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やっぱ大事なのは内発的動機づけでしょ!|19冊目『人を伸ばす力』/20冊目『自己決定の心理学ー内発的動機づけの鍵概念をめぐって』

エドワード・L.デシ/リチャード・フラスト(1999 , 新曜社)
エドワード・L.デシ(1985 , 誠信書房)


立教大学大学院独立研究科コミュニティ

私は組織文化やビジョンについて学んでいますが、モチベーションについての関心が高く、特に内発的動機づけにフォーカスしています。
考え方のベースにしているのは、デシとライアンの自己決定理論です。

立教大学にはビジネスデザイン研究科、21世紀社会デザイン研究科、人工知能科学研究科という独立研究科があり、立教大学大学院独立研究科コミュニティという非公式のグループがあります。
そのグループ主催の勉強会がときどき開催されていますが、9月には21世紀社会デザインの教授である大熊玄先生が「パーパスとアイデンティティ」というテーマでオンラインで講義をされました。
パーパスもアイデンティティも大好きなので、もちろん私も参加させていただきました。
講義の中で自己決定理論のエドワード・デシの著書『人を伸ばす力』の紹介がされました。
『人を伸ばす力』は読んでいなかったので、さっそく読むことにしました。
さらに、こちらは以前一度読んでいますが、ついでに『自己決定の心理学』も読み直しました。


「人を伸ばす力」「自己決定の心理学ー内発的動機づけの鍵概念をめぐって」グラレコ

自己決定理論と認知的評価理論

自己決定理論とは、「自律性」「有能感」「関係性」の三つの心理的欲求が内発的動機づけに影響を与えるというものです。

自律性とは自己決定的であるかどうかということで、自己決定とは内なる願望と知覚にもとづいて行動を選択する能力であり、自己の意思を活用する過程であります。

認知的評価理論の一つ目は、外的な諸要因、すなわち金銭や名誉などの報酬や、罰や叱責によってその活動が手段化してしまうというお話です。
目的が手段へと変化することによってモチベーションは低下します。
行動経済学でアンダーマイニング効果として説明される現象です。

二つ目は「認知された有能さの変化」です。
内発的な動機とは、人が生まれつき持っている活力、自発性、純粋さ、好奇心などから生じますが、有能さが強く影響しています。
つまり、得意なことをすることが楽しいということです。
ところがそこに外発的な要因が関わってくると、例えば順位づけや、ランクづけ、評価ばかりにフォーカスしてしまうことで、自分が得意だと思っていたことが、それほどでもなく思えてしまいます。
自分は有能ではないと認知してしまうと、それもやはりモチベーションの低下につながります。


動機づけの3タイプとパーソナリティ

動機づけが行われるには三つのタイプがあります。

一つ目は内発的動機づけです。
自己決定理論によると内発的動機づけに影響を与えるのは、自己決定的かどうか(=自律性)と有能さを感じられるかどうか(=有能感)、そして関係性です。
関係性は、自分の帰属する集団(家族、会社、あるいはもっと大きな集団)に対して自分が好意を抱いているかということもありますが、その集団において、誰かの、何かの「役に立っている」という感覚のことも含んでいます。
自分が何かの役に立っているという認識は有能感につながります。

内発的に動機づけを行うパーソナリティの人を『自己決定の心理学』では内的ー因果律型人格と言っています。

二つ目は外発的動機づけです。
そして外的な要因によって動機づけを行うタイプの人を外的ー因果律型人格と言っています。
外的ー因果律型人格の人の関心の的は富や名声、学位、肩書きなど、外部にあります。
そして、外発的報酬や手がかりによって統制されています。

自我関与という言葉があります。
自我関与(ego involvement)とは自分に価値があると感じられるかどうかが、特定の結果に依存しているようなプロセスのことで、つまりいつも外からの評価や評判を気にしていることです。
自我関与の外部志向性は、動機や情動を意識から追い出してしまいます。

動機づけには有能感と同様に自尊感情も必要ですが、自尊感情には二つのタイプがあります。
一つは真の自尊感情であり、人間としての自分の価値です。
聖学院的に言えば「オンリーワン」や「タラントン」の考え方ですね。
そしてもちろんそれは内発的な動機へと結びつきます。

もう一つのタイプは随伴的な自尊感情です。
自我関与によって取り入れられた規範は、随伴的な自己価値観によって強化されます。
成果を達成することにばかりフォーカスして圧力がかけられ、統制されることで、倫理観が失われる危険性もあります。
競争による敵意が生まれ、目的達成のために他者を蹴落としたり、醜い社内政治が行われたりします。

動機づけの三つ目のタイプは非動機づけです。
動機づけされないということなので動機づけのタイプと言うのはなんだか変ですね。
そしてこの特色を持つパーソナリティを没個体的ー因果律型人格と言います。
無気力であることを学習体験によって獲得してしまった状態で、外発的動機づけからの移行もあります。
外的評価基準にもとづいて、自分は頭が悪いとか、運動ができないとか、出世競争から外れているとか、有能さの変化を認知してしまったことが自己否定へとつながります。
「どうでもよい」と自暴自棄、思考停止になることもあるでしょう。
自発的に考えることをやめてしまい、人から指示されるのを待つ依存型の人間となることもあります。
そして無意識の動機による自動的行動が行われます。

自我関与による取り入れられた規範の中での意思決定も、自己決定ではなくて何ものかにコントロールされた決定であり、自動化されていきます。
それは固定観念や前提といったものともつながります。

これってファスト&スローのヒューリスティックや、U理論のダウンローディングのことではないでしょうか。

エドワード・デシが言おうとしていることは、こうした自動化された行動や自動的行動といった非選択的な行動を再プログラムすること、すなわち内発的な動機づけによって行動にエネルギーを与えることが必要だということなのだと思います。

しかし残念ながら現在、多くの学校が行なっている教育は、外発的に動機づけること、取り入れられた規範を動機に結びつけることです。
そして、多くの会社組織も同様だと思います。

ただ、ある段階まではそれも必要なのだと私は思っています。
しかし、最終的には随伴的な自尊感情のその先にある真の自尊感情を尊重し、内発的な動機づけを繰り返すことによって内的ー因果律型人格へとパーソナリティを成長させることが必要なのではないかというのが、大学院で学んでいるときから、私もずっと考えていることです。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。
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