どれだけAIが普及しても、最後は自分が判断する
色んなAI情報を発信してくれる人がTwitter界隈には沢山いる
その目的は1つで
AIを担いで金を稼ぐ(言葉が雑すぎるけど)
そのために
通販手法を使って
接触頻度(タッチポイントだ)を上げるためにLINEに誘導したりする
四半世紀前のタッチポイントを増やす方法は4マス(TVCM、新聞、電車の中吊り広告など、あ、あとラジオか)だったけど、その時代に広告畑で働いていた人たちはこの今の時代はとてもじゃないけど想像できなかったよね
…
ユーザーが広告塔になる時代だけど
その情報の信憑性は誰に問えば良いのか本当にむずかしい時代
けど、やっぱり
自身の勘や違和感が最後に残るなー
って思う(特に違和感ね)
勘の源泉ってなんだろう?
って考えた事があったんだけど、それはやっぱり
自分が得た情報や知識、知見
自分の経験
これらは点で自分の中に無数に散らばっていて(むしろ、散らかっている)
思考を繰り返し続けると、
!!!(びっくりマークという名のひらめき?)
となって、自分に腹落ちするんよね
思考は止めてはいけないなと改めて思うけど、
寝る前は本気で止めたいわ笑
…
改めて思うけど、色んな真新しい経験を積み上げるって大切よね
検索エンジもAIも教えてくれない自身の体験は資産だね
チャレンジする事は怖いことではなくて、楽しい経験を増やすこと
と思って、ご機嫌と不機嫌の背中合わせで生きています笑
駄文の垂れ流しを最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
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