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わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯 (城山 三郎)

 倉敷美観地区にある大原美術館は、私がお勧めする美術館のひとつです。
 私の出身が岡山で、学生のころ長期休暇で実家に帰省していたときごとに訪れていたためでもありますが、都会の特別美術展の騒々しさとは無縁の雰囲気の中、素晴らしい常設作品を楽しめることが、その最大の理由です。

 本書は、この大原美術館を始め、数々の文化・社会施設を作り「社会から得た財はすべて社会に返す」という信念を貫いた実業家、大原孫三郎氏の生涯を描いた城山三郎氏の著作です。

 主人公の孫三郎は、地方の一紡績会社からはじめ、銀行・電力会社を含めた大財閥を一代で築き上げた傑物です。その交友関係は広く、その知己のひとり経済学者大内兵衛が講演の中で語った大原評をご紹介しましょう。

(p14より引用) 金を儲けることにおいては大原孫三郎よりも偉大な財界人はたくさんいました。しかし金を散ずることにおいて高く自己の目標をかかげてそれに成功した人物として、日本の財界人でこのくらい成功した人はなかったといっていいでしょう。

 孫三郎の経営理念は、工員を人間として迎え入れ、自立した人間として送り出すということでした。そして、そういう理想を自ら「人格主義」と呼んだそうです。孫三郎は、自分に課した理想を実現するための投資は全く惜しみませんでした。

(p153より引用) とはいっても、孫三郎も経営者である。経営数字を無視しているわけではない。・・・
 ただし、数字さえよければよい、という見方ではない。出勤率が98パーセントという数字を見たとき、孫三郎はすぐ担当者を呼んで、注意した。
「どこかで無理を強いなければ、こんな数字が出るはずはない」

 こういった理想に根ざした信念を貫き通す強硬な経営姿勢は、一人息子總一郎にも受け継がれました。

(p251より引用) 總一郎がまだ晩年の父孫三郎からよく聞かされたのは、
「十人の人間の中、五人が賛成するようなことは、たいてい手おくれだ。七、八人がいいと言ったら、もうやめた方がいい。二、三人ぐらいがいいという間に、仕事はやるべきものだ」
 ・・・もっとも、父親の言葉には次のような続きがあった。
「一人もいいと言わないときにやると、危ない」

 さて最後に、本書を読んで、私にとっての「懐かしい発見」をひとつ。
 今から50年以上前、岡山に住んでいた当時です。私がおやつによく食べていた「ろうまん」という蒸しパンがあったのですが、それは大原孫三郎に関わりがあるとのこと。孫三郎が労働環境改善のために倉紡工場内に設立した「倉敷労働科学研究所」所縁のものでした。

(p167より引用) 若い研究員たちは、深夜作業につき合い、・・・栄養状態を手軽に改善するための饅頭までつくり出した。糖分を抑えた黒豆入りの蒸しパンで・・・名づけて「労研饅頭」。
 ・・・この饅頭は「ろうまん」の名で岡山の町でも売られ・・・

 残念ながらこの「ろうまん」、製造販売を続けていた三笠屋が2007年廃業し、岡山ではもう作られていないとのことです。



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