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小説「魔法使いのDNA」/#018

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恭輔

 藤岡さんの経営する音楽プロダクションは「ハーツ・ビューティ・ミュージックレッスン」という名前で目黒区にあった。

 ベーシストの長谷川はバイトがあって一緒に来られなかったので。オレと怜と二人で藤岡さんに会いに行った。

 インターネットで会社概要や所属するアーティストなどを少し調べてみたら、聞いたことのあるミュージシャンの名前があり、会社の経営理念はちゃんとしていて実績もあったのではなから不安はなかったのだけれど、実際に訪れてみると、想像していた以上に会社らしくて立派だったので、安心するというより少し緊張してしまった。

 受付の人は感じが良くて、敬語もまともに話せないオレたちに丁寧に対応してくれた。
 オフィスの中に通されて、働いている社員の姿を目にした。
 きびきびとしていて、背筋がすっと伸びていて、表情には活気が溢れていた。
 社長室ではなくて、小さな会議室に通された。
 中に入るとすぐにドアがノックされ、お茶が運ばれてきた。
 お茶を運んできた女性が部屋を出ると、怜は慌ててお茶を飲もうとして、「アチっ!」と言った。
  
 5分ほど待っていると、ドア越しに人の気配がして、再びドアがノックされた。
 背筋の伸びた背の高い白髪の男性と、若くて眉毛の少し濃い男性が入ってきた。

 「こんにちは。ようこそいらっしゃいました。」と白髪の男性が笑顔でそう言って、二人はオレたちの正面に座った。
 「はじめまして、藤岡です。生前、恭輔くんのお父さんにはたいへんお世話になりました。」と言って、白髪の男性はオレたち二人に名刺を差し出した。
 「こちらは山本と言います。」と若い男性を紹介すると、男性はオレたちに「山本です、はじめまして。」と挨拶をした。

 「なるほど、リュウさんに似ているなあ。すぐにわかったよ。」と藤岡さんはオレの顔を見ると、懐かしそうに目を細めて言った。

 藤岡さんは終始ニコニコしていて物腰が穏やかだったけれど、時折見せる視線は刺すように鋭くて、オレたちは何度かドキッとした。

 オレも怜も「はい」と返事をするのが精一杯で、気が利いたことは何も言えなかった。

 藤岡さんからオレたちにいろいろと質問をしてきて、同席している若い男性がメモを取った。
 いつからどんな活動をしているのか、どのくらいのペースでライブハウスに出演をしているのか、オリジナルの曲は何曲くらいあるのかという質問だった。

 きちんとスタジオで録ったデモ演奏CDをオレたちは制作したことがなかったが、ライブハウスに出演したときの演奏CDを持ってきていたので、それを藤岡さんに手渡した。
 藤岡さんはそれを山本という社員に渡すと、「聞いて感想を聞かせて。」と言った。

 「それじゃあ近いうちの会社の誰かにキミたちの演奏を見に行かせよう。」と藤岡さんは言って立ち上がり、カルティエの洒落た時計をちらりと見やり、「悪いね、次の予定が入っているので。」と言ってオレの手の前に手を差し出して握手を求めた。
 藤岡さんの手は大きくて皮が厚く、力強い握手だった。
 オレと握手した手をそのまま怜に向けて、怜と握手をすると、「よろしく。」と言ってにっこりと笑って部屋を出て行った。

 後に残った山本さんが、その後、オレたちの連絡先や今後のライブの予定などをスケジュール表を見ながら機械的に質問した。
 質問に一通り答え終わると、「今日は会社までお越しいただいてありがとうございました。よろしければこれをどうぞ。」とハーツ・ビューティ所属アーティストのロゴマークが入ったタオルをオレたちに渡した。
 最近、売れているバンドではあったが、オレも怜もその楽曲に興味を持ったことは一度もなかった。

 「実は私もギタリストをめざしていたんですよ。」と山本さんが自分のことを語り出した。
 「自分は待っているだけで行動ができなかったけれど、こうしてチャンスを目の前にしているお二人が正直羨ましいです。」と好意的な笑顔を見せた。
 「私もまだ夢をあきらめたわけではないし、こうして音楽に携わる仕事ができることは幸福ですけどね。」と言うと山本さんは立ち上がって先導し、オレたちを会社の玄関先まで送ってくれた。

 何もかもが思い通りというわけではないけれど、人生は概ね順調に進んでいる気がした。
 そして要所要所で決断をしているのは自分だと思っているが、選択肢が少なかったり、どちらかを選ぶときに条件が狭められていて、「選ぶ」というよりも「選ばされている」という感じだったり、また、表向きは選択肢があるように見えているけれど、実はどちらを選んでも行き着く先が一緒だったり、本当はオレの人生って誰かによってプログラムがされているんじゃないかと思うことがある。
 そうとは言え、自分は深く考え込む性格ではないし、だからと言ってそれに反発しようとも思わないし、むしろ、流れにのってしまおうというタイプの人間なのだが。

 「なんか、好い感じだな。」藤岡さんの会社からの帰り道、おれは怜に向かってそう言った。
 「ああ、好い感じだ。音楽で飯を食っていけたら最高だよ。」と怜は遠くを見つめてそう言った。
 「銀ちゃん、羨ましがるだろうな。」と悪戯な目を怜に向けると、「ああ、すでに羨ましがっている。俺たちの足を引っ張ることはないだろうけれど、俺たちに便乗して自分にもチャンスがないか探るだろうなあの人は。」
 「ある意味尊敬するよな。」
 「ああ、尊敬する。」

 そして、しばらく二人はそれぞれに思い思いの想像をしながら、沈黙のまま駅への道を歩いた。

 「なあ、メシでも食っていかないか?」と怜が言った。
 「いいね。」
 昼まで寝ていたオレは今日一日まだ何も食べていなかった。
 時間は3時をまわったところだというのに。

 ちょっと古ぼけた感じの喫茶店に入ると、BGMにレッド・ツェッペリンがかかっていてオレたちの好みの雰囲気だった。
 美大生っぽい雰囲気の、不思議な感じのある女子店員が水とメニューを運んできた。
 オレたちはドライカレーの大盛りとアイスコーヒーを注文した。

 カウンターの中で、腰から下だけの黒いエプロンをした愛想のない頑固そうなマスターがこっちを見ていた。

 女子店員はオレたちの後で店に入ってきたお客さんに水を出していたので、代わりに愛想のないマスター自らがオレたちの席にできあがったドライカレーを運んできた。

 マスターはオレたちの顔を見ると、少し驚いたような素振りを見せて、「ずいぶん久しぶりですね。」と言った。
「いいえ、この店に来たのは初めてだと思います。」とオレが言うと、「そうか、そう言えば30年も前のことだし、あのときの年齢のままなんてありえないか。いや、ホントそっくりのお客さんを思い出したものだから、ごめんなさい変なこと言って。」
と言って笑った。
 エクボのような皺ができるマスターの笑顔はチャーミングで愛想の悪い印象は一発で吹き飛んだ。
 「うん、いいね、キミたち。久しぶりにロックが滲み出ている人間を見たよ。きっとうまくいくさ。」マスターはそう言い残してカウンターに戻って行った。

 オレたちはますます気分が良くなった。


#018を最後までお読みいただきありがとうございます。
#019は5/22(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。


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