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昭和史を動かしたアメリカ情報機関 (有馬 哲夫)

アメリカドラマと情報機関

 第二次大戦の大勢が決した以降、戦後日本の社会体制の立ち上げにあたっては、アメリカの情報機関が大きな役割を果たしていました。

 著者の有馬哲夫さんは早稲田大学教授で日本の公文書研究者。
 本書は、昭和史の重大局面においてアメリカ情報機関が関与した具体的な活動を、アメリカ公文書館等で蒐集した多くの資料をもとに明らかにしたものです。

 さて、アメリカの情報機関といえば、現在はCIA(アメリカ中央情報局Central Intelligence Agency)が有名ですが、その「I」は、informationではなくintelligenceです。

(p9より引用) インテリジェンスと情報とは同じではない。インテリジェンスとは、軍事行動とか政策について決断するときに使われるもので、専門家による分析や評価と経たのちに「知識」まで高められたものだ。情報はその素材にすぎない。
 通信社や新聞やテレビのレポーターが飛び回って集めた情報は、それだけではインテリジェンスにはならない。だが、深い知識を持ち経験を積んだ軍事や外交の専門家がそれらを分析し、評価すると、インテリジェンスになりうる。

 戦争の分類として、「軍事戦」「政治戦」「心理戦」といった分け方があります。こういったそれぞれの側面をもつ戦いを遂行していくために、専門組織がつくられていきました。その変遷は、アメリカの国際社会での立場や国内の政治状況、その時期の財政状況等にも左右されました。

 たとえば、第一次世界大戦勃発に伴い、暗号解読のための組織である陸軍・海軍併設のブラック・チェンバーが創設されたのですが、戦後1929年に廃止されました。
 その際の考え方には、当時のインテリジェンス活動の位置づけが投影されています。

(p38より引用) 国務長官スティムソンは、「紳士は相手の手紙を読まないものだ」といって1929年に廃止した。
 これは単にスティムソンがいささか古臭い騎士道的道徳観を持っていたということだけを示すのではない。暗号解読情報というものが当時の政治エリートたちにどう受け止められていたかを示すものでもある。
 つまり、外交とは信義を重んじなければならない。相手を欺いて、いっとき勝利を収めたとしても、信義を失えば長期的には不利益になる。

 インテリジェンス活動は、特に「心理戦」において、対象の社会生活にも大きな影響を及ぼします。

 本書の中で著者は、戦後整備された「日本テレビ放送網」設立にあたって、反共産主義的プロパガンダの手段に加え、戦時においてレーダー・航空管制に使用できるマイクロ波通信網構築という目的があったことを明らかにしています。
 このような、戦後の日本へのテレビ導入の背景を踏まえると、当時流行したアメリカドラマにも別の意味づけがなされます。

(p224より引用) 日本のテレビ放送は、始まるとまもなくアメリカのテレビ番組にゴールデンアワーを占領されるようになった。これが、アメリカの心理戦の一環だったことは、テレビ導入の経緯からも否定しようがない。その計画立案にあたったのも心理戦委員会(およびそのメンバーの国務省、国防総省、中央情報局)だったのだ。

戦後を動かすインテリジェンス

 アメリカの情報機関は、戦後日本の基本的枠組みを規定する重要な決定プロセスに深く関与していました。

 たとえば、天皇制存続議論における戦時情報局を中心とした動きです。
 当時、国務長官代理として戦時情報局に大きな影響力を有していたグルーは、戦後の日本統治の枠組みを戦略的に構築しようとしていました。そのアクションプランのひとつが米国政府および米国国民の世論形成でした。グルーの頭の中には、無条件降伏を突きつけられて、国民が絶望的抵抗へと動いたドイツの姿がありました。

(p75より引用) グルーは、日本はそうならないように、早く無条件降伏の定義を明らかにしたいと思ったのだ。つまり、無条件降伏とは軍事的なものであって、政治的なものではないということ、国民の生命や尊厳を奪うものではないということだ。
 グルーはこのように日本人の無条件降伏に対する恐怖心を和らげておいて、いよいよ日本に天皇制存置を盛り込んだ宥和的降伏条件を提示しようとした。

 このグルーの計画は、後の国務省の不同意により、そのままの形では遂行されませんでした。しかしながら、その方針はポツダム宣言を経て、終戦後の象徴天皇制存置という結果に連なっていったのでした。

 そのほか、日本の戦後史に大きな影響を与えたアメリカ軍の組織としては、いわゆる「参謀二部」があります。参謀二部は、もともと心理戦を行う部局であり「諜報、保安、検閲など」を担っていました。

(p156より引用) 占領期において、参謀二部は民政局と日本の占領政策において、日本改造において激しい主導権争いを演じた。
 とくに政治の分野では、民政局は左翼勢力を支援し、片山哲や芦田均を政権につけた。一方、参謀二部は保守勢力に肩入れし、左翼政権の前後に吉田内閣を実現させた。日本の戦後体制はこの二つの勢力のぶつかりあいのなかで形づくられたといっていい。

 戦後日本の保守主流の政治潮流は、「参謀二部」の政治的成果の表れとも言えるようです。

(p163より引用) 軍事戦で勝利しただけでは、政治的目的は達成できない。政治戦と心理戦によって敗戦国をコントロールしなければ、政治的成果は得られないし、それは永続的なものにならない。参謀二部は正力や岸や重光を自らの政治戦のコマに使ったのだ。

 さらに、有力新聞や放送網も押さえたメディア・コントロールの枠組みは、占領後も根強く残り続けたと著者は指摘しています。



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