見出し画像

夢を力に(本田宗一郎)

個性の共振

 最近大手外資系ソフトウェア会社からベンチャー企業に転職した方に勧められて読んだ本です。
 HONDA創業者本田宗一郎氏のまっすぐでチャレンジングな信念がストレートに身近なものとして迫って来ました。

(p66より引用) 私は・・・自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。自分と同じなら二人は必要ない。自分一人でじゅうぶんだ。目的は一つでも、そこへたどりつく方法としては人それぞれの個性、異なった持ち味をいかしていくのがいい、だから自分と同じ性格の者とでなくいろいろな性格、能力の人といっしょにやっていきたいという考えを一貫して持っている。・・・これに関連して、つねづね私の感じていることは、性格の違った人とお付き合いできないようでは社会人としても値打ちが少ない人間ではないかということである。
(p255より引用) 半端なもの同士でも、お互いに認め合い、補い合って仲良くやっていけば、仕事はやっていけるものだ。世の中に完全な人間などいるものではない。自分の足りないもの、できないところを、まわりの人に助けてもらうと同時に、自分の得意なところは惜しみなく使ってもらうのが、共同組織のよい点で大切なところだと思う。「人間の和」がなければ企業という集団の発展はおろか、維持さえもできないということを十分認識してほしい。(1973年)

 本田宗一郎氏は、藤澤武夫氏と二人三脚で歩んで来られました。上記の言葉は、本田氏の技術者としてのプライドがベースにありますが、他者の個性・自分にない能力を謙虚に認めるオープンマインドが十分に表れています。
 それぞれの優れた個性が同じ方向を目指して共振して大きなうねりになっていったのです。

技術に対する信念

(p79より引用) ・・・輸出振興と合わせて輸入防止を政府に頼むため民間業者の会合があった。だが私はそれに参加しなかった。輸入を政府に頼み、そのうえさらに輸入防止まで依頼しようという安易な道を選ぶことに強い反発を感じたからである。これはわれわれがあくまで技術によって解決すべき問題である。日本の技術がすぐれて製品が良質であるなら、だれも外国品を輸入しようとは思わない。また黙っていても輸出は増加するはずだ。そのとき私は“良品に国境なし”のことばを身をもって実現しようと決心した。技術を高め、世界一性能のいいエンジンを開発して輸入を防ぎ、輸出をはかろうというわけである。
(p256より引用) 社是の冒頭にある「世界的視野」とは、よその模倣をしないことと、ウソやごまかしのない気宇の壮大さを意味する。

 本田氏は「技術」の持つ可能性を純粋に信じていました。そしてそれを自ら追求し実証しました。
 また、その公正さ(fairness)に誇りを持っていました。Fairな精神を(技術面のみに止まらず、)あらゆる点で周りの人々にも強く求めていました。Fairな精神は、模倣を嫌いました。独創性を重んじチャレンジすることのすばらしさを訴え続けました。

チャレンジ

(p80より引用) いずれにせよ、このままでは世界の自由化の波にのみこまれてしまうことは必至である。世界の進歩から取り残されて自滅するか、危険をおかして新鋭機械を輸入して勝負するか、私は後者を選んだ。ともに危険である以上は、少しでも前進の可能性のある方を選ぶのが経営者として当然の責務であると判断したからである。
(p197より引用:吉野浩行元社長) 日本の自動車市場は軽自動車を含めても世界の十分の一で、残り九割は海外にあるんです。海外での生産・販売比率を九割にすれば、日本市場が低迷しても痛くもかゆくもない。世界の中で競争してこなかった業種が今苦しんでいる。たとえば金融、建設、不動産。自ら世界に出て、そこで競争してきたところは、そんなに苦しんじゃいませんよ。

 チャレンジは、ある面ではリスクテイキングでもあります。
 チャレンジは「結果論」で評価すべきではありませんが、「リスクテイキング」は「結果責任」が問われるべきだと思います。正確には結果責任というよりも決断に至る「プロセス責任」といった方がいいかもしれません。決断に至るプロセスがあまりにも杜撰であれば失敗は当然ということになります。

技術より思想(ビジョニング)

(p93より引用) 私はすべて思想によって技術をみちびく方針をとっている。つまり、技術よりも思想を先行させるのである。・・・ベルギーでどんなオートバイを作ったらいいか、・・・ベルギーはほこりが少ないから空気清浄器は不用だという結論が出たとき、私は即座に反対して変更させた。・・・ベルギーはアフリカに非常な権益を持っており、アフリカへ輸出することも当然考えねばならぬ。とすれば・・・空気清浄器は絶対に必要不可欠なのである。こういうところに単なる技術だけでなく、それを指導する思想が必要なのだ。

 本田氏は兎にも角にも「技術」を最重要に考えているように思われがちですが、「技術よりも思想を先行させる」と明確に述べているのは興味深いものがあります。
 ここでの本田氏の「思想」というのは言い換えれば「ビジョン」「マーケティングマインド」に相当するものです。
 マーケティングマインドについては、本田氏は次のように語っています。

(p216より引用) 第一の作る喜びとは、技術者のみに与えられた喜び・・・ 第二の喜びは、製品の販売に当たる者の喜びである。・・・ 第三の喜び、すなわち買った人の喜びこそ、最も公平な製品の価値を決定するものである。製品の価値を最もよく知り、最後の審判を与えるものはメーカーでもなければディーラーでもない。日常、製品を使用する購買者その人である。「ああ、この品を買ってよかった」という喜びこそ、製品の価値の上に置かれた栄冠である。(1951年)

 今では当然のことではありますが、根っからの技術者である本田氏が、こういう「顧客重視(顧客満足)」の言葉をすでに今から半世紀以上前、1951年に語っているところが卓越です。

先見性

(p100より引用) 昔から言われているように、ヤリの名人は突くより引くときのスピードが大切である。でないと次の敵に対する万全の構えができない。景気調整でもメンツにこだわるから機敏な措置がとりにくいのだ。どんづまりになってやむをえず方向転換するのでは遅すぎる。
 いなかの財産家がつぶれるときのやりかたがちょうどこれに似ている。まず蔵の中の物を人目につかないように売る。次に遠くの田畑を売る。最後の段階になっても家屋敷は人目につくので手放す前にこれを担保にして借金をする。だから生産がともなわない借金の利子を払っていよいよお手上げのときは、家財産はおろか残るものは借金だけというバカなことになる。
 こういう愚劣なことをしている経営者が多いようだ。

 「先見性」は才能でしょうか?
 本田氏は、景気後退局面になる前に生産調整を行なっていたといいます。景気がまだ好調を維持しているうちに、先の後退を見越してアクションをうつ、周りはまだ好調局面なので少々の無理は聞いてくれる。そして、景気後退局面になると前もっての生産調整が効いていて余剰在庫で苦しむことはない。そして景気が上向きかけると、先取りのスリムな経営体質を活かして誰よりも早く立ち上がることができる。
 先手をうつのと後手を踏むのとでは大きな差がつくわけです。
 本田氏は後手を踏むのは先見性がないからとはいっていません。才能がないからではないのです。意味のない「メンツ」が当たり前の行動を鈍らせていると考えているのです。

(p174より引用) (綱渡り状態の経営不振のただ中、TTレース参戦について)「何が何でも出る。もたもたしていると、どんどんおいていかれる。それにな、今みんなが苦労している時だろう。そういう時こそ夢がほしいいじゃないか。明日咲かせる花は、今種を蒔いておかなきゃいけないんだ

 ワンマンの創業者社長ならではの言葉という捉え方もあるでしょう。
 しかし、この言葉には、自分自身の夢や信念だけではなく、周りの人への思いやりや励ましが感じられます。そして、何より将来に向かって一途に前進する気概やみんなの将来を信じる晴れやかな想いが溢れています。

既成概念にとらわれないアイデア

(p92より引用) ・・・この現実にもとづいて、アメリカ・ホンダではいっそのことと思って、オートバイ販売の経験のない運動具店や釣り具店にやらせたり、ある州では直営店を設けた。そしたらどんどん売れ出した。・・・ 既成概念にとらわれることほど人の考えを誤らせ、道をとざすものはない。
(p183より引用)常識は破るためにある

 本田氏は独創性を重んじました。既成概念は、自らの考え(自由な発想)に無用な枠をはめる檻のように考えているのでしょう。もっといえば、チャレンジする気概を損ねるものだと思っているのです。
 その檻を取っ払って自由な発想で考え始めると一気に知恵の活動範囲が広がります。誰でも知恵だしに参加できるようになります。従来の檻のなかだと「○○の専門家」「△△の経験者」だけで考えていたものが、全く他のジャンル・世界の知識やノウハウをもった人材も活用できるようになります。

 この営みは、ブレークスルーの可能性を広げると同時に、潜在化している英知を呼び起こし活性化させる、すなわち周りの人すべてに自己の存在意義ややりがいを感じさせるというもっと大事なことに寄与するのです。

(p218-219より引用)社会の進歩する速度が緩慢な時代には、事業経営は一つに経済的資本にかかっているということは、事業経営の最も根本的な要求であった。・・・しかるに現在のように、過去における十年、二十年の進歩を、一年とか半年に縮めて行なう時代においては、事業経営の根本は、資本力よりも事業経営のアイデアにある。・・・時代に魁けるアイデアが経営を繁栄に導くのである。よいアイデアがなければ、いかに金貨の袋を抱いていても、時代のバスに乗り遅れて敗残者となるのである。資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが、これは資本がないからでなく、アイデアがないからである。(1952年)

 そして、上記のように企業の源泉は「資本(金)」ではなく「アイデア」であると主張します。アイデアは人が産み出すものですから、この考え方は「企業は人なり」に繋がっています。

(p221-223より引用)いかに写真が進歩しても絵画が尊ばれるゆえんは、絵に描いた人の独自な見方-個性が盛られているからであります。個性の眼で見、個性によって感じられたものが描かれているからであります。・・・技術にしても同様であります。個性の入らぬ技術は価値の低い乏しいものであります。従来の日本の技術の大部分はこのような模倣技術でありました。・・・私は技術にも個性がなければならぬと信ずるものでありますが、最初から個性がでるものではありません。マチスにしても模倣から出発し、模倣を抜けでて個性の高さに到達したのでありますから、年若い人や経験乏しい人は模倣から出発することは過程として止むを得ませんが、模倣は飽くまで手段であって目的ではありません。私は我が国の技術にもっと個性があってもよいと思います。(1952年)

 アイデアは人が産み出す独創的なものである以上、そこには「個性」が息づくはずです。逆に「個性」がないものは「他人のもの」「他を模倣したもの」ということになります。
 本田氏は「模倣」を何よりも嫌いました。が、模倣のすべてを否定したわけではありません。手段としての模倣・プロセスとしての模倣は、それが将来の「個性」に繋がる限りは認めていました。
 「目的」はあくまで「個性ある技術」でした。

クリエイション

(p236-237より引用) 近頃、一流の経済雑誌なんかが、どのくらいの値段でどういうタイプの製品を作ったらいいかアンケートをとったらいいじゃないか、と麗々しく書いている。僕はこれを見てガッカリした。大衆にアンケートをとって聞くことは参考にはなる。たとえば、自分のまいた種がどの程度大衆にうけ入れられているか、または不満があるかといったものなら賛成だ。しかし、本来のものについて、何だかんだとアンケートをとるのはおかしい。なぜなら、ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、それは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。つまり職人になっちゃう。(1959年)

 一見、「プロダクトアウト」的な昔流の考え方のようにも見えます。
 しかし、本田氏は消費者の意見を聞くことを全面的に否定しているわけではありません。自分のプロダクトの評価を次なる技術開発に活かすことにはむしろ積極的でした。
 他方、新たなものを作り出すという面では「技術者が引っ張らなくてどうする」という考えです。今流に言えば「開発(R&D)主導」と似ていますが、ちょっと違うようです。
 本田氏は「ものを作ることの専門家」という言い方をしています。この言い方での「専門家」は単なる「研究者」ではなく、最終的な製品・商品にまで仕立て上げる「生産者」をイメージしています。
 「本田氏流の技術者」は、商品と遊離した研究者ではなく、また、単なる製造者でもなく、マーケットに受け入れられるプロダクトを産み出す「創造者(Creator)」なのです。「もの作り」を「製造」ではなく「創造」と考えているようです。
 ところで、数年前「ものつくり大学」が設立されました。ただ、本田氏のいう「ものを作ることの専門家」と、ものつくり大学で育成をしようとしている人物像とはどうも異なるようです。ものつくり大学では、旧来のプロセスを重要視しているようですが、本田氏は「どうやるか」ではなく、「何をやるか」を追い続けたのです。

自分で読むより人に聞く

(p234より引用) 僕は本を読むのが嫌いだ。極端な言い方をすると、本というものには過去のものしか書かれていない。僕は、本を読むとそれらにとらわれてしまって、何だか退歩するような気がして仕方がない。大体、僕の人生は、いわゆる見たり聞いたり試したりで、それを総合して、こうあるべきだということで進んできた。もし分からないことがあって、そのために本を読むんだったら、そのヒマに人に聞くことにしている。五百ページの本を読んでも、必要なのは一ページくらいだ。それを探しだすような非効率なことはしない。(1959年)

 本を読むことの効用をどう考えるかですが・・・。確かに、多くの本の場合、それを読むのに費やす時間とその効用とは釣り合っていないものです。
 何か具体的に知りたいことがあって本を読むのであれば本田氏の言うとおりです。百科事典?でもない限りはなかなかピンポイントで必要な情報は得られません(そもそも本田氏が知りたいようなことが百科事典に書いてあるとも思えませんね))
 ただ、本田氏が本を読まないのは、時間と効用のアンバランスの故のみではありません。「本には過去のものしか書かれていない」と述べられているように、氏は「過去」は参考にならない、参考にしたくないと考えているのです。

自己を大事に

(p228より引用) 能率とは、プライベートの生活をエンジョイするために時間を酷使することである-と私は考えている。二宮金次郎の像のように、山坂路を歩くというような、二重、三重の苦労を忍んだり、朝は早く、夜はおそく、昼食の時間まで惜しんで、働くために働くことを能率なりとする考え方や、生活を楽しむことを罪悪視する戦時中の超克己主義は、能率の何たるかを解しない人の謬見である。・・・一定の時間の中により多く自己の生活を楽しむためには、働く時間を酷使する他に方法がない。私は自己の体験から、創意発明は天来の奇想によるものではなく、せっぱつまった、苦しまぎれの知恵であると信じているが、能率も生活を楽しむための知恵の結晶である。(1953年)

 「生活を楽しむための能率」「働く時間を酷使する」という言い回しは非常に新鮮に感じます。自分に厳しい表現です。

 仕事のためにプライベートの時間を犠牲にするというのではなく、限られた時間内で仕事をこなすことを求めています。
 本田氏の生活ぶりは「仕事が楽しみ」のように伝えられていますし、また、おそらくそうだったのだろうと思います。が、自分の生活を楽しむことも同じく非常に大切なことだと考えていたようです。
 そして、限られた時間を前提にして、何とかして仕事と生活を両立させるために、とことん時間を使い切る、そういう極限的な能率向上の努力を求めたのです。安易に他方の時間を当てにするのではない分、むしろ厳しい姿勢だと思います。

 戦後、誰も彼もが死に物狂いで復興に邁進していたころの言葉だけに驚きです。高度成長期以前に、高度成長期以降ようやく世の中で広く言われるようになったことを主張していたのです。
 先見の明というよりも、当時すでに素直にそう考えていたのでしょう。

 この本田氏の思いの根底には「自己を大切にするhumanism」が見えます。

(p250より引用) 私はいつも、会社のためにばかり働くな、ということを言っている。君達も、おそらく会社のために働いてやろう、などといった、殊勝な心がけで入社したのではないだろう。自分はこうなりたいという希望に燃えて入ってきたんだろうと思う。自分のために働くことが絶対条件だ。一生懸命に働いていることが、同時に会社にプラスとなり、会社をよくする。会社だけよくなって、自分が犠牲になるなんて、そんな昔の軍隊のようなことを私は要求していない。自分のために働くということ、これは自分に忠実である。利己主義だと思うかもしれないけど、そうではない。・・・我われはただ単に、自分だけよければいいと言うのではない。自分をよくするためには人までよくしてやらなければ、自分というものがよくならないのだ、という原則があることを考えて自分をよくしなさいということを申し上げる。(1969年)

 「自分のために働く」ことは「自分に忠実である」ことだと言います。それは利己主義とは否なるものです。
 聖書に言う「汝を愛するように汝の隣人を愛せ」、真の自愛は他愛であり他愛はその実自愛であるという考え方と会い通じるものがあるように思います。
 漱石は「私の個人主義」の中で「自分が個性を尊重できるならば、他人に対してもその個性を認め、尊重することが当然の理である」という趣旨のことを語っています。
 個人主義は利己主義とは全く別のものなのです。

引き際

(p104より引用) 私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。

 本田氏の人間的な魅力が凝縮した言葉です。
 自分を大事にせよと語る本田氏は、それだけ周りの人を大事に思っていたのだと思います。

(p104より引用) 人生というものは、最後まで行かぬと成功だったか失敗だったかはにわかに断じ難いものである。・・・人間の一生も功と罪とで評価すべきで、私の死んでから受ける評価が、ほんとうの「私の履歴書」であろう。

 少なくとも藤沢武夫氏は、本田氏に最高の評価を贈るでしょう。
 あまりにも格好の良すぎる二人のやりとりですが、あの二人ならさもありなんと思えるのです。

(p174より引用:藤沢武夫氏) 退任が決まった後のある会合で、本田さんと顔を合わせた。ここへ来いよ、と(本田さんに)目で知らされたので、一緒に連れ立った。「まあまあだな」と言われた。「そう、まあまあさ」と答えた。「幸せだったな」と言われた。「本当に幸せでした。心からお礼を言います」と言った私に、「おれも礼を言うよ。良い人生だったな」とのことで引退の話は終りました。

 藤沢氏は、自分の引退が本田氏の引退の引き金になったこと、そして、本田氏が自分がやめると(自分とともに)引退するであろうことに気づかなかったことを本心悔やんでいました。

 (「経営に終わりはない」(本田宗一郎)p226より引用) 私は本田宗一郎との二十五年間のつきあいのなかで、たった1回の、そして初めで終わりの過ちをおかしてしまいました。本田は私のことを聞くとすぐ、「二人いっしょだよ、おれもだよ」といったそうなのです。ほんとに恥ずかしい思いをしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?