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他人からの承認を求めることより大切なものとは?

5歳と2歳の娘たちは一日中、文字通り一日中朝から晩までしゃべり、歌い、踊り続けています。そして、そのたびに「パパみて!」「パパみて!」を連発してきます。で、ちゃんと返事をしなかったり、見てあげないとすねる、怒る。

で、実はこれって大人も同じだなと思いました。大人でも、人に注目して欲しい、かまって欲しいという気持ちを強く持っていますよね。それを強く相手に求めるかは人それぞれですが。

そして、こういう「私を見て!」傾向はおっさんによく見られます。特に仕事でうまくいっている人たち。「もっと俺に注目しろ!褒めろ!」という偉くなったおっさんはビジネス界にたくさんいますよね。

ただ、こういう自己顕示欲が当たり前になってしまうのは危険です。キリがないんですよね。いつまでも満たされない。なので、それを周囲に求め続けているうちに袋小路にはまっていく人がたくさんいます。これは、私もひとりのおっさんとして常に自戒しているところです。

「それ違うでしょ」と言ってくれる人の重要性

なぜ中年のおっさんがこうなってしまうかというと、「まわりに苦言を呈してくれる人がいなくなること」が大きいです。

地位や報酬を得ると、周りから褒めそやされることが増えて、人は自信を持って傲慢になりがちです。結果として自己顕示欲や自尊心の暴走を止められなくなる人も多い。私もビジネスの現場でそんな人をたくさん見てきました。

なので、私は「お前のそれ間違ってるよ」と直言してくれる人を大事にするようにしています。例えば中1からの親友であるK。最近も、独立して前のめりになっていた私を見て、「いや、それちがうでしょ。まずは2年くらい地道にやんなよ」と言ってくれました。この言葉に「はっ!」とさせられた私は、それからは落ち着いて地道に毎日やるべきことをこなせています。やはり、自分だけでは気づけないことって多いんですよね。

仕事「だけ」が大切なものではない

加えて、ここ5年ほど育児を経験して気づいたことがあります。それは、仕事をうまくできることは、今の世間で言われてるほど価値があるわけではないんだなということ。

長女が2歳だったころ、数ヶ月ワンオペ育児をしていた時があります。長女を起こして朝食を食べさせ保育園に連れて行き、昼間は仕事をして、夕方に迎えに行って夕食を食べさせ、そのあと風呂に入れて寝かせるのは本当に大変でした。

一方で、毎日必死に育児と仕事をこなしながら、長女と歌い、笑い、大騒ぎして過ごしていた日々は、自分の中に価値ある記憶として静かに残り続けています。そして、大切なのは、それを不特定多数のだれかに褒めてもらう必要はないということ。自分の心の奥深くに、その時の記憶が「たしかにあるんだ」という感覚があれば、それは自分をこれからもあたためつづけてくれるからです。

日本に限らず世界中で、「ビジネスで成功すること」の価値が上がり過ぎているように思います。ビジネスの成功者が次から次と崇められる構造は不健全です。なぜ地位と報酬をすでに得ている人たちが、尊敬や名声まで得る必要があるのか?このシンプルな問いかけは、いろいろなことが複雑に絡み合って容易にほどけそうにない今だからこそ、意味があるのではと感じます。

もちろん、仕事は大切です。そして面白いです。でも、ギャン泣きする娘を保育園までなんとか連れて行くことも、老いた両親の世話をすることも大切だし、そこには大きな意味がある。別に他人から称賛を受けなくても、自分の中にある、小さくてもたしかな記憶こそが人生を支えてくれると思います。

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「不特定多数」の誰かに注目され、称賛を受けることで自尊心を満たしていくゲームに終わりはありません。ひとりのおっさんとして、いま自分の近くにいてくれる人をよく見て、その関係性を大切にしながら、なにかを作り上げていくことに集中したいなとあらためて考えています。

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