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人生の短さについて (セネカ)

賢者の時間

 セネカ(Lucius Annaeus Seneca 前4?~後65)ローマの劇作家・政治家であり、ストア派の代表的な哲学者でもありました。

 32年ごろ政界入りして卓越した弁論でたちまち頭角を現し、49年には法務官に任命されます。このころ、クラウディウス帝の養子であるネロの個人教師に任命されますが、後年、そのネロから謀反に加担したと疑われ,自殺を命じられるのです。

 まず、表題作である「人生の短さについて」において、セネカはこう断言します。

(p9より引用) われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。

 しかし多くの人々は、そのことに気づきません。

(p10より引用) 結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。・・・われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。

 他方、賢者は、時間を我が物として活用します。賢者は、過去・現在・未来を「今」に集約します。

(p46より引用) あらゆる世紀が、あたかも神に仕えるごとく賢者に仕える。時は過去になったのか。賢者はこれを回想によって摑まえる。時は現在にあるのか。賢者はこれを活用する。時は未来にあるのか。賢者はこれを予知する。あらゆる時を一つに集めることによって、賢者の生命は永続せしめられる。

 セネカは、時間の貴重さを説きます。その意味で、今を大事にせよと言います。

(p28より引用) 生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである。

 その他、本書には、「心の平静について」「幸福な人生について」という2編も併せて収録されています。

 「幸福な人生について」とは大上段に構えたテーマですが、抽象的な思索というより、身近な心得といった内容が説かれています。
 まず、冒頭、人生の目標について以下のような問いかけをします。

(p121より引用) まず念頭におくべきことは、一体われわれの努力すべき目標は何か、ということである。次に、よくよく考えねばならぬのは、どんな道を通ることによって、われわれはこの目標に最も早く進んで行くことができるかということである。

 セネカの回答は、自分で考えた道を進むことでした。

(p122より引用) 何よりも大切なことは、羊の群のように、先を行く群の後に付いて行くような真似はしないことである。

 他者の追従は、害悪に至るとの考えです。

(p122より引用) 我々を害悪に巻き込むことの最も甚だしいのは、多数者の賛成によって承認されたことを最善と考えて世論に同調することであり、また沢山のことをわれわれの先例として、道理に従って生きるのではなく模倣に従って生きることである。

 さらに、もっとストレートに断言します。

(p123より引用) われわれは他人の轍を踏むことによって滅びる。

 セネカは「自由」な精神を重んじました。他者の追従は、自らの自由の放棄と捉えていたのかもしれません。

(p129より引用) 幸福な人生の基は、自由な心であり、また高潔な、不屈にして強固な心であって、恐怖や欲望の圏外にある。

心の平静について

 セネカは「心の平静について」の中で、事にあたる場合の「三箇条」を示しています。

(p83より引用) われわれがまず第一に吟味すべきは自分自身であり、次は、今から始めようとする仕事であり、またその次は、仕事の相手とか仕事の仲間ということになろう。

 まず、主体である「自分」を知るということです。
 最も分かっているつもりで、実は多くの場合誤解しているのがこの「自分自身」です。

(p83より引用) このうち、なかんずく大切なことは自分自身の性質を正しく検討することである。というのは、得てして自分は自分を実力以上に買い被るものだからである。

 次に、「対象」の見極めです。
 このあたりは、孫子の「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」に通じる普遍的箴言です。

(p83より引用) 次には、今から始めようとする仕事そのものの内容を正しく検討すべきである。そしてわれわれの力量と、今企てようとしている仕事とを比較検討すべきである。行為者の力量のほうが、仕事の内容を常に上回らねばならぬからである。運搬人の力に余る重荷が当人を圧しつぶすことは必定である。

 さらにセネカは、その仕事に関わる「人」にも着目します。
 セネカは、「周りの人間」を「自己の時間」への干渉物と捉えているようです。

(p84より引用) また、特に人間を選ばねばならぬ。果して彼らはわれわれの生活の一部を費すに値する人間であろうか。あるいは、われわれの時間の犠牲が彼らには分かっているであろうか。中にはわれわれの親切を自分勝手にわれわれの負債にしてしまう人間もあるからである。

 相手次第で、自己の時間の価値が倍増したり、逆に時間が浪費されたりするのです。
 ただ、そういう中でも、「周りの人間」に係る別の価値である「友情」にも言及しています。

(p85より引用) しかし、何と言っても、心に喜びを与えてくれるのは、真実な楽しい友情に較ぶべきはないであろう。・・・言うまでもなく、われわれはできる限り、利己心のない人を選ぼう。

 真の友との付き合いは、自らの「心の平静」に導いてくれます。
 逆に「心の平静」を乱すものは最大の原因は「財産」だと言います。セネカは一説には莫大な富を築いたとも伝えられています。そのセネカの言です。

(p87より引用) 次に財産のことに移ろう。それは人間の苦難をもたらす最大の原因である。・・・財産を持たないほうが、失うよりもどれほど苦痛が軽いか。貧乏には失う原因が少ないだけ、それだけ苦悩も少ないことを知らねばならぬ。

 「心の平静について」の最後でセネカが薦めている示唆は、2000年近くを経た現在でもまさにそのまま受容できます。

(p115より引用) 心はいつも同じ緊張のうちに抑え付けておくべきではなく、時には娯楽に興ずるもよい。・・・カトーは公務に疲れた心を酒で和らげた。・・・心は休養によって、前よりも一層よき鋭さを増すであろう。・・・心が休みなく働くことから生ずるものは、或る種の無気力と倦怠感である。

 セネカの説く「ワークライフバランス」です。


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