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小説「魔法使いのDNA」/#001


なんて不思議な話だろう
 こんな世界のまん中で
 僕が頼りだなんてね



葉子

 出会った時の話。

 ライブハウスで何曲目かに彼が歌った曲。
 なぜだろう、
 たった一度聞いただけなのに、メロディと歌詞が耳から離れない。
 まさしく魔法にかかったように。

 当時、あたしは落ち込んでいた。
 大学を出て、特に興味があったわけでもないけどなんとか潜り込めた銀行に勤めていて、銀行に勤めているくせにあまり几帳面な性格でないあたしは毎日のようにマッチ棒みたいな小男の上司に怒られ続けて自信を失っていた。
 
 あたしが残業している間に、一緒に住んでいた母親が自宅で心臓の発作をおこしてあの世に逝ってしまった。もしもわたしが意地悪な上司の依頼を断って、残業をしないで家に帰っていたなら母親は死なずにすんだのだろうかとは考えないようにしている。
 
 父親はあたしが高校生の時に母と離婚した。
 一つ違いの妹は父の方についていったが、高校を卒業するとカナダに留学してそのまま住み着いてしまったと聞いている。どんな仕事をして、どんな暮らしをしているのかよく知らないし、母のお葬式にも帰ってこなかった。
 父親はあたしの知らない女の人とお葬式にやって来て、
 どうするんだ?私の家にくるか?と一応、心にもないくせに父親らしい振りをしたセリフを言ったが、一緒にいた女性の服装はわたしの趣味に合わなかったし、あたしも社会人の端くれなので贅沢をしなければ一人で生計を立てていくことはできたので、心にもない笑顔で娘らしい振りをして断った。
 
 心の支えは、学生時代からつきあっていた彼氏だった。ここのところお互いに何となく忙しくて、ゆっくり会って話をすることもできなかったけど、この心の傷を癒すにはあいつの笑顔と甘い愛の言葉が必要だ。そんな風に思って、連絡しようと思っていた日の夜の町に、楽しそうにあたし以外の女の子と食事をしている彼氏の姿を、店に面した通りのガラス越しに発見してしまった。しかも一緒にいた女の子は大学時代のあたしの友人で、最近はあまり連絡をしていなかったけど、あたしの方は親友だと実は思っていた。
 
 二人はとても楽しそうで、似合いのカップルに見えなくはないが、彼女の恋愛の相談を彼氏が聞いているだけかも知れないし、都合の好いように考えれば、もしかするとあたしの母親が亡くなったことであたしと結婚するべきかどうか悩んでいるんだ、なんて相談を彼氏があたしの親友にしているのかも知れない。本人の口からどういうことなのか事情を聞くまではあれこれ考えないようにしようと思っていたけど、そこから家に帰るまでの間に母親が亡くなったとき以上の涙が目から溢れ出てきて、脱水症状になるんじゃないかと思うくらいだった。誰もいない暗い部屋にようやく辿り着くと、いつもより少し大きな音でドリカムのCDをかけて声をあげて泣いた。その夜は彼氏に電話をする気にはならなかった。次の日の昼間に彼氏の方からあたしの携帯に電話をかけてきて、あまりにもクールに別れ話を聞かされた。どうやら昨夜、あたしが彼に気がついたことに彼も気づいていたらしい。
 
 そんなことがあって、母親の葬儀関係が全部片付いて会社に行くようになっても、あたしの心は塞がったままだった。もともと愛想が特別良いわけではないけれど、それにしても銀行の業務を勤めるには適さない心持ちと笑顔のまったくない接客。小男の上司は、パワハラと言われることを怖れて言葉には出さないけれど、あたしに対していらついていることが、心が塞がったままのあたしでさえもわかった。
 
 そんなあたしの状況に見かねて同僚の女の子がライブハウスに誘ってくれた。
 「私の彼の知り合いがバンドをやっていて、最近ちょっと人気が出てきてるんだ。今度の土曜日に四谷のライブハウスで演るらしいんだけど、一緒に行かない?」
 
 家族を失い、失恋したあたしは、週末に、特に優先する予定はなかったし、目先を変えて普段しないことをしてみようなんてポジティブな考えはなかったけれど、流れにのっかてみるのも好いかななんて思って、「行く」と返事をした。

 四谷の駅に着いた時にその同僚の女の子からの電話が鳴った。出かける寸前で急に体調が悪くなって行けなくなったという電話だった。
 行ったことのないライブハウスに一人で行って楽しめるかどうかは疑問だけど、このまま引き返して家でコンビニのお弁当を一人で食べるのは間違いなく楽しくない。ましてや、今の自分には失うものなんて何もない。そんな気持ちだったので、予定を変更する事なしにライブハウスには行ってみることにした。

 あらかじめもらっていた地図を頼りに歩いて行くと、たいして迷うこともなく到着した。自分は方向音痴で、彼氏がいなければどこにも辿り着けないと思っていたけど、そんなことはなかったんだなと思った。
 
 ライブハウスは地下1階にある。店に向かう、チラシやポスターのベタベタとはられた狭い階段を下りていくと茶色い重そうなドアが目の前にあった。ドアを開けるのを少しだけ躊躇(ためら)っていると、ドアは勝手に開いて、「今、騒がしいところにいるので、場所を変えます。」とか言いながら携帯電話を耳にした半袖のシャツにスラックスのビジネスマン風の男が飛び出してきた。入れ替わりに中に入ると、ズンズンというベースの音が身体の底に響いた。入り口のところにチケットブースみたいな場所があって、あたし以上に愛想のないお兄さんがチケットをもぎってくれて、半券を渡して、あそこで飲み物をもらってくださいと言いながらドリンクカウンターを指差した。
 
 ライブハウスの中は薄暗くてステージだけが明るかった。そして小学校の音楽室で嗅いだことのある独特の匂いがした。
 
 ステージの上には、ニコニコした男の人が水色のギターを持って立っていた。ギターの水色は印象的だったけど、服装は派手でも地味でもなく、特別センスが良いとも思わなかったけれど、清潔な感じがした。
 バンドは4人編成で、ボーカル&ギターの彼の他にはベース、ドラムそしてキーボードというメンバー。
 
 その夜のライブは3組のバンドが登場する。会社の同僚が誘ってくれたバンドの出番まではまだ少し時間があったので、これはその前のバンドなのだろう。観客はパラパラで、盛り上がっているような、そうでもないような、自分的には好い感じの雰囲気だった。観客はバンドのメンバーの友だちや知り合いがほとんどらしく、曲の合間のコメントも内輪の話が多いようだ。自分たちはレゲエバンドだ、と説明していた。レゲエといえば、ボブ・マーリィを少し聴いたことがあるがその他はほとんど知らない。だけど、ゆらゆらとして、何となく心地好いリズムで自然と身体が動くようだった。目を閉じたら海が見えた。
 
 オリジナル曲とカバー曲が半々くらいと説明していたが、自分には、はじめて聞く曲ばかりだった。
 
 そして、何曲目かにフィッシュマンズというバンドのその曲を彼は歌った。

 内輪のお約束みたいな感じで、アンコールを1曲演奏するとそのバンドの出番は終了した。会場が明るくなって、ステージの機材の入れ替えが始まり、お客さんたちはトイレにいったりお酒を飲んだり、おしゃべりをしたりしていた。
 
 あたしは一人で手持ち無沙汰だったけれど、そんな光景をぼんやり見ているのは苦痛ではなかった。

 何か飲み物を飲もうかなと思ってドリンクカウンターの前に行くと、そこにはさっきのバンドのボーカルの人がいた。
 近くによるとミントの香りがした。髪の毛は茶色くて細くて、まるで天使みたいだなと思った。でも、きっと薄くなるのも早いだろうなと想像してくすっと笑った。
 
 その笑いに反応したのか、その男の人があたしに話しかけてきた。
 「一人でいらっしゃったんですか?」
 「え?」わたしは少し驚いた顔をした。
 「ステージから客席を見ていたら、あなたに気がついて、誰か一緒に来た人がいるのかなって思っていたら、どうも一人みたいなので、いや、バカにしているわけじゃないし、他意はないんです。俺、知らない人のドラマとか想像して、普段から歌詞を書いたりしているんで。で、どういう人で、どういうシチュエーションで今夜ここにいるのかな?って思ってあなたのこと考えていたんです。」
 
 あたしは少し戸惑った。
 
 さっき、はじめてステージで見た人で、今、はじめて言葉を交わしている人なのに、「知らない人」と言われたことに少しがっかりして、「あなたのこと考えていた」と言われたことに少しドキドキした。
 「あの、さっきの歌、とても心に残りました。」
 そんなこと言うつもりはなかったのだけれど、何か話さなきゃと思ったらそんな言葉が自然に口から出ていた。
 「さっきの歌?」
 「ええ、世界のまん中で、僕が頼りっていう歌詞の歌。」
 彼はニコッとして天井の隅の方に視線をやった。

 同僚の彼氏の知り合いのバンドの演奏がどうだったのかはよく覚えていない。
 
 演奏がはじまっちゃうと話がしづらいなあと思った。アンコールでは誰もが一度は聴いたことのある有名な曲を演った。曲名は知らないけれど、確か、ローリングストーンズの曲だ。なんだかお客さんは盛り上がっていた。

 前のバンド、「THE STORY」のボーカルさんはライブの間中ずっとあたしの隣にいた。
 ライブが終わるとボーカルさんが言った。
 「これから、寄って行くところがあるんだけど、よかったら君も一緒に来ないか?」
 あたしがおそらく驚いた顔をしていると、
 「ああ、ごめんごめん、自己紹介がまだだったね、僕は田村隆信、リュウさんて呼ばれてる。」と言った。
 「あたしは小野葉子と言います。」と答えた。
 「オノヨーコ!?」リュウさんは反笑いの大きな声であたしの名前を確認した。
 
 あたしは、自己紹介の前の質問にはきちんと回答をしなかったのだけど、リュウさんの頭の中にはあたしが断るという選択肢はなかったらしく、じゃ行こうと言って、あたしの手をつかんでライブハウスの階段を駆け上がった。
 
 外に出ると土曜日の四谷の町は賑やかで明るかった。空には月が照れくさそうに二人を照らしていた。
 
 リュウさんは左手であたしの手を握り、右手にはギターのケースを持っていた。
 ステージで見たのは水色のエレキギターだったけど、持っているのはもっと大きなケースで、おそらくアコースティックギターというやつだ。
 「あの、それ、ライブで持っていたのとは違うギターですよね?というか他のバンドのメンバーの方と打ち上げとかやったりしないんですか?」
 あたしがそう質問すると、
 「ああ、そうだね。いつもは打ち上げするんだけど、明日、朝が早いって奴がいたり、今日これから用事があるって奴がいたり、予定が合わなかったんだよ。で、今日は打ち上げはなし。俺もやりたいことあったしね。」
 「やりたいことって、何ですか?」
 「それはあとでわかるよ。そうそう、ライブの時のギターはね、弟が車に積んでいってくれた。バンドのベースの奴、あれ、俺の弟なんだ。」
 へえ、そうだったんだ、と思った。似てないな。というかどんな人だったのか全然覚えていない。ていうかちゃんと見ていない。

 四谷の駅の比較的人通りが少ない、少し広いスペースを見つけると、リュウさんは立ち止まり、ギターケースを道路の隅に置いて、中からギターを出した。
 そして、ギターケースの中にギターと一緒に入っていた小さな折りたたみのアウトドア用のチェアをあたしに渡すと、「それに座っていたらいいよ。」と言った。

 リュウさんは、四谷の駅前で、ギター一本で弾き語りをはじめた。
 アレンジが違うので最初はわからなかったけれど、さっきライブハウスで演奏した曲と同じ曲を歌っているみたいだった。
 
 人だかりはできなかったけれど、ちょこちょこ立ち止まって見ている人がいた。
 
 マイクを通さないで聴くリュウさんの声は、少し独特で、色で言うと薄い黄緑色で、高い音が上がり切らない時があって、それがなんとなく切なさを感じさせた。
 
 今夜の最後の曲です、と言って、
「こんな世界のまん中で、僕が頼りだなんてね」と歌って、
あたしに微笑んだ。
 
 その時、きっとあたしは最初の魔法にかかったんだ。



#001を最後までお読みいただきありがとうございます。
#002は1/23(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。


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