見出し画像

小説「魔法使いのDNA」/#008


8
葉子

 運命の出会いから2年、あたしたちは結婚することにした。
 プロポーズの言葉はこうだ。

 「昨夜、未来が見えたよ。
  ヨーコと俺と、俺たちの子どもたちが幸せそうに暮らしていた。」

 好い人そうで居て、時々リュウさんはシラーっと嘘もつくから質(たち)が悪い。
 無邪気に本当に見たことや体験したことを言っているのかも知れないけれど、心理学とかコミュニケーションのテクニックとかを専門にならっているからリュウさんの思惑通りに思考を誘導されてしまうことが少なくもないのだ。
 会社ではそうやって人の心をつかんで活躍している。
 会社の仲間たちはそれを魔法と言っているらしい。
 
 2年もつきあっていると、都合が良過ぎないか?とか思うことがあって、リュウさんの作り話に乗せられてるんじゃないかなと疑うことがままあった。
 でもあたしはリュウさんの言葉を全部受けとめることにした。
 なぜなら彼の嘘は人を幸せにする嘘だからだ。
 だからリュウさんがあたしと一緒に人生を過ごしている未来を見たと言うならば、それは真実か、あるいはリュウさんの願望だ。幸せに暮らしていたと言うのだから、リュウさんはあたしと幸せになることを望んでいるのだ。
 だからあたしはこう答えた。
 「決まってる未来には逆らえないね。」
 
 そうしたら、「結婚しよう。」って抱きしめてくれた。

 あたしはリュウさんに出会う前に母親が死んでしまったし、生きていた時だってそれほど仲良しの母娘ではなかった。父親とは離別していたし、妹も近くにはいなかった。決してそれを辛いとか嫌だとか思ったこともないのだけれど、家族で楽しかった思い出はほとんどなくて、だから幸せな家庭というものにに執着や希望はもっていなかった。
 
 リュウさんのことは好きだったけど、リュウさんの望む幸せな家庭がどんなものなのかが想像できなかった。それが不安だった。本当にあたしでいいんだろうか。
 
 リュウさんは穏やかそうなので、のんびりでゆるゆるにも見えるんだけど、実は行動的で仕事が速い。あたしにそんなことを心配させる暇を与えてはくれなかった。
 
 プロポーズの翌週から結婚式場探しと新居探しを同時に開始し、そして週末にはリュウさんの都内郊外の小さなマンションに住むご両親の家に連れて行かれて紹介された。
 
 お義父さんは長身でリュウさんよりも少し背が高くて、痩せていて、ニコニコしていた。TシャツにGパン姿が似合っていた。痩せているのにTシャツから出た腕はたくましくて頼りがいがありそうだった。
 
 お義母さんは小柄で人懐っこい感じで、世話焼きだった。顔がなんとなくお義父さんにも似ていて、夫婦って顔が似るんだなと思った。
 同じ顔の両親から生まれたリュウさんはやはり同じ顔をしていたけど、トイレを借りた時に洗面台で鏡を見たら、あたし自身もリュウさん一家に似た系統の顔立ちのような気がした。
 
 リビングに通されてソファにリュウさんと並んで腰を下ろした。
 お義父さんがリュウさんの前に座り、コーヒーを運んできたお義母さんがあたしの正面に腰を下ろした。
 「ああ、そうそうアレを出さなきゃ、」とお茶菓子を取りに行くために腰をあげかけるお義母さんを、「あいさつしてからで良いだろ。」とお義父さんが叱咤する。
 お義母さんは肩をすくめて舌を出し、あたしにウインクしてうつむいた。小さな女の子みたいだなとあたしは思った。
 長身のお義父さんとちっちゃくて少しポッチャリしたお義母さんのやり取りは、夫婦漫才のようだったけど、愛情に溢れていて微笑ましかった。
 
 リュウさんのルーツがわかったような気がした。
 ちゃんと太陽を浴びて光合成をしていたんだなって思った。
 
 お義母さんはアレを出さなきゃコレを出さなきゃとキッチンとリビングを行ったり来たりして落ち着かなかった。リュウさんは終始リラックスしていて、何か自分の用事を思い出したようでリビングを出て別の部屋に行ったままなかなか戻って来なかった。
 そして、あたしはお義父さんと二人っきりになってしまった。
 
 「信じらんない。初対面のお義父さんと、あたしを置き去りにして、何してるのよ!あたしの未来の旦那さんは。」と心の中でリュウさんのことを恨んだ。
 お義父さんは口べたで、話題も抱負ではなかったけれど、それでも一生懸命あたしに話しかけてくれた。
 あたしも頑張って自分の仕事の話だとか、生い立ちの話だとかをした。
 すごく長い時間に感じられた。
 話題が尽きて、沈黙の時間が流れた。
 「テレビでもつけようか」とお義父さんはソファから立ち上がりテレビの前で屈んだ。屈みながら、「ヨーコさん、あいつ良い奴だからよろしくな。」と言った。
 そして、「でも、もしあいつがヨーコさんを泣かすようなことがあったら、いつでも言ってきなさい。」と言った。
 ほろっとした。

 テレビがついて賑やかな声が聞こえると、ようやく肩の力が抜けた気がした。バタバタとお義母さんが、葡萄とスイカを持ってきた。
 
 リュウさんは何をしていたのかといえば、どうやらキッチンで料理をしていたようだ。
 昼食はリュウさんとファミレスで済ましてきたし、夕食まではまだだいぶあったけれど、ご両親のために料理をしていたらしい。
 「うちの子は料理が好きで助かるわあ。ヨーコさん、好い人見つけたわよ。」とお義母さんは言った。
 それにしても、何もあたしを放っておいて料理をすることはないと思う。キッチンで母親とコミュニケーションを取れて良かったかも知れないけど、それは一人できた時にすべきだ、と私は少し怒っていた。怒ってはいたけれど、好い人を見つけたというのはもっともだと思った。この少しずれている感覚はお義母さん譲りなんだろうなあと思った。 

 やがて秋になって、あたしたちは一緒に暮らすようになった。そして年が明けて結婚式を挙げた。
 
 リュウさんのお父さんとお母さんはその年の春に都内のマンションを引き払って、お義父さんの実家のある北関東の田舎町に一軒家を買って引っ越した。
 まるであたしたちの結婚を待っていたかのようだった。お義父さんは定年まではもう少し時間があったのだけど、早期退職制度で少し退職金を余計にもらって、そのお金とマンションを売り払ったお金とわずかな貯金をあわせて一軒家の購入に踏み切った。
 田舎に家を持ち、犬を飼って、畑を借りて農作業をしながらのんびり暮らすのを、都会にいながらずっと夢に見ていたのよお父さんは、とお義母さんが言っていた。
 「お前たちに子どもができたら、子どもたちにとって、おじいちゃん、おばあちゃんの住む田舎があるってのは良くないか?」とお義父さんはリュウさんに言った。
 
 引っ越しは引っ越し業者にすべて任せたので手伝いには行かなかった。引っ越しが済んで、少し落ち着いた頃に、遊びにおいでよと言われて行った。
 車で高速に乗って1時間半程で到着した。子どもの夏休みとかに遊びにくるのには丁度良い距離だ。
 
 こじんまりした中古の一軒家は陽当たりが良くて、駐車スペースの先に小さな庭があった。庭には花や鉢植えがたくさんあって、綺麗に手入れされていた。
 
 玄関を開けると、小さな可愛らしいダックスフントがあたしたちを出迎えてくれた。
 キャンキャン吠えて興奮する子犬を、「チビちゃん、お客さんがきてうれしいねえ。」と言いながらお義母さんは抱きかかえた。
 1時間半程で帰れる距離だったけど、お義母さんたちがあたしたちのことを心待ちにしていたので、一泊して帰るつもりできていた。
 
 荷物を置いて、お茶を飲んで、一通り家の中を見せてもらった。丁度桜が綺麗だからということで、近くの公園に犬を連れて4人で散歩に出かけた。
 
 暖かで、気持ちの良い風が吹く穏やかな好い日だった。
 満開の桜の木の前にある木製の長ベンチにあたしとお義母さんが腰をかけた。リュウさんとお義父さんは目の前に広がる芝生の広場で犬と無邪気に戯れていた。
 
 「名前はチビちゃんなんですか?」とあたしが聞いた。
 はらりと落ちてきた桜の花びらがおでこに貼り付いて、その桜をつまみながら「正式に決めたわけじゃないんだけど、呼び方決めておかないと困るからそう呼んでいるだけ。まだ昨日おうちにやってきたばかりなのよチビちゃんは。」とお義母さんが言った。
 「ジョブズってどう?」と遠くでリュウさんが言った。
 なんだ、話を聞いていたのか。
 「なんだ、ジョブズって?」とお義父さんがリュウさんに質問する。
 「スティーブ・ジョブズっていうコンピュータの会社の社長さんがいてさ、魔法使いみたいな人で、俺ちょっと憧れてるんだよね、俺。なんか面影がこの犬と似てるなって思ってさ。」
 「その人が誰だかお父さんは知らないけれど、中々良いかも知れないな。ジョブじゃなくてジョブズっていうのが変わっていてお父さんの好みだ。発音しづらいけどな。」と言ってあたしたちに自分のことを「お父さん」と言うお義父さんは笑った。
 そして、その会話以降、ダックスフントはジョブズと呼ばれることになった。
 お義母さんだけは「ジョブズ」という名前に馴染めずに、しばらくの間、「チビちゃん」と呼んでいた。

 その年の終わりにあたしたちはリュウさんの転勤で大阪に住むことになった。
 
 あたしが会社を辞めるのは経済的には大変だったけど、リュウさんに任しておけばなんとかなるだろうと思った。まずは二人でいることが一番大切なことだ。
 
 年が明けて、秋には家族が増えた。子どもが生まれたのだ。まさかあたしが母親になるなんて、考えたこともなかったのに覚悟を持てないままにお母さんになってしまった。
 
 リュウさんの子どもは可愛かったけれど、溺愛するほどではなかった。それよりもリュウさんがあたしのことよりも先に子どものことを考えるのが悔しかった。
 子どもはわがままで、ちっとも泣き止まないし、おっぱいは飲まないし、寝ないし、おむつを替えたばかりなのにまたウンチするし、めちゃめちゃ大変で頭がおかしくなりそうだった。
 
 ちっちゃくて、守らなくちゃと思うんだけど、抱っこして泣き止まない赤ちゃんを見ていると、このまま手を離して落っことしたらどんなに楽になるだろうとか、人としてあるまじきことさえも頭をよぎった。それほどあたしは追いつめられていた。テレビで乳幼児虐待のニュースを聞くと、そのお母さんの気持ちが少し理解できることが怖かった。
 
 お正月にリュウさんの両親の家に行った。お義父さんとお義母さんにとっての初孫だったから、これ以上ないくらいに喜んでくれて、可愛がってくれた。ご飯はお義母さんとリュウさんでつくってくれた。洗い物や洗濯などはあたしも積極的に手伝ったから、何もしないでのんびりしていたということではないのだけど、気持ちはのんびりできた。赤ちゃんの世話をみんながしてくれるので、ずっと神経質にしていなくても良かったし、リュウさんとゆっくり話せる時間ができることもうれしかった。だからあたしはリュウさんの両親の家に行く日を指折り数えながら遠い関西での日々を過ごした。
 
 子どもが生まれて最初の夏休み。
 慎太郎はリビングの隣のお義父さんとお義母さんの寝室のベッドの上でスヤスヤと眠っている。ベッドの前の椅子に腰掛けて、お義母さんは編み物をして、時々赤ちゃんの様子を見てくれる。 
 お義父さんがテレビで野球を見ていて、リュウさんは京極夏彦の小説を読んでいて、あたしはうとうとしていた。この上ない幸福な光景だ。
 
 リュウさんが本を読み終わってパタンと本を閉じる音に気がついてあたしは目を覚ました。
 「コーヒーが飲みたいな。」リュウさんが言った。
 あたしはうなずいた。
 「ジャンケンポイ!」
 あたしがパーでリュウさんがチョキだった。
 仕方がなくあたしがキッチンにコーヒーを淹れに行くために立ち上がると、
 「なんだそりゃ。」とお義父さんは言って笑った。
 この上ない幸福な光景だ、と我ながら思った。
 
 考えたら、あたしはリュウさんにジャンケンで勝ったことは一度もない。いつもあたしがコーヒーを淹れている。そうだリュウさんは魔法で未来が見えるんだった。
 いつかそのことを言ってみたら、「思うままに未来が見えるわけじゃないよ。」と言っていたが、魔法じゃないならきっと心理学だ。ちょっと悔しい気がしたけれど、まあ幸福だからいいかと思った。
 
 赤ちゃんが目を覚まして、お義母さんが抱っこをしてあやしながらリビングに入ってきた。
 「そういえば、今度は山田さんちが空き巣に入られたらしいわね。」と神妙な顔で言った。
 「なんか、この町も過疎化、高齢化で一人暮らしの老人とか多いから、空き巣に狙われやすいのよね。でも、逆に留守で良かったかも知れないね。犯人とバッタリ出くわしちゃったら命が危ないもの。」
 「ああ、空き巣もそうだけど、農機具とかも盗まれちゃってるらしいな。鈴木さんちの畑のところにある小屋のドアが壊されて、耕耘機を持っていかれちゃったそうだぞ。鍵なんかあってもドアを壊されちゃうんだから意味がないな。」
 とお義父さんが言うと、
 「なんだ、こんな田舎なくせに、物騒な町だな。」とリュウさんが雑誌を読みながら言った。
 「U市あたりに本部がある外国人の犯罪組織が夜中に車でやって来てプロの仕事して行くんだって噂だな。」
 「ふうん、じゃあ車に防犯ブザーとかつけた方がいいかもね。」と言ってリュウさんは雑誌をテーブルに置いて、あたしが淹れた美味しいコーヒーを一口啜った。そしてカップを置いて、「戸締りもちゃんとしなきゃだな。」と付け加えた。
 「昔は日中ちょっと近所に出かけるくらいじゃ鍵も掛けなかったものだけど。」とお義母さんが言う。慎太郎が目を覚まして少しぐずり出したのでお義母さんは立ち上がって小柄な身体を揺らす。
 
 「さっき駅の近くのスーパーに自転車で行ってきた時に、不審な車がありましたわ。」とあたしが思い出して口を挟んだ。お義父さんとお義母さんが一緒にいるので中途半端に敬語が混じる。サザエさんみたいだとリュウさんが笑った。
 「駅からうちの方に向かうすぐのところに月極の駐車場があるじゃないですか。そこに佐々木月極駐車場と書かれたちょっと大きな二本足の看板があるのご存知ですか?その看板に寄せてワゴン車が止まっていたんですけど、その寄せ方が半端じゃないんです。看板と車の隙間が1cmくらいしかないんです。ほんとにビッチリっていう感じで寄せてあるんです。もちろん運転席のドアは開かないですよね。なんで、そんなに寄せる必要があるんでしょう。駐車場の中の駐車スペースではないところに止めているから、たぶん駐車場を利用している車じゃないんだと思います。駅の近くだから、誰かが電車で来るのを待っているのかも知れません。それにしても、それほどまでビッチリに寄せる意味が分かりません。」
 
 しばらく沈黙があった。場違いな話をしてしまったかなと思った。
 「あら、わたしもその車なら知ってるわよ。ここのところ、毎日停まっているわね。」と赤ちゃんをあやしながらお義母さんが言った。
 「ヨーコさんが言うように、確かに普通じゃない幅寄せの仕方だからわたしも気になっていたのよ。」
 「お義母さん、車の中はのぞきました?」
 あたしが聞くと、ちょっと眉を寄せて「のぞいたことはないわ。」と言った。
 行儀が悪いと思われるかも知れないけど、と悪気がなかったことを伝えて、
 「あたしは車の中を見ちゃったんです。」と言った。
 「車の中には、小柄な年配の方が助手席側にドアに寄りかかるようにして座って、外を見ていました。」
 「ふうん、助手席に座っていたんだ?その人が運転してきたのかな?」とリュウさんが言う。
 「さあ、それはあたしにはわからないわ。」とあたしは言った。


#008を最後までお読みいただきありがとうございます。
#009は3/13(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?