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オザケンの弟子になりたかった

高校時代に一番影響を受けた人物。これははっきりとしている。オザケンこと小沢健二氏だ。

私が彼を崇拝し始めたきっかけは、雑誌「オリーブ」だ。

当時、小沢氏はオリーブに「ドゥーワチャライク:勝手にしやがれ」という1ページの連載を持っていて、そこに散文詩やエッセイ的なものを書いていた。

その短い文章の中には、さまざまな文化的キーワードが散りばめられていた。そこで語られている映画や小説、そして音楽などについて自分なりに調べることが田舎のオリーブ少女のライフワークになった。

そして彼の音楽。独特のメロディーラインと含蓄のある歌詞の世界にすっかりハマり、家に帰ると部屋のコンポ(懐かしい響き!)で何度も繰り返し曲を聴いていた。

当時の小沢氏はその華麗なるバックグラウンド(東大卒という学歴や家柄、フリッパーズ・ギターというバンドのカルト的人気)から東芝EMIの王子様と呼ばれており、新曲を出した時などはテレビの音楽番組に出たり、森永のDarsというチョコレートやカローラⅡのCMなどにも曲提供をしたりと、かなりポップな存在になっていった。

そんなオザケンをアイドルのように追いかけたり、疑似恋愛の対象として考えていたかと言うとそれはちょっと違って、私は常に「オザケンの弟子になりたい」と願っていた。

三姉妹の長女で、少し年上の人から面倒を見てもらったり、知識や経験を分けてもらうことがほとんどなかった私は、博識で少し辛辣なメンターの存在をいつも求めていた。そこに現れた9歳上の小沢氏は理想の師であり、先輩像であった。

不幸にも私には弟子になれるほどの素養がなかったので、その夢は儚く砕け散ってしまったのだが、それでも心の師匠から学んだことは少なくないと思う。今でも自分の好きなものや得意なことのそこかしこに、氏の影響をぼんやり感じることがある。

そして私が今現在親しくさせていただいている方達の中に、同じくオザケンの弟子志望者(?)だった人たちのなんと多いことか!

私と同じ頃に、彼らがそれぞれの場所で、同じ曲を聴き、同じ言葉に若い心を揺り動かされていたのかと思うと感慨深い。

自分の息子たちにもいつかそんな存在が現れるのだろう。いや、もう既に現れているのかもしれない。

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