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宇宙開発の50年 スプートニクからはやぶさまで (武部 俊一)

(注:今から15年ほど前の投稿の再録です)

 たまたま図書館の新刊書の棚で目についたので、手にした本です。

 宇宙の話については小さいころ結構興味を持っていて、お小遣いをためて天体望遠鏡を買ったこともありました。
 何と言っても極めつけの記憶は、1969年7月のアポロ11号の月面着陸。小学生だった私は、夜中(未明?)、西山千さんの同時通訳を聞きながら白黒テレビの画面にかじりついていました。
 当時は、まさに「米ソの宇宙開発競争」が華やかなりし時代でした。それは国の威信をかけた国策でしたが、もちろん冷戦期、軍事戦略的にも極めて重要な意味をもっていました。

 本書は、世界初の人工衛星スプートニク1号を皮切りに、著者の武部氏が約90の人工衛星や探査機を選び出し、その歴史的背景や意義・エピソード等を紹介したものです。

 その中には、歴史的成功もあれば、残念な事故もありました。
 1967年、人命に関わる最初の事故が起こりました。ソ連(当時)のソユーズ1号が地球に帰還する際パラシュートが開かず、搭乗していた宇宙飛行士コマロフ氏が亡くなりました。宇宙飛行でのはじめて犠牲者となったのです。
 事故に際して、その場に関わった方からの重い言葉です。

(p82より引用) 哀悼の意を捧げたNASAのウェブ局長は「ソユーズもアポロも、米ソの開発協力があれば悲劇を避けられたかもしれない」と呼びかけた。

 もうひとつ、ショッキングな映像を世界中が共有した1986年アメリカのスペースシャトルチャレンジャーの爆発事故です。
 著者は、この事故調査にあたったファインマン博士の補足意見を紹介しています。

(p197より引用) 「技術がうまくいくためには、現実が広報活動より優先されなければならない。なぜなら自然はごまかせないからだ」

 物理学会の重鎮からの技術の奢りに対する戒めであり、それを利用しようとする政治的意図への批判です。
 当時、チャレンジャーの発射の際、設計リスクや当日の気象状況から打ち上げ延期を求める声があったそうです。にもかかわらず、同日に予定されていた大統領の年頭教書に花を添えようという思惑により、打ち上げが強行されたとも言われています。

 1957年のスプートニク以降、資源探査衛星・気象観測衛星・通信衛星・技術試験衛星・・・月探査機・太陽探査機・惑星探査機・・・偵察衛星・軍事衛星・・・、6,000機近くの衛星や探査機が宇宙に向けて打ち上げられました。中には、アメリカの宇宙ステーション計画として打ち上げられたスカイラブの本体のように、アポロ計画で一世を風靡したサターン5型ロケットの液体水素タンク等を改造して作られたリサイクル品もありました。

 ところで、この50年で、人類による宇宙開発/技術は、一体どれだけ進歩したのでしょうか? 進歩したとして、それは望むべき方向に進歩したのか? そもそも、私が小学生のころワクワクしながら見た人類の月着陸の意味は結局何だったのか?
 この本で、これまでの宇宙開発の歩みを概観して、私としても、いろいろと考えさせられるものがありました。

 今、この(2007年)9月14日に打ち上げられた「かぐや」が、月に向けた軌道に乗ろうとしています。


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