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私は__までに__を脱学習する|31冊目『アンラーン戦略』

バリー・オライリー(2022, ダイヤモンド社)

私は__までに__を脱学習する。

あなたなら、いつまでに何を脱学習(アンラーン)しますか?

自分は、いろんなことにチャレンジはするのですが、うまくいかないことも多く、すべてが結果に結びついているとは言えない状況です。
意識しないと考え方もやり方も変わらないので、いつも似たような結果になってしまうのかも知れません。

なので、アンラーンという言葉の響きには、「そうか、アンラーンか」と、なんとなく心が弾みます。

こだわりやしがらみやプライドや畏れやら、昔から自分をしばりつけて動けなくしている何かを脱学習して身軽になったら、今度こそ違うステージに行けるかも知れません。

一杯のお茶 禅師 南隠の言葉

明治期の日本の禅僧、南隠のところに大学教授がやってきて、「禅」とは何かと聞きました。
南隠は客人にお茶を供し、器にお茶がいっぱいになっても注ぎ続けました。

「禅師、お茶はもういっぱいです。もう入りませんよ。」
すると、南隠は言った。
「お前さんはこの器と同じなんですよ。お前さんの心は自分の考えや意見で満ち満ちておる。まずはお前さんが自分の心の器をカラにしなければ、私がどう禅を語っても、わかってもらえるはずがないではないか」

一杯のお茶,『Zen Flesh Zen Bones』

つまりアンラーンとは、U理論でいうダウンローディングをメタ認知して、プレゼンシングを触発することか?
それとも、システム思考でいうところのメンタルモデルを変えるということか?
など、さっそく余計なことを考えてしまう自分の器は、すでに冷めたお茶で満たされていて、新しい学びを受け容れる状態にないようです。

自分は何をアンラーンすべきなのか?

10年くらい前に、ある人からこう言われました。

「萩野くんはもう勉強している場合じゃないよ。とっとと仕事しようよ。」

そうは言っても、いつまで経っても学びは必要だと思うので、勉強はし続けようと思っています。
そして、勉強するから仕事をしていないというわけではなくて、自分なりにせっせと仕事もしていたつもりです。

しかし、その人が言いたかったのはそういうことではなかったのだと思います。

私は、ものごとがうまくいかなかったり行き詰まったりすると、本を読んだり、学校に通ったり、資格をめざしたりすることで自分の心に別の居場所を作り、そこに逃げ込もうとします。
そのことを指摘されたのだと思っています。

私は行動をしないわけではありません。
むしろ、思ったらすぐに行動するタイプです。
しかし、その行動の動機も「不安」にあります。

自分は不安で臆病なので、じっと構えていることができず、勉強して、そして行動することで安心したいのだと思います。

実は現在も夏からの学びを計画しており、リスクの伴う行動はそれが終わってからと先延ばしに考えているのかも知れません。
つまり、学ぶことが行動をしない、「やらない言い訳」になっているのでは?と言われれば完全否定はできません。

さて、そんな中で、今、私は何をアンラーンすべきかと問われたら、「不安」「臆病」そして「安全志向」をアンラーンすると答えたいと思います。

それができない限りは借金もできず、すなわち資金調達ができず、会社を立ち上げるなんてとてもできないからです。

10年くらい前に一度、起業することを考えたことがありますが、仕事がないことが不安で、いつでも頭の中では、日々の収入と支出を計算していました。
組織に勤めていればそうしたお金の苦労がなくなって楽チンなので、あっという間に10年が過ぎてしまいました。

そして、おかげ様でその間に念願のビジネススクールにも通えました。
仕事を通していろんなことを学ぶこともできました。
組織論を専門にしているので、実際の組織やリーダーシップの良い事例、悪い事例を実感として学んでこれました。

だから、この10年間は無駄ではなく、とても有意義なものだったと思っています。

私は2023年が終わるまでにサラリーマンの生き方を脱学習する。

組織に頼らない生き方を再学習するために、染み付いてしまった「リスクを取らない生き方」を脱学習しなくてはならないと思っています。

家族には心配をかけるかも知れませんが、サラリーマンも、もはや全然安全ではないですからね。


最後までおつきあいいただきありがとうございました。
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