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日本史から見た日本人 昭和編‐「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎 (渡部 昇一)

 参加したセミナの課題図書として指定されたので読んだ本です。
 渡部昇一氏の著作は初めてでした。

 渡部氏は、本書で、自身の昭和史観の集大成を目指したと言います。昭和史の中でも、特に「第二次世界大戦(渡部氏の用語では「大東亜戦争」)」に至る背景を詳細に論じています。

 渡部氏は、不幸な戦争に至った根源的遠因は明治期の「大日本帝国憲法での規定事項の欠陥」にあったと指摘します。

(p9より引用) 明治憲法には首相(総理大臣)という言葉もなければ、内閣という言葉もない。あるのは国務大臣だけである。つまり、明治憲法は行政府についての明確な規定のない欠陥憲法だったのだ。

 憲法成立当時は問題として顕在化しなかったこの点が、伊藤博文をはじめとする元勲の代替わりによって後に形式的解釈の隙を生み、ついには、戦前の日本を、統帥権干犯問題を緒とする「政府と軍とのダブル・ガバメント(二重政府)の国」に導いてしまいました。

(p348より引用) まことに統帥権干犯問題は、歴史の急坂にさしかかった日本というバスからブレーキを取り除いたような結果になったのである。いかに運転者が努力してもバスは谷に転落するであろう。乗客の被害も大きく、谷にある村の人々の被害も大きかった。
 憲法のたった一条項の解釈の惹き起こした内外の惨禍を思う時、今なお痛憤に堪えない。

 この点、もう少し具体的には、こういうことです。

(p387より引用) 昭和五年(1930)以来、軍は「統帥権は天皇に直属するから、内閣は軍のやる事に口出しできない」という原則で国を引きずってきた。それは、天皇が直接に命令することはありえないことを知ってのうえでの主張であるから、偽善の最たるものである。統帥権とは、軍が政府に掣肘を受けることなく勝手なことをするための、明治憲法の隙間をついた詭弁である。

 さらに、外圧としての「アメリカの日系移民排斥問題」「ホーリイ・スムート法に代表される保護貿易主義の台頭」それに連なる世界大不況等が重畳的に発生し、日本は不幸な戦争へと突入していったのです。(別の見方からは、押し流されていったという感覚かもしれません)

 本書で開陳されている渡部氏の主張のすべてに首肯するものではありませんが、現在の学校教育や多くのマスコミの論調では窺い知ることのできない歴史的事実や昭和史観があることは、非常に興味深く感じました。

 また「明治憲法の欠陥」という独創的な視点から、改めて昭和史を読み説いてみせたという点は、多様な視座の容認・多角的・多面的見方の重要性を再認識させてくれました。

 さて、私が参加したセミナーでは、本書を読んだ後、渡部氏ご本人をお招きして直接お話を伺う機会を持つのですが、そのとき、渡部氏は、ご自身のお母様のお話を出して「配給制」はダメだという象徴的な主張をされていました。
 本書ではその趣旨は以下のようなフレーズに表れています。

(p252より引用) 商業は買手と売手の自由なる同意を前提とする。この同意は自由意志に基づく。市場とは自由を前提としなければならない。つまり、商業は自由と分かちがたく結びついている。したがって自由商業を抑制する政策を一つ採ると、それは進行的に人間の自由そのものを侵すようになるのである。

 基本的思考を上手いメタファーを使ってシンプルに表すのもなかなか難しいですね。


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