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「Fly me to the Moonは歌ったかい」ときいたら、いい歳をして恋に堕ちる

ヘレンメリルがやって来て魅惑の歌声を聴かせてくれたのは、大晦日を残すだけのブルーノートだった。

80歳ほどだろうか、高いヒールに少しよろけながらステージに現れた彼女は普通の老人だったが音楽が流れると一回り大きくなってシンガーのオーラを発し、ピンヒールで動き回り歌った。

私たちは八十歳のシンガーの世界に引き込まれて、気がついたらラストソングだった、何を歌ったのか覚えていないが不思議に幸福感に包まれていた。

「Fly me to the Moonは唄ったっけ?」

「覚えてないです、魅了されてしまって」

「ご飯食べましょうか」


年の瀬とコンサート後の少し遅い時間ということもあって、電話を入れたイタリア料理店のお客は私たち二人だけだった。

「いらっしゃいませ、今年最後のラッキーなお客さま」

「遅くにごめんね、僕らはラッキーな客なんだ」

「もちろんです。お店も今日が最後なので、年を越せないとびっきりの食材がお待ちしていました。メニューは任せてもやってよろしいですか」

ソムリエはそう言って私たちを席に案内してくれた。ベンチソファーを背に彼女が一番美しくみえる席だ。

お店は貸切で美しい素敵な女性と二人きりという最高の年の瀬を迎えていた、ラッキーの神様に感謝だ。

シャンパンと前菜に舌鼓を打ちながらちょっと遅めのディナーが始まった。

美しい女性との食事は楽しい、ヘレンメリルの余韻を楽しみながら話をしていると料理が運ばれて来た。

ロブスター
月に浮かぶオマール海老のパスタ

「ロブスターのクリームソースパスタです」

「うわ~、美味しそう」

食べ始めるとあまりの美味しさに会話が途切れた。

カチャカチャ、食器とフォークの触れる音、ジュジュ、チューチュー、ロブスターを持って中身を吸い取る音。

ゴクッ、スパークリングウォーターを飲み込む音

「次の一皿は子羊のポロネーぜです」

カチャカチャ、チューチューと音だけが聞こえていた。

とにかく二人で喋ることもなく食べ続けた。食べるものがなくなって、ソースもパンで舐るようにしてピカピカのお皿になっていた。
同時に顔を上げて言った。

「うまいなあ」

「美味しいわあ」

とろんとした瞳の彼女の口元からソースが顎をつたってテーブルクロスに赤い斑点をつけた。
彼女は構うことなくソースのついた顔をこちらに向けた。

「美味しいわあ」

もう一度言った。

その瞬間、恋に堕ちた。

周りの景色はアフリカに飛び、色とりどりの衣装をまとった黒人の男女が踊り狂っている。鮮やかな色彩の中をくぐり抜けて祭りの喧騒を後に私たちは砂漠の丘を登った。

ブラットオレンジのような夕日が砂漠に沈み、静寂が月を呼び出す。
闇は月明かりに青黒くさせられ私たちの歩みを助ける。
空気は冷たく身体に当たるが、砂の中に埋まる足先は太陽の熱を思い出させる。

食がシンクロすると麻薬のような効果が現れ、幻想の世界へ入って行く。彼女の食の神様と私の食の神様の相性がとても良かったのだろう。

不思議なシンクロが始まった。

月が沈み濃紺にオレンジ色が勝り、灼熱の砂漠に変えた。私たちは歩き続け月を待つ、

月が3回まわった。

「私が死んだら食べてください、そしてあなたは生き残ってください。それが私が一番望むことです」

彼女は私の身体を食いちぎりながら言った。

「美味しいわあ」

数々の恋愛をして来たけれど食べられたいと思えるほどの恋は初めてだった。

彼女は私の下半身を食べ、私はその中で果てた。

ゴクッ彼女は飲み込みながら言った。

「美味しいわあ」

いい年をしてする ”得も言われぬ恋” は成就することは稀で、他の彼女たちの嫉妬や怒り、不安の入り混じる大騒動の中で霧散し、月明かりの砂漠でポツネンと一人になる。

星の王子様がやって来て

星の王子様登場
もう一人の星の王子と狐のような犬とわたし


「どうしたんだい」と声をかけてくれる。

「気遣ってくれてありがとう。羊の話をリクエストしてもいいかい、

内容を忘れてしまってね」


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