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孫子 (金谷 治)

不戦の孫子

 「孫子」は決して好戦の書ではありません。
 巻頭で、「戦争は国の大事であるのでよく熟慮しなくてはならない」と記しているのがその証左です。

(p20より引用) 孫子曰わく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。

 戦争にあたっても、敵兵や民を傷つけることはよしとしていません。戦わずして、敵国を傷つけずそのまま降伏させるのが上策としています。

(p35より引用) 孫子曰わく、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。・・・是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

 さらに、巻末近くの章(火攻篇第十二)でも重ねて、開戦にあたっては慎重であるよう説いています。

(p144より引用:訳文) 聡明な君主はよく思慮し、立派な将軍はよく修め整えて、有利でなければ行動を起こさず、利得がなければ軍を用いず、危険がせまらなければ戦わない。君主は怒りにまかせて軍を興こすべきではなく、将軍も憤激にまかせて合戦をはじめるべきではない。有利な情況であれば行動を起こし、有利な情況でなければやめるのである。・・・聡明な君主は〔戦争については〕慎重にし、立派な将軍はいましめる。これが国家を安泰にし軍隊を保全するための方法である。

 その意味で、孫子においては情報戦を重視し、実際に兵力を交わらせることなく戦いに勝つことを目指します。仮に戦うにしても兵の傷みは極力少なくするために敵の弱点を突く局地戦を薦め、また、民や国力の疲弊を避けるために長期戦はよしとしていないのです。
 このような戦争観は、以下の節にあるように、「民を保つ」将軍は国の宝だと評価していることにも表れています。

(p112より引用) 進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて而して利の主に合うは、国の宝なり。

 また、君主や将軍に対しては、冷静で合理的な考え方を求めています。決して、「イケイケドンドン」タイプではありません。利と害との両面を比較考量したうえで、それらを包含したバランス感覚のある判断を説いているのです。

(p87より引用:訳文) 智者の考えというものは、〔一つの事を考えるのに〕必らず利を害とをまじえ合わせて考える。利益のある事には害になる面を合わせて考えるから、その仕事はきっと成功するし、害のある事には利点を合わせて考えるから、その心配ごとも無くなるのである。

巷の孫子

 「孫子」が出典となって人口に膾炙しているフレーズは結構あります。
 最も有名なのは「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」でしょうか。まず、「謀攻篇第三」に以下のように登場します。

(p41より引用) 彼知知己者 百戦不殆
故に勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一敗す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。

 また、「地形篇第十」でもほぼ同じ言い回しが見られます。

(p115より引用) 彼知知己 勝乃不殆
彼れを知りて己を知れば、勝 乃ち殆うからず。

 「孫子」の兵法によれば、戦いに勝つ秘訣は「勝てる戦いしかしない」ので必ず勝つということです。したがって、勝てる戦いかどうかを事前に見切ることが肝となります。ここに、「情報収集・分析」が最重視されるのです。
 たとえば、以下のような実践的な示唆が全編のあちらこちらに見られます。

(p103より引用) 杖きて立つ者は飢うるなり。汲みて先ず飲む者は渇するなり。利を見て進まざる者は労るるなり。・・・

 さらに、「孫子」では、最後の篇を「用間篇」として独立させて、間諜による活動、すなわち情報操作の重要性を説くことに充てています。

 もうひとつ「孫子」といえば、武田信玄の軍旗に書かれた「風林火山」も有名です。

(p77より引用) 其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山・・・此軍争之法也(軍争篇第七)

 戦国大名にとっても「孫子」の兵法は必須科目でした。


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