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人それぞれの愛の分かれ道

今朝、布団の中で見たLINEニュースがあまりにも衝撃すぎて・・・
そのあと吐き気がして、ルーティンの二度寝ができなかった。

ダイアナ

結婚前夜に・・・。「何も結婚前夜に」の気持ちが高ぶって吐き気がしたのだ。なんだろう?まるでダイアナ妃になったかのようだ。縁もゆかりないけどね。

記者:
「ダイアナが私に語った最も衝撃的なことのひとつは、結婚式前夜に、チャールズ皇太子から『愛していない』と告げられたということです」

「皇太子は、嘘に基づいた結婚生活を送りたくなかったのだと思います。それを彼女にきちんと伝えておきたかったのでしょうが、ダイアナのとっては壊滅的なできごとでした・・・ダイアナはその時点で、結婚を取りやめたいと考えました」

この記事を読んでも、別に何も感じない方もいると思うし「え~ひどい!」で終わる方もいるだろう。
自分でもわからないけど、胸が締め付けられるような思いが今でもずっとある。
自分の結婚と照らし合わせている感じかな。

どれだけの人が「愛してる」を前提にして結婚という契約に踏み切っているのだろうか?
20代の頃は恋愛の延長上に「結婚」が存在していた私。20代で結婚した私は、その後に「恋愛」の期間は短いことに気が付く。それは家族が増えるからなのかもしれない・・・家族が増えるというのは子供の誕生がきっかけではなく、結婚したことで相手の家族も家族になることだ。

私は母に結婚当初、どうしても夫の家族に馴染めず「辛い」やら「面倒だ」とよく愚痴っていた。そんな私を母は「そのうち慣れる」とか「我慢!」と何の解決にもならないエールをくれたが、納得のいかない私はこの質問をした。
「結婚をしたら、相手の家族も愛さなければならないの?」
母はこの質問に黙ったままだった。
今、私がもし娘から同じ質問をされたなら返答は、
愛したければ愛せばいい、愛したくなければ愛さなくていい・・・
愛は決して義務ではないということを伝えると思う。
時に変化したっていいのではないだろうか?人の気持ちはコロコロ変わる。
その時その時が本心である。昨日は愛してたけど、今日は愛していないかももアリ♪ 自分の気持ちに嘘をつくほどくるしくなっていくから・・・


こんなことじゃ「結婚」なんかできないんじゃない?と自分の中でもふと疑問が浮かぶ。
結婚式は神聖な場だ。「あなたは永遠の愛を誓いますか?」


「正直に言います、神様。わかりません・・・永遠に変わらない愛が何なのか?だけど、愛をもって生きていく私でありたいです」

こんな風に答えるだろうな、今の私だったら。

ダイアナ妃の心中を思うと胸がグッと苦しくなるが、チャールズ皇太子が本当に言いたかったことは
「愛しているかどうかなんてわからない・・・だけど、愛を育んでいきたい」ではないのだろうか。これは私からの願いを込めている部分もあるが。

どうしても何か事件や問題が起きると、どうしてもやってしまうのは
ジャッジ
この場合はダイアナ妃がかわいそうで(実際に傷ついたと思う)、チャールズ皇太子は傷つけた悪人。

これは良くて、これはダメなどなど、白か黒か、勝ちか負けかの世界。
競争の中で生きてきた私たちは、ジャッジをして決着を求めてしまう。必要な時もあるだろう。決着を急ぐ前に背景を見ることも必要なのではないだろうか?弁護をするつもりはサラサラないが、チャールズ皇太子の背負っていたものも大きかったのだろう。
ダイアナ妃に向けて放った言葉は辛らつではあったが、彼の誠意も込めらていたとしたならば、本当は愛情深い正直な男なのかもしれない。

ダイアナ妃が事故でなくなってから約20年、彼女は今でも多くの人々から愛されている。これは生涯、彼女が一人の男性だけに愛を捧げたのではなく、多くの人たちに愛を自分から与えた証だろうと思う。

愛は心を受けると書きます。たくさんの愛をありがとう・・・

必要な方に届きますように・・・愛をこめて

Nori






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