見出し画像

主導、能動、主体性、20〜30代の頃の仕事に対する姿勢の話。

昨日は簡単な職歴を書き出してみました。

そこで改めて気づいたことはシンプルで、好きなことを追求してはいない人生だなということ。


20〜30才代までは、何がなんでもやりたい事を持っていなかったので、仕事とは、やれること、向いてること、求められることに応えること、ぐらいの定義づけだった。


やりたい事という主導ではなく、機会あって巡ってきた仕事を楽しむという、受動だったなと思い当たる。

悪いことではないだろうけど、能動性が欠けていたことは、今の私の価値観からするとちょっとマイナス。

ざっと英語にしてみと、

主導→initiative イニシアティブ
受動→passive reactive リアクティブ
能動→active アクティブ
あと主体性→independence インディペンデンス

しっくりくる。

イニシアティブが自分ではなかった。受け身だったんですね。そして主体性がなかった。



学生時代に遡ると、高校時代はテニス部のキャプテンだった。

英語が大好きで外大に入学したけど、もっと本場に身を置きたくてアメリカの大学への編入を決め、日本の学校は退学した。

その留学直前の18才での人生初の海外渡航はインドネシア1週間ひとり旅だった。

…などの行動から、主体性のない性格だとは自覚してなかったよね。


まぁでも、好きなことを選んで行動していたとはいえ、社会に出るまでは大前提として親の庇護の元だったわけで。


家族に反対された末の海外ひとり旅も確かエアチケット代の一部を親に負担してもらったし、これまた大反対されたが時間をかけて父への説得を繰り返し首を縦にふらせた留学も、もちろん学費は親負担。

しかるべき相手に熱くプレゼンをし、説き伏せれば願いが叶う。そんな捉え方だったのか。



社会人になってからの、来るもの拒まず執着もせずの姿勢が、何かしら功を奏しているとしたらそれは何だろう。


例えば生地の会社ではボスがシンガポール生まれのインド人で敬虔なスーク教徒、アシストしていた敏腕営業マンはマレー人で、社内では英語日本語マレー語ヒンディー語が入り混じるオープンな職場だった。

仕事内容はタフな営業でまだまだ旧態然とした男性社会ではあったがその分やり甲斐があった。

出張が多く、様々な国籍の面白い人たちと出会えたし、語学も活かせ行ったことのない国に行き、刺激のなかでも大好物の「文化の違い」を堪能でき、私に合ってると感じていた。


情勢により事業縮小やらベテラン勢の解雇などもあり、私の営業アシスタントというポジションは長くは続かなかった。

今フシギに思うのは、あんなに気に入ってた仕事なら、なぜ執着しなかったのかということ。

少しでも長く在籍するための努力が出来たはず。アシスタントではなく一人前の営業として会社に利益をもたらせていれば、また違う道筋ができていただろうな。


なんだか、もらったお金は浪費に使いがちな様に、たまたま誘われて得たチャンスだったから、自分のものにして活かしてもっと上に行こうという発想に至らなかったのかな。


面白いし学びが多いと思って就業してはいたけど、そこまでの情熱を持って自分のものにして成果を出すことにこだわってはいなかった。そういうこと。

その意味ではふわふわしてたんやな。

仕事ってそんなんじゃないよね。

そのフェーズが過ぎてからの30才後半〜現在の私はどうなのか。

何を得て何を失ってここまできたのか。



これからは、自らの望みややりたい事にフォーカスし、実現させることに時間とエネルギーを使う。

それが今のスタンス。

キレイに言葉ではそう言えるけど、現実とのギャップ、あるよね?

よく向き合って舵をとっていかなくちゃ。

もう少し、職歴をなぞりながら考察していきます。


つづきは次回。

おやすみなさい。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?