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道徳『ぐみの木と小鳥』

小学2年生の道徳の教科書掲載のお話。
このお話は親切思いやりの気持ちを育てるということらしいが、子供の話を聞いてこんな命に関わる話で親切、思いやりを教えるのはどうかと思った。
自己犠牲を美徳としていいのか?
子供から道徳の授業の様子を聞いてモヤモヤしたので書かせてもらう。

【あらすじ】
ぐみの木にお腹がすいた小鳥が飛んできて、ぐみの実を恵んでもらう。ぐみの実を美味しそうに食べる小鳥を見て、ぐみの木は最近姿を見せないりすのことを思い出す。ぐみの木は小鳥にりすの様子を見てきてくれないかと頼み、小鳥はぐみの実を咥えてりすの元へ。りすは病気で寝込んでいた。小鳥に感謝するりす。次の日も小鳥はぐみの実をりすに届ける。その次の日も。そして次の日、嵐がくる。
ぐみの木は無理しないよう小鳥を止めるが、小鳥は地面に叩きつけられそうになりながら、力を振り絞ってりすにぐみの実を届ける。りすは、嵐の中でもぐみの実を届けてくれた小鳥の姿に感謝を伝える。小鳥はそれを聞き嬉しく思う。

この話を聞き、こう質問されたらどう答えますか?
あなたが小鳥だとしたら、嵐の中、りすにぐみの実を届けますか?




授業では、
       ・届ける                30人くらい
       ・届けない            1人
       ・迷っている        3人
だったという。

私はこの話を子供から聞いた時、「届けない」を選んだ。子供にどちらを選んだかを聞いたところ、子供も「届けない」を選んでいた。皆と意見が違っても、きちんと自分の意見を言えたことが嬉しかった。夫に質問したところ「届けない」を選んだ。親の考えが子供に影響していることを実感した。

私は「届ける」を選ぶ子供が多いことがショックだった。授業の進め方にも影響されると思うが…
最後まで「届けない」に意見が変わる子はいなかったようで残念だった。

授業がどのように進められていたか分からないが、素直な子や大人の意向をくみとれる子が多いのかもしれない。少数派は想像力が豊かだったり、現実的だったりするのかもしれない。

子供になぜ「届けない」を選んだかを聞いたところ、地面に叩きつけられそうになってるから死ぬかもしれないとの言葉が返ってきた。普段から、最後に自分を守れるのは自分だけと伝えてるのがきちんと伝わっていたと思った。

普段から
・大人が全て正しい訳では無い
・皆が言うから正しい訳では無い
・自分に余裕がないと誰かを助けられない
・まずは自分のことを守ることが第一
と伝えている。
これは、東日本大震災で子供も自分の身は自分で守る必要があると思ったからだ。自分の命を守るためには知識を増やして、その中で最善の方法を考えて行動しなければならない。大人と一緒だから、皆と一緒だから絶対に大丈夫という訳では無いと思っている。

親としての責任感が無いとか、自分勝手などと言われるのかもしれないが、命に関わるものは子供でも自分で決めるべきだと思う。自分の意見が皆と一緒であればそのとおりにすべきだし、それでは危ないと思うのなら正しいと思う行動をとればいいと思う。
このままでは死ぬと思えば、大人にだって従わなくてもいい。

「届ける」を選んでもそれはそれでいいと思う。無事に届けられれば、りすもぐみの木も喜ぶし、早く病気が治るかもしれない。皆が幸せになれる。
「届けない」を選んでもそれはそれでいいと思う。自分が死ぬかもしれない場合は他人をの命を優先する必要はない。警察官や消防士や人を守る職業ならば仕方ない。無理に届けてそのまま死んでしまったら、その後りすにぐみの実を届けることも出来なくなる。
嵐がおさまりそうな時なら「届ける」になるかもしれない。
「届けるために飛ぶが、状況によっては戻る」でもいいと思う。

道徳は色々な意見を学ぶ授業だと思っている。
「届けない」と答えた少数の子供の考えが他の子供にも伝わり、そんな考えもあるのかと思ってくれていたら良いと思う。自分の意見と違う、大勢の意見と違うということで疎外されることにならなければと願っている。

仕事でよく言われる『安全は全てに優先する』という言葉。この言葉は仕事以外でも有効だと思うし、命は軽視されてはいけないと思う。

親切や思いやりを教えるには、このお話は少し行き過ぎだと思う。自己犠牲は美徳とすべきでない。
大人の世界でも自己犠牲を見直し始めている中、このお話から子供に自己犠牲を教えようとしているような指導案をネット上で見かけたため、そう思った。







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