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俺の考え (本田 宗一郎)

俺のバランス感覚

 本田宗一郎氏の本は、以前「夢を力に」を読んだことがあります。
 今回読んだ「俺の考え」のオリジナル版は昭和38年に刊行されたとのことですから、本田氏がまだ現役社長のころの著作になります。

 もともとは雑誌に連載されたエッセイがベースなので、本田氏一流の台詞がこ気味よく聞こえてきます。
 たとえば、こういう感じです。

(p18より引用) 設備とかそういうものは金を出せばどんなにも変る。ところが一番変らないのは、考え方、いわゆる石頭だ。これは金を出してもどうしても変らない。・・・百八十度転換しなければならないわれわれ年輩の人が悩もうとせずに、若い者を悩まし続けているのが現在ではないか。

 本田氏は、自分の手でつくる、自分でやることを重んじました。「ためしてみる」という前向きの気持ちと「ためした」という実際の活動を大事にしました。

(p20より引用) われわれの知恵は見たり聞いたりためしたりの三つの知恵で大体できている。
 ・・・ためしたという知恵、これが人を感動させ、しかも自分のほんとうの身になる、血となり肉となる知恵だと思う。

 自分でやると失敗もあります。「チャレンジしたのだから失敗してもかまわない」といった安易な言い方はしません。失敗に対しても真摯に向き合います。失敗は「反省」を通して身になるとの考えです。

(p65より引用) 「失敗は成功のもと」というたとえがあるが、ほんとうに失敗を成功のもとにする人は何人あるか。これは正しい理論を用いて反省する人にのみ与えられたる権利だと思う。・・・
「果報は寝て待て」ということわざがあるが、あれは私の祖先かだれかそそっかしいやつが間違えたと思う。あれは「果報は練って待て」で、反省して待つことだ。いくら反省しても運賦天賦ということがあるが、よく反省して待つことがわれわれの問題だと思う。

 本田氏に対してはともかく個性的だという印象を抱きがちですが、決してオリジナリティ礼讃一本ではありません。むしろ「バランスのとれた事業感覚」をもっていました。
 そのあたり、「デザイン」に関しての本田氏のことばからもうかがえます。

(p107より引用) デザインというものはどういうふうに存在するかといえば、人間には模倣性独創性と二つある。その模倣性を利用したものがデザインの一番の勝利者なのである。あの人がやっているから私もやりましょうという、それをうまく利用したものが流行であり、デザインであるのだ。
 みんなが個性ばかり欲していたら、毎日変った品物をつくらなくてはいけないから、マス・プロにならない。みんな模倣性があるおかげでマス・プロができるのだ。われわれはもちろん個性というものを非常に尊重しなくてはならないけれども、個性を尊重しなければいけないといって模倣性を否定したら、おそらくマス・プロはできない。流行にはならないから、その辺の織りこみ方がむずかしいわけである。

 また、「設備投資」についての本田氏の捉え方もなるほどと思います。

(p128より引用) ほんとうに苦しんだ人々にのみ設備投資は与えられるものであり、生きるものである。
 私は技術屋だからよく工場でいろいろなことを見ている。苦しんでいると投資しなくてもいい考えは浮いてくる。ほんとうの能率のいいというのは、何も投資せずにもうけることである。物をつくることである。

俺のマーケティング

 自らが需要を創造すべきとの気概を抱いていた本田氏は、「市場調査」についても一家言もっていました。

(p82より引用) 需要があるからつくるというのはメーカーではない。メーカーはパイオニアである以上は、あくまでも需要をつくり出すものである。だから未知にいどんでいるはずだ。未知な製品を大衆に聞いて歩いたって答えが出っこないではないか。
 ・・・大体、自分の商売のことを人に聞かなきゃいられないという人自体、市場調査をやってもむだじゃないか。

 とはいえ、“市場を調査すること”を完全に否定していたわけではありません。自ら世に送り出した製品の評価・反省そのものが「市場調査」だとの認識です。

(p83より引用) 私たちがいままで新製品をどんどん出してきているのは、過去の歴史の上に立ってものを考えてやっている。こういうふうにやったら、今度はこうやればなおいいだろう、ということで、毎日毎日が市場調査である。いろいろなクレームが来るだろうし、それからお客さんからこんなようなものはというような要求もある。それ自体が市場調査である。だから市場調査といって特別改まってやるのは私はあまり感心しない。

 本田氏の考えは、「新しいものを創り出すことは未来をつくることであり、未来のことを人に聞いて分かるはずがない、そもそもそういうことを人に聞く姿勢自体がメーカーとしては許されない」というものでした。
 しかし、反面、本田氏は「過去の調査」は重要視しました。本田氏の技術者としての実証的思考の表れだと思います。

(p87より引用) 市場調査も過去を調べる上の市場調査は実にいい。私たちにほしいのは過去の市場調査である。・・・過去というものを理論的にみていないと、市場調査だけを信用してしまう。だからいままでの過去というものが市場調査の表をみる上に大きな役割をしているということをまず知らなければならないと思う。

 これは、「過去は『確実な事実』として存在していた」ということを基本においた考え方です。この過去の事実の中に「将来につながる多くの教訓がすでに残されている」というのでしょう。

 企業の中で、将来を見通し新しいものを創り出すという機能は、多くの場合「研究所」がもっています。
 本田氏は「研究所」の姿勢についても一言コメントしています。

(p78より引用) 研究所はいろいろやらせておけば何か出てくるだろうなどと考える経営者もいるかもしれないが、それはだめだ。研究というものは必要がなければなかなかできるものじゃない。そのためには、営業なら営業がレーダーをきかして、何年先にこれを出してもらうとうちは優位になるというような、営業自体、経営自体の全体が見通しをつけて、研究所にまかせなければいけない。

 将来の見通しは、市場と経営が見極めるべきとの考えのようです。

俺のコストダウン

 先のBlogに、「本田氏は、(予想外?に)バランスのとれた実践的な考え方の持ち主である」と書きました。
 それは、以下に示すような「コストについての考え方」にも表れています。

(p88より引用) いったい、コストというものをどういうふうに考えるべきだろうか。
 私は材料を仕入れて、商品をつくって、販売してお客さんからおカネが入るまでの経費いっさいがコストと考えるべきだと思う。ところが工場は工場だけのコストを考えるところに間違いがあるのだ。・・・だから一つの企業におけるコストというものは、そこまで一貫して、販売店のセールスのことまで考え、銀行の金利まで考えたところのものでいくらだということで考えるべきである。

 まさに「部分最適」と「全体最適」の問題です。本田氏は、バリューチェーンを広く捉えます。

(p89より引用) ところが、工場だけのコストダウンばかり気をつかうから、会社はますます苦しくなる。むしろ工場ではコストダウンしなくて、よけいカネを出しても、能率のいい、アクセサリーなんかもつけて、セールスマンがいなくても、お客さんの方から現金で買いにくる、そういうような品物をつくったら、工場でコストダウンしたのと同じことになる。・・・
 あるセクションだけのコストダウンというものはあり得ない。ところが大体においてセクショナルなコストダウンが多い。それで売れなくしている。

 生産工程でのコストダウンは原価を下げる基本ですから当然重要です。しかしながら、つくることだけのためのコストダウンを追及すると商品の魅力が薄れていきます。コストダウンを図るために、高性能や高品質、魅力的なデザインなどを犠牲にする可能性があるのです。
 そういった商品は、売れなかったり、売れた後でクレームが出たり、はたまた、折角のお得意さんを失ったりと、結局のところ在庫費用・サポート費用・営業費用等々が余計にかかることになるのです。

(p91より引用) 売りやすい品物をつくってやることがコストダウンだということを第一の条件に工場なり研究所は考えなければならないということだ。

 売れなければ、すべてがコストです。

偉人会社

 本田氏はメーカーとしてのプライドを強く抱いていました。「経営の好調さは『ブーム』に乗った故だ」という言われ方には納得しませんでした。

(p19より引用) ブームというのはすでに需要があるところに、だれかがつくる、そういう意味だと思う。私たちがやる仕事はそこに需要があるからつくるのではない。
 私たちが需要をつくり出したのである。これが企業というものでなくてはならんと思う。
 われわれはあくまでもブームをつくる人間であるべきだと思う。・・・自分の個性によってブームをつくったというところに非常に誇りを持っているわけだ。

 需要を創造する企業としての誇りをもつHONDAは、「技術最優先」の会社というイメージを抱きがちです。しかしながら、本田氏の考えはそうではありませんでした。

(p61より引用) 私たちの会社が一番大事にしているのは技術ではない。技術よりまず第一に大事にしなければならないのは、人間の思想だと思う。金とか技術とかいうものは、あくまでも人間に奉仕する一つの手段なのである。
 ・・・人間を根底としない技術は何も意味をなさない。

 本田氏は「ひと」を大切にします。ひとりひとりの個性・自由な考えを尊重するのです。

(p68より引用) 現代の偉人は大衆の偉人であるべきだ。昔のように人の犠牲によってなり立った偉人は断固として排撃すべきである。ナポレオンしかり。豊臣秀吉しかり。人の犠牲によってなり立っている偉人を崇拝するという思想は非常にこわい。
 それは会社経営においてもこわいと思う。一人一人の思想が違うように、それぞれ持味、得意が違うのだから、その得意をみんなして出し合って一つの法人という偉人をつくりたい。

 こういった本田氏の考え方は「経営哲学」といった範疇のものではなく、もっともっと根源的な氏の「人間観」そのものだと思います。

(p69より引用) 紙くずがあるなら拾ってやるとか、おばあさんが車道を横断できなければ手をひっぱってやるとか、心あたたまるような行為、これも偉人だと思う。・・・偉人というものは自分の周辺にいくらでもあるものだ、ということをわれわれが悟らなければならない。それが会社を発展させる基本であると思う。

 ひとを大切にする姿勢は、ひとの喜びを求めます。本田氏の喜びは、一人ひとりが自分自身の「夢」を抱くこと、そして自由な精神でその「夢」に向かって突き進むことでした。

(p177より引用) 正直にいって私の会社の組織なども、他の大企業に比較すると、足もとにも及ばない。・・・そんな私にも、ただ一つ誇りたいことがある。
 それは若い人たちである。その若い人たちに対して、本当の気持をくみとり、みんなにふるい立って働いてもらったということが、今日の繁栄をもたらしている、と思う。
 若い人はいいものだ。過去を持たないからいつも前向きの姿勢でいる。将来へ一歩一歩前進しながら、現実をありのままに受けとめて、新鮮な心でこれを吸収する。そして、正しく時代を反映する。
 いい経営とは、そうした若い人に夢をもたせることだ。・・・
 私の社の「社是」の第一条はこうだ。
「常に夢と若さを保つこと」

 この本田氏が言う社是は、いまでもHONDAの「企業理念:運営方針」としてそのまま残っています。


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