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「モラハラをする夫」だけではなく・・

先日、仙台から東京に戻るバスの中でのこと。NHKラジオを聴いていると、ゲストに芸人のにしおかすみこさんが来られた。
にしおかすみこさんのお名前は知っているが、世代の問題なのか、あまり芸人のイメージが沸かない。
ただラジオの中で、「認知症の母」「ダウン症の姉」「酔っ払いの父」そして「一発屋の自分」という芸人らしい冒頭のキャッチフレーズに、思わず心を奪われ、ラジオで話すにしおかさんに聞き入っていた。

にしおかさんの現状

にしおかすみこさんは50歳手前。コロナをきっかけに芸人の仕事は激減。現在は実家で家族のお世話もしているそう。
お母さんは認知症を発症されている、お姉さんはダウン症の特徴を持たれている、お父さんはマイペースで酔っ払い、そんな家族をにしおかさんが守っている。

家族と向き合う中でも、何か改善方法とか、解決策のようなものは見えておらず、ただ毎日が過ぎていくのだそう。先のことを考えることから目を背けてしまう、その気持ちは私もよくわかる。

「ダウン症の姉」と言わない

ラジオを聴いていて、心を打たれた言葉がある。
姉のことを語る際に、「ダウン症の姉」というのではなく「私の姉はダウン症の特徴を持っていて・・」というようにしているというものである。

「ダウン症の姉」というように、「ダウン症」を主語に置くと、
姉=ダウン症と受けられてしまい、ダウン症の特徴以外の姉の個性が見えずらくなってしまう。

一方で、「私の姉はダウン症の特徴を持っていて・・」と人である姉を主語に置くと、ダウン症の特徴は姉の中の一部分であるという肯定的な言い方になるのではないか。

高速バスの中から、日の入り前の安達太良山を目に焼きながら、思わず首を縦に振っている私を今でも覚えている。

ダウン症は、病気ではなく、人が持つ「個性」である

私はこの考え方に強く共感している。
3歳半になる私の最愛の息子が、出生時に先天性心疾患を患っていたこともあり、染色体異常を持って生まれてくることも覚悟をしていた。
ダウン症を病気やハンディキャップとしてとらえるのではなく、一人の人間の個性として尊重したい、そう心に決めて出産の日を心待ちにしていたことも影響しているのかもしれない。

私たちは、ダウン症と聞くとどうしても障害や病気と捉えがちだ。
そのうえ、「ダウン症の〇〇さん」とダウン症を主語に置いてしまうと、その先入観にさらに拍車がかかるのではないか。

「モラハラをする夫」ではなく・・

私が妻にモラハラ言動をし、妻を苦しめてしまったことを否定するものではない。その過去は変えることができないし、妻には心から申し訳ない気持ちでいっぱいである。だから、私は妻の傷に生涯寄り添い、死ぬまでに傷以上のあふれるほどの幸せを提供すると心の中で決めている。

先ほどのダウン症の特徴と同じように、私を「モラハラをする夫」と表現してしまうと、
夫である私のモラハラ以外の面が見えなくなってしまってしまう。
あまり言える立場にはないが、モラハラに気づき、原因を突き止め、自分を変えようとする私がここにいるのも事実。
だから、私は自分への勇気づけを含めて、モラハラ言動を語る際には、「モラハラをする私」に置かないようにしたい。
過去は変えることができない、でも今と未来はいくらでも良いものに変えていけると信じているから。


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