世界の形が決定的に変わった中で、(旅するような暮らしのラジオ #12)

いつかこういう日が来ることを、本当は誰もが知っていた。平穏な日々がだらだらと続くわけがないことを、このまま逃げ切れるわけがないことを、俺たちはずっと感じていた。俺たちは別になにもしていない。なにも決めていない。なにも選んでいない。それでも、このまま逃げ切れるわけはない。世界はいつか決定的に変わってしまうだろうと誰もが予感していて、誰もがずっと、知らないふりをしていたのだ。ー小説『天気の子』より

映画『天気の子』のBlu-ray・DVDが先月から発売されたらしい。
ということをやや遅れて知って、普段それらの類を買う習慣はないのですが、小説版のこんな一節のことを思い出しました。

新海誠監督の作品は全部は見てないのだけど(特に『秒速5センチメートル』は見たらとにかく引きずる、と脅されて以来見てないのでファンを名乗る気はさらさらありません)、『言の葉の庭』『君の名は。』『天気の子』は小説版も併せて読むくらい好きです。


冒頭引用したのは、主人公の少年の近くにいる、とある登場人物のモノローグ。
この物語では「少年」と「大人」の対比が描かれていて、小説版は読むたびにどちらにも感情移入できてしまうので、何度も何度も味わうことができます。

子どもって、大人に比べれば実際に出来ることは少ないし小さいかもしれない。でも、ともすれば大人になってからの方が、諦めたり委ねたりしてしまうことが多くなったり。

子どもの頃の方がむしろ、思い通りにいかない理不尽さと同時に、それに抗い己の力で世界をブン回せるような、謎の万能感を持っていたりしませんでしたか?


物語の中で、主人公はある選択をして、世界の形を決定的に変えてしまいます。

それ自体の正解不正解はさておき、新海監督は、少年が自らの意志で大切なものを選び、そして世界を変えたということそのものを伝えたかったのだと思います。
そこに監督から今を生きる少年少女への、そしてかつて少年少女だった人へのメッセージが込められているのだと。


映画上映から約1年。世界の形は本当に決定的に変わってしまいました。
でも物語の終盤で描かれるように、この状態もいつしか当たり前になり、「ニューノーマル」はきっといずれただのノーマルになるのでしょう。

そしてまた必ずや何らかの形で、僕たちはまた変化する世界から逃げ切れず、翻弄される時がやってくるのでしょう。


望むと望まないとに関わらず、いつか決定的に変わってしまう世界の中で、僕はなにを選ぶのか。

もしくは僕にもなにかを選ぶことで、誰かの世界の形を変えることができるのか。


そんなことを考えて、うん。やっぱりBlu-ray、買ってみようかな。と珍しく考えています。


そうそう。新海作品が好きな方は、小説版と音楽を一緒に楽しむことを心からおすすめします。

特に小説版の言い回しが歌詞とリンクしていたり、「この表現ってもしかしてあのシーンの元になってる?」という思わぬ繋がりが想像できて、そんなことを思いながら映像を見ると、感動が何倍にもなりますよ。

※ぜひ概要欄も読んでみてください。


今日のところはこの辺で!

それでは、また。


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