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手掘り日本史 (司馬 遼太郎)

 「竜馬がゆく」が執筆されたころの本ですから、司馬遼太郎氏の著作としては比較的初期のものです。
 会社の書棚にあったので手にとってみました。

 内容は、のべ18時間にもわたるインタビューをベースに、聞き語りという形式で整理したもの。評論家江藤文夫氏による「歴史を見る目」についての問いに対して、司馬遼太郎氏が自らの考えを語っていきます。

 まずは、メインテーマである「歴史を見る目」に言及しているくだりから、私の興味を惹いた部分を以下にご紹介します。

(p59より引用) 一言で言えば、歴史小説を書くときのデテールの問題ということになりましょうが、やはりその当時の人間が生きていた日常を、作者が同じように生きてみるということになりましょうか。歴史を見てゆくうえで、どうもこれは大事だと思います。

 こういう日常に入り込んでいく営みを、司馬氏はこう表現しています。

(p60より引用) 歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います。

 歴史へ接近するという観点では、まずはどういう視座に立つかが一義的に重要になります。そこで登場するのが「史観」です。
 この「史観」の陥穽について司馬氏は「南北朝」を例にこう語っています。

(p112より引用) 歴史小説というものは、前時代の美を打ち壊すか、あるいはそれに乗っかるか、その態度が最初に必要なのですが、そのための素材が何もない。現実は果てもない利権争いの泥沼というだけのものが、水戸史学のフィルターにかけられて、一見すばらしい風景にみえるんです。うかつにそれに乗ってダマされてはいけない。・・・観念史観にせよ、唯物史観にせよ、史観というもののこわさがそこにあります。ときに歴史をみる人間に、麻酔剤の役目をします。

 この陥穽に陥った一例が、明治から戦前にかけての「楠木正成」の評価です。戦後におけるこの評価の転換が明示しているように「史観」は「思想」の反映でもあります。
 この「思想」について、司馬氏は面白いコメントをしています。

(p153より引用) 私は、思想というものはありがたいものではなく、・・・土木機械にすぎないものだ、と思いはじめているんです。思想の奴隷になっていてはどうしようもない。思想とは、自分たちの支配すべき土木機械だと、開き直ったわけです。
 私は日本人の一人としてそう言っているわけで、日本人だけがそういう勇気をもてるのではないか、と思うのです。歴史のなかにそういう実証がある。

 日本人には「思想」を見事に渡り歩いてきた歴史があります。他の社会にはない「無思想という思想」が、日本人の「プラス」の特性といえるのではないかという指摘です。

 司馬氏の歴史に対峙する構えは、一つの思想・史観に拠って立つ姿勢ではありません。

(p167より引用) 私にとっても、マルクス史学がずいぶん役に立っていますし、その点では恩義もありますが、あくまでもこれは、私にとって歴史をさぐるための土木機械であることは別な場所でもふれました。史観が何であれ、ときに史観という機械を停めて、手掘りにしたりしなければならない。考古学の発掘が、土木機械ではできないように、やはり歴史というものは、そういう具合に手掘りを加えたりしないと、うまくつかめないのではないでしょうか。

 「手掘り」においては、歴史に触れる自分自身の手先の感覚がとても重要になります。その生の感触が、同じものを触ったとしても、まさに一人ひとりの史実の意味づけの違いとして表出するのでしょう。

 さて、最後に、もう一節、引用しておきます。
 本書の冒頭、司馬氏が自分の祖父について語った部分です。

(p28より引用) もし私の祖父のような人間が、支配階級の側にいたとしたら、日本はここまで発展しておりませんでしょう。・・・
 祖父のように、損をしても操を売らないタイプは、むしろ庶民のなかによくいる。その点では、普遍的だとも言えます。どこの町にもいる庶民の一タイプです。庶民は、そういうことで、時代の動きに一足ずつおくれていくんですね。

 明治初年に青年期を過ごした祖父、惣八さんは、頑固に自分の思想を持ち続けた一庶民でした。



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