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陰翳礼讃 (谷崎 潤一郎)

東洋文明の可能性

 先に読んだ「日本文化論の系譜」において、文人による「日本文化論」の代表作として紹介されていたので、読んでみました。

 谷崎潤一郎氏(1886~1965)は、東京生まれでご存知のとおり明治~昭和期の小説家です。
 自然主義文学が盛んだった明治末期の文壇に異をとなえて、「刺青」をはじめとする倒錯的な官能美にみちた作品を発表しました。

 「陰翳礼讃」は、谷崎氏の手による随筆です。日本の生活文化が家屋の薄暗さや蝋燭のほのかな灯の下で醸成されてきたことを説き、当時の洋風に傾いた文化への懐疑と反省を綴ったものとされています。
 谷崎氏は東洋独自の文明の可能性について、こんな考えを披露しています。

(p14より引用) もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。たとえば、もしわれわれがわれわれ独自の物理学を有し、化学を有していたならば、それに基づく技術や工業もまた自ら別様の発展を遂げ、日用百般の機械でも、薬品でも、工芸品でも、もっとわれわれの国民性に合致するような物が生まれてはいなかったであろうか。

 西洋は自らの文明で自らの進路を拓いていきましたが、東洋は、新たに西洋文明を受け入れざるを得なかったために、旧来の良き文化が廃れていったのだと言います。

(p15より引用) とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった、そこからいろいろな故障や不便が起っていると思われる。

 谷崎氏は、自らの文化に合った自らの手による文明の可能性に思いを巡らせたのでした。

(p16より引用) 尤もわれわれを放っておいたら、五百年前も今日も物質的には大した進展をしていなかったかもしれない。・・・だがそれにしても自分たちの性に合った方向だけは取っていたであろう。そして緩慢にではあるが、いくらかずつの進歩をつづけて、・・・他人の借り物でない、ほんとうに自分たちに都合のいい文明の利器を発見する日が来なかったとは限るまい。

懶惰の説その他

 表題作の「陰翳礼讃」は、文化論としても有名です。
 たとえば、「陰翳」「陰」「闇」を地にした、「光」「金襴」「塗物」などの深く鈍い美しさ。こういった美意識が、西洋にない東洋的感性だと谷崎氏は言います。

 私が選んだ本書には、「陰翳礼讃」のほか、「懶惰の説」「恋愛及び色情」「客ぎらい」「旅のいろいろ」「厠のいろいろ」の5編の随筆も収録されています。
 「懶惰の説」にも東洋と西洋を比較した谷崎氏ならではの考察が紹介されています。

(p70より引用) 自分が楽しむよりも人を楽しませることを主眼とする西洋流の声楽は、この点において何処か窮屈で、努力的、作為的である。聞いていて羨ましい声量だとは思っても、その唇の動きを見ていると何んだか声を出す機械のような気がして、わざとらしい感じが伴う。だから唄っている本人の三昧境の心持が聴衆に伝わると云うようなことはないと云っていい。これは音楽のみならず、総べての芸術においてこの傾きがあると思う。

 西洋の精力的で勤勉な生活テンポに対しある種の無味乾燥の感を抱き、それと比較して、東洋の「億劫がった物憂い生活感」に人間的な価値を認めているようです。
 こういう考えを抱くに至ったくだりについて、氏は、「トイレや浴室のタイル」や「ハリウッドの映画俳優の白い歯並び」を例示としてあげていますが、このあたりの著述は、ウィットも感じられてなかなかさすがに秀逸です。

 その他、「客ぎらい」では、谷崎氏自身による人となりの自己分析が、また、「旅のいろいろ」「厠のいろいろ」では、当時の生活習慣やその中での谷崎氏一流の着眼等が、とてもおもしろく感じられました。


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