八ヶ岳の師匠と天領のヒーラー先生は富士山の噴火を止めに行きました
未来を見に行く冒険 6
思いがけず天領のヒーラーの弟子になったガールフレンドと私は月に1~2回、天領のヒーラー先生を訪ねて1日を過ごしました。
先生のヒーリングについて行ったり、波動の高い場所に行ったり、いろんな話をしたりしていました。何を教わるというわけではなく、ただ話をしたり時々する質問に答えたりしていました。
お昼になると先生が行くお店で一緒に食事をします。どこも美味しかったし、体に馴染む食事でした。最初は美味しいだけでしたが回数を重ねるうちに食材が身体に馴染む感覚がしてきます、どうやら先生と一緒にいることで私たちの身体が変化や進化をしているようです。
先生のヒーリングを見ていると、病気の人の手を握って あーーー と大きな声を出しているだけですが、何度も見ていると病気の人がどこが悪いのか、先生が何をしようとしているのかがなんとなく頭に浮かぶようになりました。
「あっ、あそこに神様が来てみえます」
と指差す方を見ると、なんとなくそこが他と比べて明るく輝いているような気がするのでした。
「これは神様ごとなのでお金はいりません」
と先生は何も受け取らずに帰ってゆきます、私たちの食事代も払うつもりでレジにゆくともう支払い済みです。
「これは神様ごとですから」
と先生は言います、私たちが弟子になったことは神様ごとなのだろうか?
2000年の前後は災害で賑わっていました、ノストラダムスは1999年の7の月に天から恐怖の大王が降ってくるといい、コンピューターは2000年問題で日付が制御できずに狂い出して人工衛星が落ちてくるだの、大地震が来るだの、富士山が噴火するだのと終末的災害関係が賑やかでした。
その頃、先生はよく八ヶ岳の師匠と富士山の噴火を止めにゆきました。
いつものようにガールフレンドと天領の町に先生を尋ねると
「八ヶ岳の師匠から連絡があって、これから富士山の噴火を止めに行かねばなりません、じゃあね」
と急いで行ってしまいました、なんともダイナミックな話です。
二人でどうやって噴火を止めるのだろう、大きな手のようなものを作って上から抑えるのだろうか?大地の神様と話をして折り合いのいいところで手を打つのだろうか、妄想は膨らみます。
2000年10月1日、その日は結構な確率で噴火が起こると八ヶ岳の先生が言われていた日です。その日になぜか東京湾に自衛隊の艦艇が何艘も並び、陸上には装甲車が走り、まるで戦場のようになっていました。
某知事が提唱したビックレスキューなる大掛かりな避難訓練が行われていたのです。知事に自衛隊を動かす権限などありません、どうしてこんなことができるのでしょうか、なぜここまでやる必要があったのでしょうか、おかしなことですが避難訓練は行われていました。
その日、天領のヒーラー先生は八ヶ岳の先生と噴火を止めるために出かけていました、どこでどう作業しているのか知りませんでしたが。
それが功を奏したのか大災害はなく、富士山も噴火することもなく平和に1日が終わりました。
後日、八ヶ岳の先生のところへ一緒に訪ねたドクターから、先生のところには重要な責任のある人たちが来てお話を伺ってみえるそうです。某知事もその中のお一人らしいと聞きました。
では、あの自衛隊の艦艇を海に待機させ装甲車を走らせていたのは、もし噴火を止められずに災害になった時に、すぐに救助活動ができるように避難訓練として配備していたのでしょうか?
「本当ですか?」
「さあ、どうでしょう、先生に聞いても、うまく行ってよかったわホッホッホと行ってしまいましたからね」
「なるほど、先生らしいですね」
「本当だったら歴史的事件です、でも先生ならできそうですね」
「そうですね、できないと思うのは我々の常識で、あの世の常識では簡単かもしれませんね」
それから3ヶ月ほどして、先生たちはまた富士山の噴火を止めに行きました。
「先生、どうでしたか?」
「捕まえようとしたけれど一瞬遅れてエネルギーを逃がしてしまったの、逃したエネルギーは進路を変えてインドへ行ってしったのよ」
「えっ、1週間前のブジ地震ですか」
「そうそう、フジのエネルギーがブジに行ったのよ」
「えっ、本当だろうか?」
あの世の常識では当たり前のことだろう、身勝手なこの世の常識で考えるのは辞めた。
先生たちは報酬ももらわずに地震を止めに行きます、八ヶ岳の先生が行きますといえば天領のヒーラー先生は何を差し置いても、何処であろうと行かれます。
「先生、報酬ももらわずに何故やられるのですか?」
と聞くと
「神様ごとですから」
といつもの答えです。
先生たちの行動は、我々のような経済社会で作られた仮初の常識では計り知れないようです、先生たちはいつもあの世の常識のなかで行動されているのです。
誰かのためとか、自分のためとか、未来の子供たちや環境のためとか、お金のためでもありません。それをすることがバランスの中のことなのでしょう、それをする理由なんて考えてもいないようです、そもそも理由すら無いのかもしれません。
神様ごとなのです。
先生たちとお付き合いすることで、私とガールフレンドはあの世の常識に少しは足を踏み入れることができたのでしょうか。
その後、9.11や3.11という人為的災害が起きました、大地震や大噴火、果ては細菌災害と、本当だろうか? と思うような不安がいっぱいです、さらにご丁寧に〇〇年に日本が沈没するなどと未来まで不安にしています。
この世は不安に満ちていますが、先生たちのような方々が動いてみえるし、本当に大変になったら、末端の弟子にも招集がかかるでしょう。
そしたら押っ取り刀で駆けつけましょう、はたして役に立つのだろうか?
さて、ヒーラー先生には、いつも教えてもらい、食事もご馳走になってばかりなので少々心苦しくなってきました。
そこでヒーラー先生の本職は宝石商なので、何か良さげな石を見繕ってもらうことにしました。
先生、私に必要と思われる石をお願いします。と伝えました。
少々見栄を張って値段のことは言いませんでしたが内心は50万円くらいだったらいいな、100万円までは黙って出さないとな、300万円と言われたら踏み倒そうと情けない葛藤をしていました。
ひと月ほどして先生に会うとカバンの中から直径10センチほどのローズクォーツを取り出して、じっと眺めてみえました。
「よし、これでいいな」
と言うと、ローズクォーツに向かって あ―――――っ といつもの声を出しました。
その後、それを私の手に載せました。柔らかい重みがズシリとかかり、美しい光を放ちました。少し痺れるような感覚を受けて手のひらにピタリと収まりました、掌中の珠という表現がピッタリです。
「今のあなたにピッタリです」
「先生ありがとうございました、ところでおいくらお支払いすればよろしいでしょうか?」
お代は25万円でした、内心よかったとホッとしました。二人でご馳走になった代金や教えていただいた内容を考えれば随分お安い値段でした。
あの世の常識では不思議とバランス良くおさまって行きます。
何年かして、石と会話が出来るという人に出会い、そのローズクォーツを見せました、長い間ローズクォーツを見つめて彼の言ったことは
「このローズクォーツは次元が高すぎて、言っていることが理解できません。長い間石と話してきたけれど、こんなことは初めてのことです」
だそうです。
八ヶ岳の先生と天領のヒーラー先生はどれだけ高い次元にいるのだろう、どんな常識の中にいるのだろう。
二人とも、画家や宝石という美しいものを扱っています、あの世の価値基準は美しいということかもしれません、それがあの世の常識をつくっているのでしょう。
それから何年もして、あの世の地図を手にした時に、先生たちの位置を知って驚くことになりました。
なるほど、こんなところにみえたのね
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