存させることは無駄飯を食わせることぐらいの認識しか持っていなかったのではないか。人権意識の希薄さは、隠しようのないところであろう。謝罪をするとかしないかという以前の、未熟さの問題である。O型、B型の言うことに耳を傾けず、A型のやりかた一辺倒で突っ走ったことの歪みだと私は思う。
 イギリス軍が橋を完成させたのは、当時のイギリス軍の建築能力の優位さを物語るとともに、奴隷的労働より、主体性労働の方が効率的であることの証明となろう。その一瞬の人間性の煌めきも戦争という狂気は木っ端みじんに破壊してしまう。             (私の個人的見解です)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?