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小説「魔法使いのDNA」/#009


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慎太郎

 土日はほとんどミニバスの練習があった。
 家から歩いて数分の距離に僕の通う小学校があり、その小学校の体育館がミニバスの練習場だった。
 小3の夏からミニバスをはじめて、3度目の夏だった。最初の年は無我夢中で、ドリブルもシュートも下手くそでとてもバスケをしているといえるような状態じゃなかったけれど、ミニバスの仲間と一緒にいるのが楽しくて、何もつらいことはなかった。
 2年目の夏までは父がいて、日曜日には僕のミニバスの練習をよく見にきていた。時々は練習試合もあって、4年生を中心に編成されたサテライトのチームのメンバーで試合にも出た。父が見にきている日は、少しでも良いところを見せようと、いつもよりはりきってバスケをした。

 そのうちに父の体調がどんどん悪くなって、入退院を繰り返すようになった。

 ミニバスのチームには4年生が12人いて、そのうちの上手な子たちの何人かはいつも5年生、6年生に混じって練習をしていた。
 5年生、6年生が中心のチームがいわばクラブの一軍として試合に出場していた。その一軍のチームに登録されている上手な4年生も、他の4年生と一緒のチームで練習し、練習試合にも出場した。
 
 運動神経がずば抜けている子もいたし、背が大きくて体格的に有利な子もいた。バスケをはじめた頃はそれほど変わらなかったのだけれど、5年生ともなると能力に少し差が出てきていた。あまり器用ではなくて、体格的にも恵まれていない僕は、そんな彼らと一緒に練習することが少しつらくなっていた。
 一生懸命やっているのにできない。ちょっと強いパスがくると受け止めることができないで後ろに逸らしてしまう。
 パスを受けてから次のアクションを考えるので、慌ててしまて、ミスをすることが多かった。ドリブルを失敗して相手チームの選手に追われているわけでもないのに、ボールをコートの外に出してしまうこともよくあった。

 そんな調子が続いたので、だんだん味方が僕にパスをしてくれなくなって、コートの中にいるのに、まるで存在しないかのように無視をされて孤独になった。
 あげくの果てには、仲間に、邪魔だから隅にじっとしていろとまで言われた。

 そして、僕は、少し、バスケが楽しくなくなった。

 ある天気が良い土曜日。その日ももちろんミニバスの練習はあった。快晴で朝からもう暑かったけれど、ときおり吹く風は気持ちよかった。そんな天気とは裏腹に、僕の気持ちはどんよりと曇っていた。
 
 ちょうどその頃、父は治療のために病院に入院していて、母は毎日、父の入院する病院に通っていた。
 そして、その土曜日、僕はミニバスの練習に行かずに、母と弟と一緒に父のいる病院に行った。

 母はミニバスの練習を見学したり、準備やら体育館の管理などを、他のお母さんたちと協力し合って手伝っていたので、お母さんたちどうし、仲良くなっていた。
 だから、僕がどんな気持ちでどんな状況でいるのかを話さないでいたとしても、他のお母さんたちが僕の様子を注意して見ていてくれて、「シンちゃん、なんか最近元気ないよ。」と母に状況を伝えてくれていたらしい。

 僕はミニバスを休むもっともらしい理由をつくらなくてはいけないと思った。頭が痛いとか腹が痛いと言えば不要な心配をさせるだろう。熱っぽいと言えば、体温を計られて嘘がばれてしまうだろう。
 子どもで考えの浅い僕は、足を痛めたみたいだと母に話して、歩くときに少しびっこをひいて見せた。

 母は優しく微笑んで、僕が練習を休むことは少しも咎めないで、休むことを伝えるために自転車で小学校まで行ってきてくれた。
 僕は後ろめたくはあったけれど、ほっとして胸を撫で下ろした。

 病院へ向かう車の中で僕は無口だった。
 隣に座った弟がしきりに僕に話しかけてきたが、僕はうわの空で返事をしながら、窓の外を眺めていた。そして週末にミニバスの練習のない生活を想像していた。
 と、突然、空から何か降ってきて視界が白く遮られた。烏がフンを落とし、それが窓に直撃したのだった。
 僕は前を向いて目を閉じた。車の中に父が好きなロックバンドの曲が流れていたことにはじめて気がついた。

 父の病室は6人部屋だった。
 それぞれのベッドがカーテンで仕切られていて、簡易なプライベートな空間を作れるようになっている。父のベッドは入って左手の一番奥の窓際のベッドだった。
 僕たち家族が到着したときは、看護師さんが父のベッドのところからちょうど出ていくところだった。体温を計る時間だったらしく、父はベッドに身体を起こして座っていた。
 抗がん剤の治療を受けている父の肌は不自然な透明の白さがあって、カサカサとしている印象だった。目も濁っていて力がなく、僕は父に生命力を感じることができなかった。
 眉をしかめてつらそうに看護師さんを見送った父は、僕たちの来訪に気がついて、今できる精一杯の笑顔で笑った。
 
 父は何も言わず、優しく僕を見つめた。
 僕は気まずくてうつむいていた。

 母は、今日の調子はどうかとか、何か必要なものがあるかと父に聞いた。
 父はベッドの横からメモ帳を取り出し、一番上の1枚を切り取って母に渡し、「ここにメモしておいた。すまないな。」と言った。

 父のとなりのベッドの患者さんは小柄な年配の男性だった。カーテンが開いて、奥さんが付き添ってベッドから立ち上がり歩き出した。おそらくトイレだろう。部屋の出口まで付き添って、奥さんだけが戻ってきた。そして僕たち家族に気がついて、笑顔で声をかけてきた。
「あら、今日はお兄ちゃんも来てくれたのね。えらいわね、何年生?」
「小学5年生です。」と僕は答えた。
「しっかりしてるわね。将来が楽しみね。」と言って、少しためらって、「こんな可愛い息子さんがいるんだから、お父さん早く良くならなくちゃね。」と言った。
 鼻が詰まった声がかすれて、泣いているように聞こえた。
「もちろんです。ありがとうございます。」と答えた父の声は少し力強さを取り戻していた。

 弟が退屈でぐずり出したので、テレビや本の置いてある共有スペースに連れて行こうと思っていたら、母が、「あたしが連れていくから、慎は久しぶりにお父さんとゆっくり話したら?」と言った。

 父と僕は二人きりになった。
「その椅子に座れよ。」と言われて、僕はベッドの脇の丸椅子に座った。そして肩からかけていたバッグを外して床に置いた。

「来てくれてありがとう。」と父が言った。
 僕はずっと黙っていた。どう切り出していいのかわからなかった。僕がバスケをすることをうれしく思っていた父を裏切っているようで後ろめたかった。

「どうした、つまんなくなっちゃたのか?」と父が聞いた。
 僕はびっくりして顔を上げた。
「どうして?」と声を出していた。
「ミニバス、サボっちゃったんだろう?」父の声はさらに優しかった。
 
 そうだ、父は魔法使いだった。僕の心なんてお見通しか、と思った。

 何から話したら良いのかと思って頭の中で言葉を探したけれど、ちょうどいい言葉を見つけられなくて僕は黙ったままだった。黙ったまま、5分、10分、20分くらい過ぎたような気がした。

 いつの間にか僕はうつむいたままで、涙が頬を伝って顎からぽたりと落ちた。
「意味が、わからないんだ。」ようやく僕はそう言った。

「意味?」
「バスケをやる意味。」
「そうか、意味を感じないか。」
「バスケなんかしたって何もいいことなんかない。」
本心でそう思っていたわけではないけれど、ついそんな風に言ってしまった。
「そうか。」
 父が悲しそうな顔をした。
「やめたかったら、やめてもいいんだぞ。」
 優しい声だった。
「やめる?」
 ミニバスにいくことは苦痛だったけど「やめる」なんて考えたことはなかった。やめた後の僕はどうなるんだろう。悲しくて、悔しかった。
 そんな僕の様子を見ていた父が、「もしかして、誰かにいじめられているのか?」と聞いた。
「まさか、そんなことはない。」それは本当だった。
「そうか。」と言って父は黙り、目を閉じた。

 寝てしまったのかと思った。具合が悪いのに心配をかけてしまい、申し訳ない気持ちで一杯だった。

 しばらくして、静かに目を開けた父が言った。
「お父さんは、小学生のときに柔道を習っていたんだ。」
 はじめて聞く話だった。
「なんのために柔道をやったのかなんて、小学生のときは考えたことがなかったけれど、たぶん楽しかったから習っていたんだろうな。小2からはじめて、小学校を卒業するまでやっていた。6年生くらいになると体格の差で、身体の大きな子に敵わなくなっちゃったけど、お父さんずっと強かんだぞ。」
 父がうれしそうに話すので、気持ちがすこし晴れてきた。

「毎年、春と秋に、柔道の大会がU市で開かれて、同じ道場の仲間とバスで参加するんだ。時々はお父さんのお父さん、つまりじいじのことだけど、じいじが応援についてきた。実はじいじも若い頃に柔道をやっていてね、じいじは手足が長くて内股という技が得意だったんだとよく聞かされた。だからね、お父さんが自分と同じように柔道をはじめたことがうれしかったんだと思うよ。しかもお父さんがけっこう強かったもんだから尚更ね。」
 そう話すと父はベッドの周りをガサガサとやって何かを探すようにしていたが、僕に「冷蔵庫から水を取ってくれないか?」と言った。
 僕が冷蔵庫を開けると、「お茶とか入っているからお前も飲め。」と言った。

 ペットボトルのミネラルウォーターを僕の手から受け取って、そして一口それを飲んで、呼吸を整えると話の続きをはじめた。

「お父さんは、柔道の大会で何度も優勝したんだよ。個人戦はたくさんのブロックに分かれていて、3回も勝てばそれで優勝なんだけどね、案外に無敵で、優勝メダルをたくさん持ってる。お父さんな、背負い投げが得意だったよ。それから寝技のけさ固めも上手だった。はっきりしている技が好きだし、得意だったんだな。」
 
 父は思い出をなぞるように小学生の頃の柔道の思い出を僕に話してくれた。
「じいじは忙しい仕事をやりくりしてお父さんの柔道の試合を見にきたんだ。息子の活躍は自分のことのように、いや自分のこと以上にうれしかったんだろうな。今はお父さんもその気持ちがよくわかるよ。」
 
 僕はこくりとうなずいた。
「どうして柔道をやっていたのか、柔道がなんの役に立ったのか、その頃の自分はそんなこと考えたりはしなかったけれど、今こうして振り返ったときに、その後の人生にどんな役に立ったのかを言うことはできるよ。」といって少し笑った。

 次の日曜日、僕はミニバスの練習に行った。
 母は日曜日も父のところに行ったが、僕がミニバスの練習から帰ったときにはすでに家にいて、夕食の準備をしていた。

「ただいま。」
「すぐ、ご飯ができるから先にお風呂に入っちゃいなさい。」と母は言った。
 荷物を置きに自分の部屋へ行くと机の上に紙が置いてあった。
 父がよく描いていた「マインドマップ」というやつだった。
 紙の真ん中にスラムダンクというマンガの赤い髪の桜木花道の絵が描かれていて、その絵から外に向かってカラフルな木の枝のようなものが描かれている。そしてその上には字が書いてある。
 緑の枝には「体力」とあり、その先に広がる細い枝には「足が速くなる」「力」「筋肉」「バランス」「スタイルがよくなる」と書かれている。
 赤の枝には「仲間」、ピンクの枝には「自信」、水色の枝には「モテる」と書かれていてイケメン?のイラストが添えられていた。
 さらに茶色の枝に「頭がよくなる」とあり、オレンジの枝には「協調性」、ムラサキの枝には「根性」と書いてあった。
 そして、青の枝には他よりも大きな字で「楽しい♪」と書かれていた。

「バスケをやる意味がわからない」と言った僕への父からのアドバイスなのだろう。
 前に見せてもらったマインドマップよりもだいぶ雑で、イラストも前よりも下手くそに感じたけれど、父は病気で苦しいのを我慢して、僕のための一生懸命に描いてくれたのだと思う。

マインドマップ バスケをやる意味

 翌週土曜日はミニバスの練習がお昼までだったので、午後から病院に父に会いに行った。
 傍目にも元気を取り戻した僕の様子を見て、父はうれしそうだった。
 母がまた僕と父を二人きりにしてくれた。

「シン、来年は6年生だな。良いメンバーが揃っていて強いらしいじゃないか。」
「うん、すごくうまい子が3人いる。」と僕は答えた。
「お前も頑張って、チームに貢献できるようになれよ。まずは何をチームに期待されているのか、自分の役割をわからなくちゃいけないな。」
「たぶんディフェンス。僕はディフェンスはうまいってコーチに褒められたことがあるんだ。」
「そうか。ディフェンスは重要だからな。ディフェンスが良いとゲームが引き締まるし、オフェンスはディフェンスからとも言うからね。」

 まるで、これが最後の会話であるかのように、ゆっくりと言葉をかみしめながら父との対話を僕は楽しんだ。事実、この日を最後に、二人きりで話をする機会は永遠に訪れることはなかった。

 父は別れ際に、「試合に出ているシンを見たいな。来年が楽しみだな。みんなが6年生になるから、きっと強いな。県大会まで進めるかもな。頑張れよ、お父さんきっと大事な試合には見に行くからな。」と言った。

 しかし、父は翌年のお正月を迎えることができなかった。



#009を最後までお読みいただきありがとうございます。
#010は3/20(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。


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