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趣味は暮らし うるわしき内に棲まう petit déjeuner-プチデジュネ-

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petit déjeuner
プチデジュネ


petit déjeuner プチでジュネ そのまま訳すと小さな昼食ですが
フランス語では朝食をこう呼びます

したがって昼食はdejeuner でジュネ ですがベルギーに行くと
昼食はdinnerと ディネ 言います
どう考えてもそれは夕食ですが不思議です

写真の朝食はフランス風だけでなく
イングリッシュブレックファストもあります

その特徴はベイクドビーンズ
これがどうしてもイギリス人には必要らしく
我々から見入ると英国納豆ですね。


また夏の朝の朝食の写真はテラス席の写真が多いです
ドーナッツのアメリカンブレックファストも有り


Maurice

ちょっと早めにその店にゆくと

シェフのGTOはコックコートとリーヴァイス
スカルパのアプローチシューズを履いて

レコルタン・マニピュラン
栽培醸造家の造るシャンパンの
マグナムボトルを抱えてカウンター席に座っている

ほとんどいつも

カウンターにはでかいワイングラスが置かれていて
半分ほど入れられているシャンパンをグビグビやっている


カウンターのバットには

鮎のコンフィ、鯵のコンフィ、サンマのコンフィ
野菜のコンフィ
肉のコンフィとその季節のコンフィが並んでいる

人参のサラダとポテトサラダ

岡山の小鴨、赤足うずら(ペドロー・ルージュ)
フランスの野鳩、青首、雷鳥(グラウス)ベキャス(山シギ)

ツキノワの仔熊、うり坊、子鹿、ヒグマの仔熊、仔羊、仔牛
処女の猪、ツキノワ熊、蝦夷鹿、ヒグマ、カモシカの雌

の炭火焼き

蝦夷鹿のハンバーグ

こんなメニューが黒板に白いチョークで書いてあります


「赤足をやっつけてもらえますか」

とお願いすると、GTOはゆっくりと立ち上がって
厨房の中に入ると冷蔵庫の扉を開けてゴソゴソ中を探って赤足を取り出すと
おもむろに毛をむしりだします

ここは都会のど真ん中なのだけれど
まるで山の中の猟師小屋にいるみたいです


GTOの料理は至ってシンプル、

生以外は低温のオイルで煮る
肉を上質の炭で炙り、質の良い塩と胡椒で食べる

骨の髄までしゃぶる、喰らう
マグナムのシャンパンをでかいグラスで呑む

それだけ、これがうまいのだよ

なんとも魅惑的な料理、その辺のグルメなど
太刀打ちできないだろうなあ

 GTOは料理の修行などしたことがない料理人


日本で名の知れた料理人の苦労話は
幼い頃は貧しくて、お腹いっぱい食べたくて料理の道を志し
研鑽を積み、意地の悪い先輩を薙ぎ倒し
今では予約三年待ちとか

言葉もわからずフランスに渡り、ポールボキューズで皿洗い
苦節何年、ミシュラン三つ星レストランになりました

と日本的に料理を極めてゆく職人的
料理を高めてゆく料理道とでもいうのでしょうか

なんとも日本的な物語

GTOは全くそんなことはなかったみたいです

料理なんて教わったこともないようです

でも、美味しいのです
楽しいのです
嬉しいのです

GTOのお店に入ったところの壁には、額に入った古い写真が飾ってあります
よく見るとエヴェレストでしょうか、登頂隊の写真のようです

もう一つはヨットレースでしょうか

かなり大きなレース艇の写真が何枚か飾ってあります

「マスター、この写真はなんだい、随分古そうな写真だけど?」

「昔、エヴェレストに登ったんだよ」

「大学の登山部か何かで?エベレストはお金かかるでしょ」


「費用はみんな俺が持ったよ、イギリスの貴族はみんなそうしてるからな」

「えっ、じゃあこのヨットレースは?」

「アメリカでアルミで作らせて、日本まで運んで
クルーを雇って太平洋横断レースをしたんだ」

「えっ、お金持ちなんだね」

「俺じゃあないよ、家がな」


エヴェレスト登頂にしろアルミ製のヨットで太平洋を横断するの
半端なお金でできるもんじゃあないだろう

戦後の製造業は朝鮮戦争のおかげで莫大な富を生みを得ることができたそうで

GTOはそれが自由にできる環境にいたそうだ

90年代の初めはフライフィッシングにはまっていた

まだフライなど知る人も少なくショップも街に一軒あるだけだった

その店が本格的で道具から衣装までイギリスの
一流品や今の最先端のものが揃ってた

小さなショップだが恐ろしいほどフライフィッシングが解っていた
もちろん高いものばかりだったけれど

GTOの店でフライフィッシングの話になった時にその話をしたら

「あっ、それ俺が義理の弟にやらせた店だよ」

と言われた、わかる気がした

一流が何かを、フライフィッシングが漁や釣りではなく
ゲームとわかっていないとあの品揃えにはならないだろうな

さすがGTOと感心した


PORSCHEの神様と言われた男の話

1964年の日本クランプリはスカイラインGTとポルシェ904の戦い

本番前にガードレールに接触したポルシェはFRPボディは割れてしまいます
当時、日本ではFRPなんて誰も知りません
ましてや修理方法な知る由もありません
いわゆる絶望的、関係者は真っ青
そこで大金持ちの道楽でガレージを営んでいた男の元へ

男の一族の所有する山からお宝が出てきて
それが莫大な富を生み出したそうです

ポルシェもコレクションの一台、FRPが何であるかも知っているので
布を切ってエポキシ樹脂で割れたところをペタペタ貼ってゆきました

その頃の日本の車は鉄で出来ていたので
プラスチックの車など存在すら知りませんでした

決勝戦では、つぎはぎの醜いポルシェは余裕で優勝です
一周だけスカイラインに先を走らせて華を持たせてあげるという

粋なことをして

それがきっかけでポルシェの神様と言われるようになり
この地方にポルシェの販売店ミツワモータースが出来ました

もちろん神様の道楽

で、最初の年に記念すべき3台が販売されました
とポルシェ好きのポルシェ話をしていると

「あっ、それ俺も買った」

とGTOが言いました


ピザ・Eというピザ屋がオープンした

イタリアでピザチャンピオンになった若者が始めて
あっという間に繁盛店になった、味もさることながら

店舗もミラノのピザ屋そのもの、
イタリアで軽くワインとピザを食べる感じです

なんともいい店ができたと喜んでいました

勢いはとどまらず、2年もしないうちに駅前の新築ビルに2号店を出しました
で、行ってみるとなんだかショッピングセンターのピザ屋を
オシャレにしたような、オペレーションもイタリヤの感じはしない
お味も普通のピザでコスパも残念な感じになっていました
その辺の店舗設計のお仕事でした、残念

とグルメ話をしていると

「あっ、それ1号店は俺がプロデュースした、
2号店は外されたけどね、大きくしたらピザ屋ではなくなって
潰れるぞと言ったけど聞かなかった」

確かに一年ほどで違う店になっていました


GTOは世界中の美味しいものを食べて、世界中のいいものを見て、体験した。
衣食住の店もいくつも運営やプロデュースしてきた

そして全てがおしゃれで美味しかった

そりゃあ、良いもの、美味しいもの、冒険やおしゃれを体験して
とんでもない体験情報ととんでもないセンスで造る料理は
楽しくて、美味しくて、冒険に出てゆくような料理でした

食べた途端に北海道の雪原へ行ったり、イギリスのハイランドへ跳んだり
イマジネーションが広がります

エルブジでもこうは行かないだろう 食べたことないけど

お料理修行に100億ぐらい注ぎ込んだシェフの造る料理は最高でした

ある日、いつも行っていたGTOのお店はなくなっていました

目の前が暗くなりました、GTOのパートナーの女性が

「お店には出さないけど、シェフの作る中華が絶品なの
今度何人か集めて注文してね」


まだ食べていません

GTOの義弟に聞いた話

義兄は道楽が過ぎてか、運命なのか継いだ家業は廃業になり
身内のお葬式にも呼ばれないそうです
義弟にとっては魅力的だけど、身内にとって許せないらしい

ポルシエの神様の一族が持っていたお宝の山は
時代がお宝を土塊に戻してしまいました
兄弟で十数億の遺産相続で揉めていると聞きました
本当かどうかはわかりませんが

道楽は素敵だけど普通の尺度で計ってはいけないようです

でも

二人が教えてくれた
料理哲学とポルシェ哲学は

最高に美しくて、最高に楽しかったなあ


noris

写真はMaurice




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