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本当にあったウソのようなお話。

上の写真は母のお地蔵様です。眼鏡をかけていたのでお地蔵様もめがねをかけています。「お母さん私を見守ってね」って心を込めながら軽石で彫り上げた私の作品です。

さて、このお話は実話です。 私の母が元気だったころのお話です。いまはもう天国の平和な場所で安心して暮らしていると思います。ね、おかあさん!!

なぜこれを書く気になったかと言いますと 高齢化した人のお世話が多くなる社会に突入しております。

本当にあったウソのようなこの話は他人事と思いがちですけどご高齢の方が騙される手口の一つになっているようです。世の中には悪い人がいるから変だなと思ったらまず疑ってみましょう。

私は新聞記事にも投稿しましたけどあまりにおおいお話なので記事にならないとお断りがありました。記事にならないほど一般的になっているようです。

先ず最初に起こったこと。

娘から おばあちゃんがお金貸してって 電話があったんだけれど 10万円貸してもいい?と、NZに住んでいる私に連絡が入りました。貸しませんでした。

その後 毎日朝に母のところに電話がかかってきて外出してたらしいです。母は弟家族と別のお部屋で完全自炊をしてたので電話も別Lineを引いておりましたが毎日リング音が聞こえていたそうです。が、社交的な母であったことから別に気にも留めてなかったそうです。

しばらく何か月かしたあと、母は家に戻らくなって、そのうえ 朝早くに弟の家の前で「ここに住んでいる方は貸したお金を返しません」と大声で言ってたそうです。ヤクザです。

警察に通告しましたが 外だけの大声は警察は取り締まることはできないそうです。

そうしているうちに。

取り立て屋さんが 母が書いたと思われる借用書を弟の家に持って来て多額を請求をされてたそうです。

これも警察は取り締まることができなかったようです。

そして母は2週間ほど行方が分からなくなっておりました。

そののち。

母は帰宅してきたので 私たち家族はほっとしておりましたら 母は親しい人からたくさんの借金をしていることがわかりました。

そのころからアルツハイマーが出ているのではと思わせる行動が出始めてきておりました。

私が思うには 忘れたいと思うことがあった場合 アルツハイマーになりやすいのではと思います。母は私には言いたくなかったみたいですけど事件の一部始終を話ししてくれました。その時は私は母に会うため日本にいました。

どんなお話し?

かといいますと、ある日バスに乗ろうと家の近くのバス停に行ったそうです。

二人の少女とお母さんが泣いていたそうです。

尋ねると お金を前の駅で落としたので家に帰るお金がないのと母に涙で訴えたそうです。

母は1000円上げたそうです。次の日、そのバス停でまた出会って、それからだんだんと親しくなっていったらしいです。

ここが高齢者に対する大事な心のポイント。

そのころ孫も大きくなって一緒に出掛けることが少なくなっていた母です。そんなとき 彼女の心のさみしさに ひょっと魔がさしたのでしょうね、その二人の少女が「おばあちゃん、おばあちゃん」「お母さんがお仕事なのでご飯食べてない」「作ってほしい」など甘えてきたそうです。

それが母にとってはたまらなくうれしかったようです。その人の家に行ってお掃除したり、食事の用意をしたり毎日出かけて行ってたそうです。

そのうちに 誰かわかりませんが銀行に行って母の年金を下ろさせていたようで、その人が毎朝、母に電話をかけ、その後その人に出会うように出かけていたようです。

あとになって思うのですが、我々家族がもっと母の行動に関心持っていたらこのような事件は起こりにくかったかもしれません。

年金が空になるまで引き出され、そのうえ、母が借用証にハンコを押していたのです。母は印鑑おしたことには全然記憶にないのですが。その取り立て屋やが来たり 嫌がらせの大声で借金返済を迫ってきておったそうです。

片や一方では。

そのころは母の行くへはどこなのかわかりませんし、なにが起こったのかも検討が付かなかったのです。

娘に借金をしてみたが断られたので 次には母の友人から借金をし始めたのです。まさか母の友人から借金をしていたとは気が付きませんでした。

家族も探し回りました。と、近くに別居した主人がいたのです。二人の娘もそこにいたそうですが、「そんな泣いたお話も、年寄りもしりません」って末恐ろしい白々しく話をしたんですって。弟に。

その子供も旦那も 「彼女は 死んだ」っていうんです。転んで亡くなったと。

病院に確認にいきましたら プライバシーなことなので確認はできなかったそうですが お葬式やに聞きましたらお葬式は済ませたとのこと。

またまた変で、そのお葬儀をしたところに努めているのが彼女の親戚とわかったのです。「なんかできすぎお話じゃないの」って思いましたが 母は見に行ってたそうですから 本当なのでしょうね。

こうして母の一件は終わったわけですけど 年金手帳が見つかりません。どうやって探したのか私の記憶にはないのですけど、質屋さんに入れられていたのです。

このようなお話はいっぱいあるらしい。

家族はちょっとおかしい行動を直感で見つけましょう。おれおれ詐欺もいっぱいあるように。

熟老になっている私自身も「私は」って思ってますけど 老いるとこうなりやすいんですかね?

母はその後シュンとなっておりました。久しぶりに日本に帰国、出会えたのに「忙しいから 今から出かける」って会う約束ができなかったのです。

何が忙しいのか?後を追ってついていったこともありました。ら、無料チケットバスで街に出、出店に立ち寄って買い物をし、喫茶店に入りお茶を飲むというのが 「忙しい」という言葉で表現してたんだ。

本当に寂しかったんでしょうね。

生きがい。

年老いると寂しくなりやすいのかな? あれほど社交的で普段 高齢者が集まる趣味の会に参加していた生活が 孫もおおきくなりいで、結局は生きがいが見つからずさみしかったのですね。経済的にゆとりがあった生活がついお涙頂戴でお金を人にあげてしまうことにいったようです。

新聞社が言うようにありふれたお話しかもしれません。

生きがいを持つことは人間として大事なんだなって感じました。

心に従う脳。

そして心の中に忘れたいと思うことが人生の中にあったばあい、 脳にそう指令していくのではないかと思います。

母はアルツハイマー症になりました。10年以上も施設でお世話になりました。彼女は全部嫌なことは忘れて89歳の一生を終えました。

これを機にして 私たちの悩みなどは忘れる方向にもっていくより角度を変えてみるとポジティブな生活に変える習慣を。それも若いときからの習慣でね。これが母から知らされた大切な心の持ち方と思っています。

私の言いたいこと。

読んでいただいてありがとうございました。生きがいを持つこと。いやなことは忘れるような努力はしないでください。

時間のある方は私のアートを見てください。ご興味がありましたらお安くお譲りのお話合いも致します。お気軽にサイトからお問い合わせください。

Facebookも日々の私をつづっております。

ありがとうございました。






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