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「理想の自分」を追いかけるのをやめてみた時のこと

最近は仕事における「内発的動機づけ」の重要性が語られることが増えました。昇進や報酬といった「外発的動機づけ」よりも、自分が心からやりたいと思う、社会的にも意義のあることをやりたいという人は増えているように思います。

私自身も過去を振り返ったときに、内発的動機づけが仕事をドライブしてくれたことも多く、その重要性に異論はありません。一方で、あまりに内発的動機に関心が行き過ぎるのも危険かなとも思っています。特に「理想の仕事、そして自分の追求」みたいな思考が強すぎてしまうことに対して。

というのも、仕事というのはどこまでいっても他者(組織、取引先、上司、同僚などなど)との関係性を通じてしか前に進みません。自分がこうしたい!と強く思っても、それを実行するときには必ず他者と何かしらの調整をしていく必要があります。そこではかならず譲歩や妥協が生まれます。

がゆえに、自分自身の理想の追求、という側面を強く意識しすぎると、どんな仕事でも求められてくる譲歩や妥協を許せなくなりがちです。「こんなのおかしい」「自分はこうしたいのに」「これではなりたい自分になれないよ」と…

こういう思考のループに入ってしまうのはとても厄介です。というのも、よく考えれば自明ですが、状況も他人もそう簡単には変わらないからです。「こうしてください」「はいわかりました」と自分が望むようにやってくれる相手ってそうそういないですよね。そもそも、自分だって他人から「こうしてください」と言われたら「なんでよ?」と言い返しちゃうわけで。

例えば、私は「日本企業のグローバル化を支援する仕事をしたい」と考えて経営コンサルに転職しました。でも、そこで待っていた現実はグローバル化支援とは全然関係ないアサインの連続。というか、アサインに不満を言う前に、全く実力不足だった私はほどなく「飛ばされる」形で間接部門に異動となりました。

なんだか自分の理想とだいぶずれてきたなと思いつつ、毎日とぼとぼと仕事をやっていたら、世界各国の同僚と進めるプロジェクトに関わったり、外国人CFOやCOOといった経営幹部をサポートする仕事がいつの間にか増えてきました。多国籍企業の間接部門というのはすごく「グローバル化」されていて、毎日コツコツと仕事をしていたら、思いがけずもともとやりたいなと思っていた仕事に辿り着いていました。

ここでポイントだったなと思うのは、間接部門に異動してからの私は、理想の自分、理想の仕事といったことを考えなくなったことです。「なんか望んでいた理想とはだいぶずれてきたけど、幸いクビは免れたし、ちゃんと毎日の仕事はあるし、とにかく目の前のことをコツコツやろう」と思いながら、毎日会社に行って、その日にやるべきことをきっちり仕上げることに集中していました。

DeNAの南場さんの「コトに向かう」という言葉があります。これは見事な表現で、私のキャリアが思いがけず好転したのも、まさに「コトに向かえていた」からだと思います。

自分はこうなりたい、こういう仕事をやりたい。そういう抽象化された理想をいったん脇に置いて、規則正しい生活を送り、毎日やるべきことを丁寧にこなしていく。この積み重ねが、思いがけず自分がこうなりたいと思っていた場所につながっていった。

もちろん私はすごくラッキーでした。いろいろな条件がうまく合わさって、良い機会や人に出会うことができた。ただ、毎日規則正しい生活をして、やるべき仕事を一つ一つ片付けていくあのリズムと手応えはいまでもよく覚えています。そして、その小さな、でも確かな手応えはその後の人生を静かに支えてくれたように思います。

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ここからは「起業日記」です。日々こつこつとやっております。

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