ゲッシュタルトの祈り

私は私のために生きる。

あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。
そしてあなたも私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。
私は私。
あなたはあなた。
でも偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくてもそれもまた同じように素晴らしいことだ。


ある時、この言葉に出会った。
母親に振り回されてヘトヘトになっていた私には、救いの言葉のように感じた。

母親に分かれと言うとのは難しい。
とんでもなくワガママで、でもそれは年老いたせい、病のせいと言われる。

そう言われても、私には違和感があった。
何故だろうと考えた。
母親には「自分」がない、それは以前から感じていたことだった。
それを彼女に変えて下さいと言ってお願いしても、変えられない。
だから私が変わるしかないと…私がしっかりと自分というものを持つ。

そう思ったが、容易くはなかった。
距離を取ろうにも上手くはいかない。

あなたも傷つくと言うが、私だって傷つく。

端は簡単に逃げろ、距離を取れと言うが、なかなか相手も手強くて、放してはくれない。
そして私も逃げることばかりを考える。

私にべったり、自分の思い通りにならないと不機嫌になる母親。
私だって完全ではないと、自分でも良く分かっている。
だからといってあなたに無理強いは出来ない。

にっちもさっちも行かない時、ゲッシュタルトの祈りを思い出す。

私は私、あなたはあなた。

偶然だか必然だか分からぬが、私はあなたの娘に生まれた。
この運命を呪っても良いことはない。(本当は呪うなんて言葉は使いたくないのだが…)

腹の立つことばかりの状況に、私は私。
あなたではないと呟いてみる。

偶然が私たちを出会わせることは素敵かもしれない、出会えなくても素晴らしいって…感じられたなら、それはそれでしあわせになれるのだろうか?

苦痛でしかない私の今の感情をどう片付けたらいいのか。

助けて欲しいと願いつつ、ゲッシュタルトの祈りを口ずさんでみる。

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