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なぜ社員はやる気をなくしているのか (柴田 昌治)

問題はあるのが当然

 著者の柴田昌治氏が以前著した「なぜ会社は変われないのか」という本は、私も読んで見ましたが、当時は中央官僚の間でも大評判になったベストセラーでした。
 気楽にまじめな議論をする「オフサイトミーティング」という発想はとても参考になりました。

 本書は、柴田氏にとって久しぶりの書下ろしとのことです。

 まず、柴田氏は、最近の企業の不祥事・学校のいじめといった事象をとりあげ、それらの問題の根本には、「問題がないことをよし」とする固定観念があると指摘します。

(p19より引用) 中身よりも形式を重んずる人々の考え方、すなわち問題を顕在化させ、問題があるという事実と向き合うのではなく、問題があっても表ざたにしないことで建前上は問題がないことにしてしまう姿勢の中に、組織を停滞、退化、腐敗させていく病原菌が潜んでいる。

 「問題がないのが問題」というわけです。
 最近流行の「見える化」は、問題があることを前提にして、その問題を顕在化し共有するための具体的手段だといえます。

(p66より引用) 見える化に取り組む際のポイントは、問題はなるべく初期段階で見つけ、それを応急処置で済ませるのではなく、問題の根本的な原因まで踏み込んで解決しようとするところにある。・・・
 問題があること自体を問題と考えてはいけない。どんな組織にも問題はあるのだから、問題があることが問題なのではない。問題が見えてくること自体はきわめて望ましいことなのだ。

 著者がめざす「変革」とは、「一時のもの」ではありません。「継続的なプロセス」です。

(p68より引用) 変革とは、ただ単に「今見えている問題を解決する」という単純なことではない。「問題がつねに発見され、解決され続けていく絶え間ないプロセスが組織に内包されている」状態をつくることなのである。こうした組織には組織を進化・発展させていく価値観が宿っている。

 この継続的プロセスを「つくり込む」のが難しいのです。これは、外からの働きかけだけでは絶対にできません。一人ひとりの「内発的動機」が最大のポイントとなります。

プロセスのつくり込み

 環境は変化します。その変化に追随し、さらにその変化を先取りするためには、常に自らが変わり続けなくてはなりません。
 企業に「変革」が求められる所以です。

 変化は動的なものです。したがって、企業のアクションは動的なもの、すなわち「プロセス」に結晶化されるべきです。
 著者は、その「プロセスのつくり込み」において、一人ひとりの「内発的動機」が絶対的に必要不可欠だと指摘します。

(p24より引用) 大切なのは、立派な方針がつくられているかどうかではなく、改革の「プロセスがつくり込まれていくかどうか」なのだ。このプロセスのつくり込みには、質の高い徹底的な議論が不可欠だから、かかわる人々の主体的な参加が求められる。つまり、内発的動機を伴った参加なしに、つくり込みが成立することはありえない。プロセスは儀式ではつくり込めない、ということだ。

 たとえば、種々議論されている「成果主義」の評価についても、そのめざすところの是非ではなく、その導入に至るプロセスの適否に重きを置くのです。

(p29より引用) 成果主義という考え方自体が問題なのではなく、その背景にある価値観がみんなに共有されていくプロセスを大切にして導入されたかどうかが問題なのである。

 著者は、本書の中で「内発的動機」を生み出すための具体的方法をいくつか提示しています。
 そのひとつが「セーフティネット」です。

(p138より引用) セーフティネットとは
 個人の一歩を踏み出す勇気を下支えする安心感を生み出す、「経営や上司への信頼感」「同僚への信頼感」のこと

 一人ひとりが安心して自分の考えを表明できるような場や雰囲気を作り上げておくのです。キーコンセプトは「信頼」です。

 この「セーフティネット」を実際的に機能させる重要な要素として、「スポンサーシップ」があります。上司には、「社員一人ひとりが改革の主役になるための機会を演出する」という役割があります。

(p148より引用) スポンサーシップとは、このような「持続性のある改善力」をつくり上げていくリーダーシップのことなのだ。持続力のある改善力をつくり上げるには主体的な取り組みが不可欠であり、そのためには内発的な動機づけがどうしても必要になる。スポンサーシップというのはまさに、社員の内発的な動機を引き出してゆくリーダーシップのことなのだ。

 とはいえ、やはり変革するということは簡単なことではありません。

(p221より引用) 変革と言うと、「よくなっていくこと」だと単純に理解している向きがあるが、そう単純ではないのだ。確かに長期的に見るなら「よくなっていくこと」なのだが、だからといって、けっして一直線によくなっていくものではない。途中には必ずといってよいほど紆余曲折がある。

 「変える」ということは、今までのやり方を否定することでもあります。「変える」ためには本気で「考え」なくてはなりません。

(p221より引用) 多くの場合、対話の機会が増えると、考える機会も増えてくる。しかし、考えることが習慣化してくると、最初に現れるのは、多くの場合、成果ではなく混乱である。なぜかと言えば、今まで隠されていた問題が顕在化してくるためである。「どうせ言っても仕方がない」とあきらめていた問題が「なんとかならないか」と表に出てくる。

 この混乱を、現状を乱す「破壊的混乱」として否定するか、改善の過程の「建設的混乱」として支援するか。

 関係者が、現状を改善したい、よくしたいという「内発的動機」に基づき知恵を出し合ってつくり込んだプロセスであるならば、生みの苦しみは、必ず報われます。
 仮にそのプロセスに新たな問題が発生したとしても、改革者たちにより継続的変革のサイクルが駆動されるはずです。


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