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程度の問題

 新年あけましておめでとうございます。一番搾りを飲みながら新年一本目のnoteを書きたいと思います。本記事では、最近読んだ「DXとはなにか 意識改革からニューノーマルへ」という本の内容の紹介をベースに感想文的なものを書こうと思います。

新年初読破の本は…

 新年初めて読破した本はDXに関する新書になりまして、文末の参考文献に載せています。もともとDXという分野に興味はあったのでこの本を読んでみたのですが、DXという論点について、統計やAIなどの切り口から幅広く論じている点でとても読みごたえがあるものでした。今、本が手元にないのでうろ覚えではありますが、一つ内容を紹介しつつ、就職活動で書くエントリーシートの話をしたいと思います。

AIの学習方法

 本の中ではAIの発展の過程についても軽く語られています。前提としてAIは人に代わって知的行動を行わせる技術であり、そのものの用語としてはかなりあいまいなものです。したがって初期にAIの研究者たちは具体的にどのような知的行動を行わせるのか、また行わせるためにどのような仕組みを実装させるべきなのか非常に難しい状況だったようです。紆余曲折を経て、画像認識という分野に行きついたようですが、始めは犬か猫の違いを認識させるために、三段論法的発想を仕組みとして利用しようとしました。

 たとえば、「足が○○cm以上ならば猫である」「△△は○○cm以上」したがって「△△は猫である」という具合です。このように猫について膨大な定義を組み込むことで猫を認識するようにしようとしました。しかし、これには欠陥があり、例えば、定義の例外がないわけではないということや、異なる定義同士で矛盾が生じることもありその場合にどう認識するかということなどです。

 それに対して、現在のAIの仕組みというのは、様々な性質があってそれらが複合的に組み合わさったのが猫となりますが、その様々な性質を絶対的なものとせず、結果的に猫ならば猫なのだということにし、膨大な猫の画像を機械に勉強させることで、機械の中でこの性質とこの性質のものがそろうと確率的に猫の確立が高いという仕組みを取り入れたということです。

 この二つの違いは、定義から論理的に導くのか、あるいは結果だけを与えて確からしいものを推論させるということになるのでしょうか。このような仕組みに変えることで、AIの性能は飛躍的に進歩しました。今では結果を与えずとも、機械と機械同士を対峙させて学習させることでルールのあるゲームのようなものならばかなりのスピードでプロの人間を打ち負かすものになっているのはニュースを見ても明らかなことでしょう。

自分のやっていることも同じ?

 このようなAIの仕組みについて考えてみると、もしかしたら自分も今現在同じようなことをやっているのではないかと思うことがあります。それは就職活動の際に書くエントリーシートです(以後ESと略す)。このESについて、どのように回答すれば絶対に受かるかということについて僕は知る由もの無いので、何回も書いて通る時と通らないときの違いを分析して、文章の制度を上げています。これは先輩方に内容を見てもらう場合もありますが、私はそれほど生真面目ではないのでかなりの部分で自分で修正をしています。このような課題に対しては演繹的に解くことはできず、答えもわからないのでそのような修正をすることで選考通過率を高めようとしているわけです。

程度の問題

 本の中では世の中の様々な事象に対して、正誤は程度の問題としています。ただ同様に筆者は過度の相対主義者になってもいけないと主張しており、どこかで正しい解を出さないといけないと主張しているように見受けられました。結局、本記事で何か主張したいことがあるわけではないのでこれくらいにしますが、久しぶりにロジックとレトリックと自身の主張が巧みに織り交ざった本を読むことができ、感動しているので筆を執った次第です。今年も良い年になることを願って終わりとさせていただきます。

参考文献
・坂村健(2021)「DXとは何か 意識改革からニューノーマルへ」角川新書

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