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孫子(浅野 裕一)

軽挙妄動

 「孫子」は2冊目です。先の岩波文庫版に比べて、こちらの本は訳者による節ごとの解説が充実しています。
 岩波文庫版の「孫子」の項において「『孫子』は決して好戦の書ではありません。」と記しました。

 孫子で示されている「戦争の本質」は、たとえば「不戦而屈人之兵、善之善者也」というフレーズに表れています。

(p42より引用) 敵国の意図を挫く点にこそ戦争の本質があることを深く認識するならば、戦わずして勝つべきことを強調する孫子の言葉が、実は空想でも観念論でもなく、まさしく戦争の真理を喝破した教えであることに気づくであろう。

 そもそも戦争は、軍事力の発動それ自体が目的ではなく、何らかの政治上の目的(たとえば、敵の企てを挫く)を達成するためのあるひとつの方法(手段)にすぎないのです。同じ目的を達成する方法には、たとえば、外交手段を駆使するといった他の方法もありうるわけです。
 したがって、国家間で何らかの問題が発生した際、その解決にあたって「戦争という手段」に訴えるかどうかが「指導者の最大の判断」となるのです。

(p258より引用) 怒りは復た喜ぶ可く、慍りは復た悦ぶ可きも、亡国は以て復た存す可からず、死者は以て復た生く可からず。故に明主は之れを慎しみ、良将は之れを警む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。

 戦争による損害・損失はとてつもなく大きなものです。生活を乱し国を滅ぼし、何よりも尊い多くの命を奪うことになります。
 それらに勝る意味があるのか。「孫子」はその締めくくりの章で、国王・将軍に対し開戦による愚を訴え、軽挙妄動を強く戒めているのです。

己を知る困難

 「知彼知己、百戦不殆」。先の岩波文庫版の「孫子」でも取り上げた有名なフレーズです。
 これは、彼我を知ることの重要性を説いたものですが、実は「知彼」と同じく「知己」も難しいのです。敵を知るのとはまた違った観点で気をつけるべき点が存在します。

(p56より引用) 自軍の実情認識は、秘密でも何でもないないわがことであるから、把握がいとも容易であるかに思える。ところが実は、ここにこそ自己弁護・自己正当化といった、深い落とし穴が存在する。・・・最も知りやすいはずの自己の欠点・弱点に故意に目を覆い、いつの間にか自己の願望が客観的事実にすりかわったりして、過信や独善に陥りやすいのである。

 この点は、自分自身という「個体」においてもそうですし、自軍といった「組織」においても言えます。蓋し“慧眼”ですね。

 したがって、将たる者の重要な資質としては、自軍の真の事実(姿)を把握・認識する「真摯な謙虚さ」と、その事実をもとにした「冷静な判断能力」が求められるのです。

(p56より引用) 思い込みの強い者、反省心のない者は決して勝てない。敵と自己との実情を徹底的に思い知り、一切の甘美な幻想を切り捨て、最悪の事態にこそ備えんとする精神的苦痛に耐えられぬ者は、そもそも敵と勝敗を争ったりすべきではない。

将・兵・民

 「孫子」はそもそも「王」のための書ではなく「将」のための書だと思います。
 「将」に対しては、厳しくも気高い気概を求めています。「非天之災、将之過也」という言葉もそうです。

(p182より引用) 敗北は決して天災ではなく、あくまでも人為の失敗だ、と突き放す孫子の言葉は、神秘的なものに敗戦の責任を転嫁しようとする甘えを許さない、冷徹な響きを持っている。

 これに対し、「天の我を滅ぼすにして、戦いの罪には非ず」と叫んだのは項羽でした。項羽は、自らの敗北を自らの責に帰そうとはしなかったのです。
 古代中国では、このように軍事的勝敗の原因を天の巡り合わせといった人知を超えたものに求める考え方(陰陽流兵学)が流行していたということです。が、「孫子」は、そういった非合理的な考えを一蹴したのです。

 また、「孫子」が対象としていた「兵」は一般民衆からの徴兵でした。
 それ以前は職業兵(身分兵士)だったので、個の技量を前提にした戦術が可能でした。しかしながら、一般民衆徴兵の場合は個々の技量に頼ることはできません。そこで軍事専門家による軍略の重要性がクローズアップされたわけです。
 そこでは、兵は将が動かすべき「対象物」となります。(個人的には、最も忌むべき考え方ですが、孫子の兵法においては愚民主義なのです。)

(p221より引用) 之れを犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てする勿れ。・・・之れを死地に陥れて、然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて、然る後に能く敗を為す。

 その「孫子」の中で、「一般民衆」はどういうふうに考えられているのでしょう。将の倫理を説いた「進不求名、退不避罪、唯民是保、而利合於主、國之寶也」すなわち、

(p189より引用) 名誉や功績を欲せず、汚名や誅殺を恐れず、ただひたすら民衆の生命を無駄に失わせぬよう計りながら、君主や国家に利益をもたらそうとするのは、将軍がすでに己を全く無にしていてこそ、はじめて可能な行為である。

の論旨からみると、当時の民衆はやはり「守るべきもの」ではあったようです。最低限の救いです。


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