ゾンビの概念は?

私はゾンビの映画がすきである。ゾンビがすきと言うと語弊があるが以前、日本で作られたゾンビのドラマが今でこそシリーズ化しているがその作品をみて日本の映像に対しての研究不足に驚いた。ゾンビを見たことはもちろん無いしそのような世界になったらどうしようとも思う。けれど個人的に考えるゾンビ像というのは死人が動き出す。というものでは無いだろうか。私はバイオハザードが大好きで色々なものを見ているからということもあるかもしれない。だが、その作品は私からしたらこれはなんなんだろうかというものであった。疑問は数点あるが1つ目。ゾンビが発生した直後、初めてゾンビを倒した時にゾンビは1mほどの尖ったものに突き刺さったという状況になった。もう一度言うがゾンビは死んでいるため脳も機能していないはず、だがそのゾンビは尖ったものから体を動かす事でまた人間を襲ったのである。何が言いたいかというと、死んでいて脳も機能していない状態であれば刺さった状態で身動きが取れない筈である。だがそのゾンビは体を引き抜き脱出したのである。ということは引き抜くことで動くことができる、と“考えた”と言うことである。死んでいるが脳は機能している??誰の助けもなく引き抜いた?とまず私は疑問に思った。考えることが出来ないハズの死人が考えているということはそもそもゾンビでは無い?と私の意見ではなる。疑問2つ目。もっとソンビが増えた頃、避難所として指定されていた学校へ向かった数人。なんの曲でもないピアノの音が聞こえ、リズムもあったものでは無いゾンビ好きの私からしたら明らかにゾンビがなにか変な音と感じる物音に対し、その音の先に近づきライトで照らすとそこに避難していた人が全員感染しており、大量のゾンビと遭遇。まぁ、そうでしょう。命知らずの人達、と思いました。終いには数百人といるゾンビ相手に戦う武器は弓矢。どう考えても矢が無くなったら終わりである。その先に爆弾でも付けていれば話は変わるが何もなし、弓道部だったという設定で当たりはするものの大量のゾンビ相手に全く打つ手なし。1人が感染し、止むを得ず拘束したものの、既にゾンビ化している人に対し、人間だぞ!置いていけない!と主人公。今にも仲間を食べようとしている人に対し、それは人間か?とまたも期待はずれ。私がその状況であれば気持ちは十分わかるので余程大事な人であれば学校ということで掃除ロッカーがあり、そこに閉じ込め、誰も襲わない状況にしてあげるなどしてはどうかと思う。不自然な疑問点3つ目。これが最後だが、類似した海外の映画などは人が居なくなると砂漠に戻るがこのドラマは全く町は綺麗のまま、主人公たちもドラマということもあり化粧もし、髭もそり、服装も全くからわずであった。ゾンビの世界で食料や仲間に死人も出ている状況でカミソリで髭を沿ったりセットするんだ、、とガッカリ。戦いの血などは会ったとしても途中で見れなくなるほど、私のゾンビ概念を覆す唯一のものにはなった。

#オールカテゴリ部門 #ゾンビ
#映画 #ドラマ #異世界  #創作大賞2024

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