漱石日記 (夏目 漱石)
漱石日記①
今流に言えば漱石Blogです。
漱石の日記をそのまま収録したものなので当初から作品として意識して書かれたしたものではありません。
完成された文芸作品とは異なりますから、したがって自ずと感じ方・楽しみ方も変わってきます。
一冊の中に異なる時期の日記をいくつか採録されていますので、その時々たびごとの生身に近い漱石の姿を知ることができます。
その中で「修善寺大患日記」は、伊豆修善寺での闘病生活の日々の想いを綴ったものです。
このとき漱石は、一時危篤状態に陥ったのですが、その後の回復に向かう嬉しさが素直に伝わってきます。
(p167より引用) 九月二十一日〔水〕 昨夜始めて普通の人の如く眠りたる感あり。・・・
爽颯の秋風椽より入る。
嬉しい。生を九仞に失って命を一簣につなぎ得たるは嬉しい。
生き返る われ嬉しさよ 菊の秋
(p173より引用) 九月二十六日〔月〕・・・始めて床の上に起き上りて坐りたる時、今まで横に見たる世界が竪に見えて新しき心地なり。
竪に見て 事珍らしや 秋の山
中には、「大正三年家庭日記」のように家庭内の不協和音をそのまま露にしているようなものもありますが、これは、奥様の方の言い分も聞かないとフェアではなさそうです。
漱石日記②
漱石の文学・思想に大きな影響を与えた経験のひとつに、彼のロンドン留学があります。
それについて漱石日記には、渡英の様子、英国滞在時の様子を記した「ロンドン留学日記」が収録されています。
ロンドンでの漱石は、必ずしも現地に上手に馴染んで伸び伸びとした留学生活を送ったわけではなさそうです。時折、屈折した心情が吐露されています。
(p25より引用) 倫敦の町にて霧ある日、太陽を見よ。黒赤くして血の如し。鳶色の地に血を以て染め抜きたる太陽はこの地にあらずんば見る能わざらん。
彼らは人に席を譲る。本邦人の如く我儘ならず。
彼らは己の権利を主張す。本邦人の如く面倒くさがらず。
彼らは英国を自慢す。本邦人の日本を自慢するが如し。
いずれが自慢する価値ありや試みに思え。
ロンドンでの生活は、実体験としての2つの想いを漱石に抱かせました。
ひとつは、安易な西洋信仰の戒めです。
日記の中で、漱石は、西洋が日本を理解することを期待せず、日本は日本として黙々と進むべきと記しています。
(p28より引用) 英国人なればとて文学上の智識において必ずしも我より上なりと思うなかれ。彼らの大部分は家業に忙がしくて文学などを繙く余裕はなきなり。Respectableな新聞さえ読む閑日月はなきなり。少し談しをして見れば直に分るなり。・・・かかる次第故西洋人と見て妄りに信仰すべからず。また妄りに恐るべからず。
(p31より引用) 西洋人は日本の進歩に驚く。驚くは今まで軽蔑しておった者が生意気なことをしたりいったりするので驚くなり。大部分の者は驚きもせねば知りもせぬなり。真に西洋人をして敬服せしむるには何年後のことやら分らぬなり。・・・こちらが立派なことをいっても先方の知識以上のことを言えば一向通ぜぬのみか皆これをconceitと見傚せばなり。黙ってせっせとやるべし。
今ひとつは、西洋の先進性の現実です。
日本の開化は西洋に叩き起こされたものであり、必ずしも真に覚醒したものではないと自覚しています。
(p46より引用) 日本は三十年前に覚めたりという。しかれども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。その覚めたるは本当の覚めたるにあらず。狼狽しつつあるなり。ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。文学も政治も商業も皆然らん。日本は真に目が醒ねばだめだ。
当時の日本の実力(西洋諸国に比しての後進性・西洋諸国への依存性)を冷静な目で捉えています。
しかし、その立場に止まることを決してよしとしてはいません。将来に向けた謙虚かつ着実な歩みをもって、近い将来、日本がひとかどの近代国家としてひとり立ちすることを強く心に期しています。
(p48より引用) 英人は天下一の強国と思えり。仏人も天下一の強国と思えり。独乙人もしか思えり。彼らは過去に歴史あることを忘れつつあるなり。羅馬は亡びたり。希臘も亡びたり。今の英国・仏国・独乙は亡ぶるの期なきか。日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつつあり。未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし。
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