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名前がつけば楽になる「病」

コロナのような感染症。「目に見えない」「理由がわからない」「判断材料がない」という状態は誰にとっても心地悪く、遣り場がなくて、恐怖を感じる。心や神経、ホルモンに関わる「未病」「不愁訴」な症状も同じく。

気を感じやすい体質のため、昔から病院で病名のつかない状態になり、その度、本やネット情報を調べてみることになった。

でもそこで気がついた。
全部書いてあることが「自分に合致」するように見えてしまうのだ。
もんもんとした鬱っぽい症状は誰かれなく経験があると思うが「神経症」や「HSP」の書籍を読み、該当チェックシートなんてやろうものなら、まじめな人ほど、「これは、自分のこと?」になってしまうのではと感じた。年齢を経てきて不調がでれば「更年期?」と疑うし、またまた全部自分に当たる気もしたりする。

昔は学校で名前もつかなかった多動性障害にも今や名前がつくし、名前がつくことで「指導」や「判断」や「治療」はしやすくなったのかもしれない。何せ究極、病名がついたら、本人も受け入れて、諦める気にもなるし、治療を受ける気にもなる。解決策につながる気もする。

「もうだめだ」と思ったら、昔みたいに恥じずに西洋や東洋、カウンセリングの治療を受けてほしい。客観的、専門的な第三者が、身内や血縁以上に助けになることが多々ある。

一旦、自分を受け入れてペースがついたら「名前のついた病」は、「転換点に起こる自然な反応カだと許して、気持ちを豊かに、責めずに過ごしてほしい。

そこまできたら、しめたもの!きっと乗り越えられる。

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